2008年4月 9日 (水)

【つぶ】「さよなら」の人

母ちゃん(70歳)は去年の夏に入院し、秋に退院してホームに帰り、寝たきりとなった。完全介護の環境で、さらにいつも父ちゃんがついてる。万全だ。だが、父ちゃんは疲れがたまっているだろう。

父ちゃんに「たまには見舞いに行こうか?」と聞くと、「来ても話もできんから来なくていい」と言う。それが打って変わって「たまには来い」と電話が来た。

てなわけで、昨日は久しぶりに母ちゃんに付き添った。

退院時より明らかに弱った。足腰だけじゃなく指先まできかなくなり、寝たきりの人の顔になっている。

死について聞いてみた。楽に死ねるなら死にたいのかと。

すると、「この前、痙攣が止まらなくなって病院に運ばれちゃったけど、あんなことが何日も続いて死ぬんなら怖いわねえ。でも、楽に死ねるんなら、それが一番だわ」と言う。

そして「もうなーんも未練ないし」と。

俺は思わず泣いちまった。親の前で泣くなんて30年ぶりくらいだ。

同じことを父ちゃんに言っても「そんな悲しいこと言うなよ」と泣くらしい。父ちゃんは善人だし、根っからの情緒派なので、これはわかる。

でも、俺は母ちゃんほどじゃないにしても、ドライで個人主義者だ。母ちゃんが「サッサと死にたいわ」と言うような人だって、よくわかっている。

俺は悲しかったのか?

感情に名前はないから、それが悲しみなのかわからない。そもそも「悲しい」って感情はよくわからない。でも違う気がする。

俺が思ったのは「ああ、卒業なんだな」ってこと。多くの高齢者は歳とともに幼児化し、すごく感情的になって死を恐れる。でも、母ちゃんはサバサバした精神状態をまだ保っているため、「この人生はもう卒業でいいわ」と、あっさり思っているのだ。

なんといういさぎよさ。みんながみんな卒業したくないとジタバタするわけじゃないんだな。これは単純に性格からくるもんだと思う。

現状は母ちゃんにとって、卒業式直前のボケーっとした日みたいなもんなんだろう。体の自由はきかないし、しんどいばかりだから、そんな時間はなくて結構。さっさと卒業したいのだ。

自分で安楽死のスイッチを押せるなら、「じゃあこれでいいわ。さよなら」と言って、サクッと押すんじゃないか。そう、母ちゃんは「さよなら」の人なのだ。

われわれは別れのとき、「じゃあまた」などと別れを濁らせる。でも母ちゃんは人嫌いなので「また」はいらない。あっさり「さよなら」だ。

フランス語でも中国語でも「さよなら」は再会や再見で、そんなにあっさりとはしていない(英語のグッドバイは「良い通過」ってこと?)。それでも母ちゃんは、「一期一会でいいのよ」と、「さよなら」だけの人なのだ。

俺は今日「さよなら」と言われた気がしたんだな。いずれ来る日なんだから、むやみに先延ばしすればいいとは俺も思わない。それでも「これで卒業するわ、さよなら」と言われると、泣けてくる。

俺はそうしょっちゅうは泣かないのだが、今日は母ちゃんの前で泣き、そのあと一人で昼飯を食いながら泣き、帰りの電車内で泣き、家に帰ってからまた泣いた。たっぷり一年分は泣いた。

これが「悲しい」ってことなのかさっぱりわからんのだが(むかし失恋したときの胸に空洞ができたような感じとはまるで違う)、この文章を書きつつまたしても泣いてしまった。

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2008年3月24日 (月)

【つぶ】親の心、子知らず

どこの高校でも、夏休みなどに英語圏への短期留学をできたりする。娘1号の学校にもあるけど、馬鹿高い金を使って何週間か行っても意味ねーし!と却下。

こーゆーところに家庭の経済力と文化資本は表れるよな。

本人の意思を確認する前から却下と決めたことに気が引けて、一度くらい英語をしゃべる機会を作ってやるかと、2人で上海に行くことに。3泊4日で3万2千円という激安ツアーを予約した。

4/3~4/6に決めたからと言ったら、娘1号は「それより新しい携帯がほしーんだけど」と。

ああ、余計な気を遣ったりしてホント無意味ですわ(´д`)

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2008年3月21日 (金)

【つぶ】萌え

兄と妹の麻雀ブログをさかのぼって全部読んでしまった。なんちゅー暇人だよ!

ぼくも中学のときから目につく麻雀の本はすべて読んできたし、そんなことで共感したり。

で、妹・微エロとか兄と妹では、もしかして萌えるってのはこーゆー感覚なのかな…と。兄が感想を書いてるエロロリ漫画はどうかと思うが。

しかし、中2ってゆーと娘1号より年下。萌えるとかありえないから!

そーいえば、でかい勝負に行く前に、日本古来の作法に則ったお守りにするから娘1号にお毛毛よこせとか考えたこともなかったな。本人にはとうてい言えんし。いや、娘2号にだったら言える…かな?

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2008年3月20日 (木)

【つぶ】真面目に?

ミクシィにて、とあるマイミクさんから、不治の病になったのでミクシィを止めるという連絡をもらった。
その末尾に書かれていた言葉。

私ごときが言うべきではありませんが、どうか真面目になって下さい(笑)。バカセさんは良い人です。

うむむ。
良い人かどうかはともかく、じつは自分でも最近よくそんなことを考えるんだよな。
現状、真面目に日々を過ごしてるとは、まるで言えないし(´д`)

家からけっこう遠いけど、レートが高くて、メタルスライムだらけの雀荘に通うの止めるべきかな?

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2007年6月30日 (土)

【つぶ】魂の救済はどこにあるのか?

規制緩和が進み、新自由主義が全盛となりつつある。子どもですら、中学に入るときには自分は勝ち組になるのか負け組になるのか、うっすらと感じ取るようになってきている。

さらには、人生の規制緩和も進み、男女差も薄れつつある。個人のライフコースでも、就職や結婚などのライフイベントが誰にでも訪れるわけじゃなくなりつつある。

専業主婦という夢。一戸建てという夢。そういう夢を見られない人は増えている。

それでは魂の救済はどこにあるのか? 本当にどこにあるんだろう?

「今」にある。「消費」にある。「セックス」にある。「子ども」にある。「新興宗教」にある。それくらいしか思いつかない。

今の日本人にとって、あらゆる社会問題よりも、魂の問題のほうが大きいんじゃないか。宗教は麻薬だから、魂で社会問題を語るべきじゃないが、魂の不在がすべての不幸の根本に横たわっていると思う。

本来なら宗教がカバーすべき場所があいてしまい、魂のよりどころをなくしてしまっている。それが今の日本人だ。「人はなぜ生きるのか」という問いの答えがもっとはっきりしていれば、多くの人は今よりもずっと幸せなはず。

『1万円の世界地図』という本に、日本人の幸福度は世界90位というデータが載っている。上位で北欧や中欧以外には、5位のバハマ、8位のブータンが目につく。これは宗教の力だろう。われわれは倫理と宗教こそ語るべきなのかもしれない。

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2007年6月29日 (金)

【つぶ】赤ちゃんを捨てた側の論理

赤ちゃんポストの設置をきっかけに、捨て子について議論が起きた。賛否両論あるようだが、否定派の意見は「産んだら育てるべき。それが無理なら産むべきじゃない」という倫理面にまとめられそう。

今週の『SPA!』に「赤ちゃんを捨てた側の論理」という記事が載っている。これは読もうと思い、立ち読みですませず買ってきたのだが、これが予想以上にリアルですごい記事だった。

遺棄少女3人のインタビューから、いくつかフレーズを拾ってみよう。

 * * *

★1人目。15歳。

「父親(相手)は名古屋市内に遊びに行ったときにナンパされてHした18歳くらいの人。『子供できたかも』ってメールしたら、速攻でアド変されて、音信普通状態」

「ウチは親が異常に厳しい。子供の頃、叩かれて骨折したこともあった。だから絶対言えなかった」

風邪薬を12錠一気に飲んだが、すぐに吐き出してしまい、救急車を呼ぶ事態にすらならず、頑丈な自分の体を呪った。

「少し楽になった瞬間、『メリメリメリ』ってアソコが切れる音がして、ゴトって地面に落ちた。夜中の2時頃でした」

「(生まれた赤ちゃんを外に連れ出し)川に投げるか森に投げるか迷った」

「母親の気持ちなんか全然出てこないし、かわいくない、見たくない、見るとたぶん殺したくなる。川に捨ててたら、たぶん少年院に行くことになったかもしれないけど、そっちのほうがラッキーだったと思う」

★2人目。18歳。

「ぶっちゃけ、誰の子かわかんない」

母親は「あんた性病なんでしょ? 頭がパーの子が生まれるから堕ろしないさい」と無責任かつ無知な言葉を繰り返すばかり。

出産は地獄だった。激しい陣痛は半日以上続き、本気で救急車を呼ぶことを考えたが、携帯電話も家の固定電話も料金未納で止まっていた。

「母親は生活保護を受けてたから、乳児院入りが決まったのだと思う。だから、まぁ親が貧乏でラッキーかなと思ったね」

★3人目。17歳。

「妊娠は2回目だった。2回とも、相手は援交の客。1回目は中絶したんだけど……」

(施設から脱走してから)3年間、援交や年齢をごまかして採用された風俗で、生計を立てている。

リョウ(居候先、女)の部屋で産むことにした。産婆はリョウ。もし危険だと感じたら即、救急車を呼ぶと決め、腹を据えた。

「最低なのはわかっている。やっぱり、本当は私が育てるべきだった。でも16歳の家出少女と援交相手との間に生まれたことになるよりは、私と同じように施設で育ったほうが全然マシだもん」

 * * *

という感じ。1人目は「殺したほうがよかった」と言っていて、そう言うことに罪悪感なし。2人目はちょっとした病気にかかった気分で、もう気にしてない。3人目は罪悪感を持っているが、赤ちゃんの乳児院行きを納得もしている。

特集の中には、自称“ピル屋”の「『妊娠しちゃったけど、ピル一気で堕ろしたよ~』なんていう話をよく聞きますよ。『妊娠? 何それ? 性病のちょっと酷いやつじゃないの?』みたいなノリのコもいますしね」という証言もある。

生物的にはセックスというのは子作りなのだが、あらゆるメディアが伝えるイメージは「愛の行為」であるか「快楽の行為」であるかのどちらかだ。本来的にはセックスは子作りだというのは、多数派の側の常識にすぎない。避妊や性病の知識も、必要な者ほど持っていない。

この状況で、なんとしても自分で育てろというのは、虐待や遺棄を増やすだけだ。「赤ちゃんポストは遺棄を助長する」と反対派は言うけど、捨てればいいからって産むやつはいないでしょ。

じゃあ解決策は? たぶんないんじゃないか。経済格差を小さくするというのは現状では机上の空論にしか思えないし、教育をしっかりするというのは効果ないと思う。少子化だし、国が施設で育てるのがいいのでは。

赤ちゃんポスト反対ってのは、自分の倫理を誰に対しても適用すべきだと主張してるだけだよね?

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2007年1月27日 (土)

【つぶ】過去がみな…

長らく更新をサボってしまった。
「教育」や「麻雀」など仕事の周縁について書くテンションが高まらないのだが、ほったらかしは感じ悪いので、またボチボチ更新していこう。

たったいま思うこと。

「友がみな我より偉く見える日よ」という石川啄木の詩がある。

落ち込んだとき、自分ばかりが駄目なように感じてしまう心境だ。

精神的にはそれなりに大人になったため、他人と自分を比べて落ち込んだりすることはもうない。だが、過去の自分を振り返って、書いたものを読み返し、どうやってこんなに書いたんだっけなぁと思ったりする。

といっても過去のものに満足してるわけじゃない。麻雀はともかく教育に関しては、過去をはるか乗り越えていけるようじゃないと明日はないんだけど。

『天牌』という麻雀漫画に「俺が常に勝負しているのは昨日の自分だ」というセリフがある。ざーとらしい言葉だなぁと思ってたけど、昨日はともかくとして、半年前の自分に負けるようじゃホントどうにもならないよな。

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2006年12月 7日 (木)

【つぶ】走れ、赤兎馬!

これから2日ほど、全速力で仕上げなければならないものがあるため更新しません。
走れ、赤兎馬! って感じ?

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2006年12月 1日 (金)

【つぶ】恐ろしい時代

恐ろしい時代に入りつつある。

なぜ「ホワイトカラー・エグゼンプション」という恐ろしい制度が導入されそうになっているのか。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061130/114693/

生活保護費から母子加算を廃止
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2006113001000343.html

まさにアメリカの後追いだ。

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2006年11月26日 (日)

【つぶ】「城」

一度くらい予備校講師をやってみようと思い、短期間の講習のバイトに申し込む。

当日、駅で父親と会い、なごやかに見送ったあと、財布を持ってないことに気づく。カバンに金を発見して、なんとか電車に乗れる。

その日、他にもいろんな予定があったのだが、まるっきり間に合わない。全部ブッチして、予備校に向かう。

偵察のため、他の授業に潜り込んでみると完全に学級崩壊。女性講師のしゃべりなんて誰も聞きゃしねー。

そこで、テキストを忘れたことに気づく。あわてて事務室に借りにいく。

バイト気分だったため予習してない。やべー。授業なんてできねーよ! 「日本史・地理」という合体科目だったため、関係ない話をしてごまかそうと思う。

テキストを見ると、やるべき内容は日本の近代史。んじゃ「右翼と左翼」ってテーマで、何も知らない高校生に「この対立を理解すれば、あらゆる問題が違った角度から理解できるよーになるから一緒に考えてみよー」と提案することにする。

それから教室に向かうが、ちっとも近づかない。同じ校舎の中だったはずが、いつの間にか離れた校舎になっている。あわてて一生懸命向かっているのに、いつの間にか駅前にいる。もう時間はとっくに過ぎている。もう絶望的だ。

と、そこで目が覚めた。

うう、こんな夢を見てる場合じゃねーぜ!!!

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2006年11月22日 (水)

【つぶ】三国志

娘1号(中3)は暇なとき、ぼくの部屋に漫画をあさりに来る。

そして昨日ついに漫画『三国志』(横山光輝・全60巻)を読み始めさせることに成功した。

20巻あたりまで読んだはず。

「面白い?」「まー、それなりに」って感じだった。

ついに娘の教育に勝利した!

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2006年11月10日 (金)

【つぶ】日刊ゲンダイで連載

日刊ゲンダイで20日から1週間だけ連載する。

仕事が完全に破綻してるのに、フリーランスなので依頼の断り方を知らない。それに依頼されること自体、評価の証だからありがたいと思ってしまう。

著者―編集者―読者は、信頼や好きという感情で、メディアの枠を超えてつながるものだって気がする。そういう心がエネルギー源なんじゃないか。

安倍政権の教育改革を多面的にチェックするってな内容。

まあ、スケジュールはなんとかなるだろー。

本当になんとかなるのか?(°°;)

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2006年9月 1日 (金)

【つぶ】器と調理法

文章を書くときに、媒体や企画の内容によって、どんな風に書くかすごく考えてしまう。それは仕事であってもなくても同じこと。文章は絶対的なものではなく、場によって変わるのだ。

たとえば、ぼくはミクシィでは顔文字使いまくりだが、ブログでは使わない。ミクシィはおしゃべりの場だが、ブログは文章の場だとなんとなく感じているから。

ただ、気にしすぎということはあるもので、仕事の場合には意識しすぎたと反省することが多い。今連載している「日刊ゲンダイ」では、新聞という媒体でジャーナリストという肩書きであることから、事実関係ばかりの淡々とした文章にしすぎた。

1回目を見たとき、そのことに気づいたけど、すでに7回目まで渡してしまっていたので、修正できなかった。残りのわずかな回数は、もうちょっと主観的なタイプの文章にしよう。

「器」に収まった姿を見たときに、「調理法」が違っていたといつも気づく。反省することばかりで、これが俺なんだという開き直りの境地には、いつまでたっても至らない。

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2006年8月15日 (火)

【つぶ】自著の評価

ぼくの本の多くは消耗品なので、アマゾンやミクシィでほとんどレビューなどつけられてないんだが、それでもいくつかある。

ちょっと前にミクシィで『アカギ悪魔の戦術』についてボロクソ書いているレビューがあった。

自著についてボロクソ言われたとき、ふつーはどーゆー反応をするもんなんだろう? ぼくの知ってる何人かの人はムキになって反論する。編集者もそう。みんなとやかく言われるのが嫌みたい。

で、ぼくはというと、こうしてボロクソ書かれてるのを見ると、いや、ホントおっしゃる通り、すいません、と思ってしまう。お代は半分返しましょうか?と言いたくなる。

といっても、それで凹むかといったら、そんなことはない。書かれる程度の欠点はすでに自分で考えてる。考えてもないこと書かれたら、パソコンの前でさらに頭を下げてしまうけど。

同じくミクシィに『2時間でわかる決算書 簡単読みこなし編』で、ほめられているレビューもあった。

この本、じつは自分でも、できばえにすごく満足している。証券会社とか銀行の新入社員には、まずこれを読めよ、こんなにわかりやすく、こんなにコンパクトで、大事な部分だけに絞り込まれてる本なんて他にないぜと、マジ言いたいと思っている。

会計については素人のぼくだが、プロにちょこちょこっとアドバイスしてもらって、内容はほぼ全部自分で考えたので、他の分野でも勉強すれば既存の本以上のものはできるんだと自信を持った1冊だった。

だから、このレビューもすごくうれしい。この本があまり売れず、今でもたいして売れてないだろうと想像すると、ちっと悲しい。内容の良し悪しと売れる売れないは別問題だ。

あと、マンガの『楽しく生きる年収300万円時代』につけられたレビューは、原著(字の本)に向けられたものなので、ぼくには関係ないな。通訳の役目は果たしたということで、それでいいのか。

とまあそーゆーわけで、ボロクソ書かれても熱くなって反論したりせず、けっこうクールなのであった。まったく反応がないよりも、ボロクソ書かれる方がなんぼかマシなんだよな。

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2006年8月 7日 (月)

【つぶ】納得いく働き方は可能か?

大晦日のこと、地元のダチと連絡がついて会うことに。

半年ほど前に会ったとき、彼は9年間勤めた出版社を辞めたばかりで麻雀ばかりやっていた。溺れているという感じではなく、どうすれば金を稼げるのかギリギリまで追い求めるスタイル。かなりの麻雀オタクで、この前の最高位決定戦を見に行ったそうだが、自分は地元のピン雀でしか打とうとしない。

会ってみたら、今はもう麻雀はまったくやっていないという。この数ヶ月やっているのはパチンコだと。パチスロが美味しいという話はよく聞くけど、パチンコが儲かるという話は聞いたことがない。どうなんだろう。

それが話を聞いてみると、ここでもすごく「プロ」っぽかった。彼がやっているのは羽根モノのしかも1機種だけだという。これなら攻略できるという機種を見つけてそれに絞り込み、その機種が設置されているホールに出勤する毎日なのだと。

そんなに遠くないエリアに、その機種があるホールを何十軒か見つけ、そこに通っている。その機種でも、釘の閉め方、バネの状態など、条件はいろいろあるから、満足いく台に座ることは難しい。玉を出す前に、その台に1日座っていられたら、それだけでもうれしいくらいだと。

儲かるのかと聞いたら、勝つときは最大1日5万、負けるときは最大1日1万5千だというから、そこそこ儲かるということなんだな。しかし、時給千円の水準は遠いという。こんなに苦労してもロクに稼げるわけじゃないし、普通のバイトした方がずっといいんだけどね。そう言って笑った。

彼とはずいぶん前からの知り合いだが、ずっとこんな感じなんだよな。いつも納得いく働き方を追い求めている。ただ稼げればいいわけじゃなく、自分が熟知している範囲で、自分の納得のいく技術を根拠として金を稼ぎたい。そんな志向がすごく感じられる。

その気持ちはよくわかる。どこまで「納得」がほしいかは、その人のこだわり気質による部分だろうけど、いかにして金を得るかはいかにして生きるかに重なるから、「納得」いかない稼ぎは「納得」いく人生にはつながらない。

彼の姿勢には昔から職人気質と呼べるような部分があって、それは麻雀でもはっきりしていた。以前、彼がリーチに地獄待ちを止めたと喜んでいたのを見て、そんなの打っちまえよと思ったりした。ぼくにもこだわり気質はあるけど、ぼくが偏差値60のこだわり人間なら、彼は偏差値70のこだわり人間なのだった。

こうして彼は、小さな世界で納得いく稼ぎ方を見つけ出しているのだが、とはいっても、その機種がホールからなくなってしまったらそれまで。そんなはかなさの上に立脚する「世界に一つだけの花」だ。

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2006年8月 6日 (日)

【つぶ】懺悔って美徳なの?

何年か前のこと、とある麻雀漫画誌で「教えてハカセ君」というQ&Aコーナーを連載していた。

読者からの麻雀に関する質問に答えるコーナーで、ルールとか、戦術とか、雑学とか、内容は様々だった。Q&Aという特性上、人気は中位安定で、高くもなく、低くもなかった。

だがあるとき、突然変異のように読者アンケートで1位となった。その翌月には元に戻ったから、突然変異としかいいようがなかった。

その内容はなんだったかというと、前号と前々号のミスを認めて、それを訂正するもの。そのページでは毎号3つの質問に答えていたのだが、その号に限ってそのうち2つがミスの訂正となった。

たしか、ひとつがオープンリーチの話で、もうひとつは110符の話だったと思うけど、ぼくが前に書いた解説が間違ってたのですね。それをもう一度取り上げたってわけ。

それも、きちんとおわびするというスタンスじゃなくて、前にこう書いたけど、こんな指摘がいくつも来ちゃって、あららら、確かにおっしゃる通り、いやー、間違っちゃいましたわ、わはははは、すんまへんってくらいの感じだった。それを2問続けてやったんですね。そしたら、メーターを振り切るよーな人気爆発となったのだった。

そのとき思ったのは、これから毎号おわびを続けようかなってことではなくて、雑誌ってここまでミスを認めないと思われてるんだなってこと。だってそうでしょ。ミスを認めたら人気爆発ってことは、こいつらそーゆーこと絶対しないって思われてるからだよね。出版社とか雑誌とか著者って、そこまで人格面で信用されてないらしい。

それだったら「前号の懺悔」というページを作ってもいいし、いっそのこと、表紙にでっかく「またやっちまいました!」と入れたら売れるんじゃないか。そんなことを思ったりした。

世の中の人って、そこまでミスを認めないんでしょうか?

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2006年7月22日 (土)

【つぶ】オヤジの門

自分には、ふてぶてしさが足りない。ずっとそう思っている。男の人生って、ふてぶてしさをガソリンに生きていくもんらしい。その燃料が足りないよ。そう思っている。

ただ、これは主観的な思いなので、多くの人からは「あんた十分ふてぶてしいから!」といわれそうな気がする。でも、ちょっと違うんだよな。自分はこういうふうにしか生きられないからしゃーねーじゃんと思うのと、これって素晴らしい人生ですよと思ってるのはかなり違う。

自分が自分であることへの開き直り。生まれながらの身分なき現代社会では、これがあるかないかで人生がまるっきり違う。

神よ、われにふてぶてしさを! そう思いながらも、ぶっといオヤジへの道をもう一歩踏み出せずに早幾年。

オヤジとかオバサンになることを恐れさせる価値観に塗りつぶされた今、臆せずオヤジやオバサンの門をくぐった者だけが幸せに生きるのかもしれない。

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2006年7月21日 (金)

【つぶ】文章という迷宮

仕事で文章を書くようになって10年以上たってるけど、“文章とはなんぞや”ってことについて、謎は深まるばかり。他人に何を伝えられて、何を伝えられないのか、いつまでたってもわからない。情や心ってどれくらい伝わるものなんだろう?

ライターになって最初の数年間で一番書いたのは情報誌の文章だった。これは必要なことをわかりやすく伝えるのがすべて。そんなに難しいもんじゃなかった。

難しかったのは麻雀の観戦記などだった。そこには価値観があり、心があった。自分の感じたことを正確に書こうとすればするほど、逆に伝わらなくなってしまう。そんな感じがした。

読者アンケートは常に最低ランクだった。編集部は、人気が取れる内容じゃないから、そんなことは気にしないという態度だったけど、自分では納得していなかった。というのも、編集部の信頼などには興味なくて、ほしいのはただ人気と実力と金だった。

何の因果か麻雀病にとりつかれ、それが治らないからこうして麻雀の原稿など書いてるけど、さっさと技術を磨いてもっと広い世界に行って稼がないと家族もろとも飢え死にしちまうぜ、そう思っていた。ぼくの中で麻雀の原稿書きは、浪人が通う予備校みたいなものだった。病気が治ったらさっさと卒業するのだ。

さて、その実力はというと、まるで上達の兆しはなかった。アンケートの順位はいつまでたっても手ごたえゼロ。いくら頭を絞っても、努力が人気の向上に結びつきそうな気はしなかった。この雑誌は俺にとっては下げマンなんだな、どーせ予備校だし、卒業して場をリセットすれば運も変わるだろう、そう思ったりした。

本業として他の編集仕事をやり、副業として麻雀の原稿も書く。そんなスタイルはしばらく安定していたが、その後、情報誌の仕事をやめて、しばらくして別の編集部に入った。するとそこの仕事はロシアの拷問みたいなもんで、次から次へと方針変更の嵐。気を持ち直して新しい方針を固めた頃にまたリセット。真面目に取り組もうとするほど、気が狂いそうになった。金の点では不満なかったけど、金がすべてじゃないとつくづく思った。

それまで、麻雀の原稿書きでは、金の不満はあっても、やりがいの不満はなかった。そして編集部のプリミティブな誠実さというのも、振り返ってみたら貴重なものだった。ぼくの麻雀病はちっとも治っていなかったため、ぼくは麻雀の原稿書きにますます気合いを入れ、昼はリセット編集部、夜は麻雀の原稿書きで、睡眠時間を削る生活だった。

ハードな生活だったけど、夜の仕事があることは本当にありがたかった。フリーランスでいろんな仕事を流れ歩いていると、自分は何をやってる人間なのか自分でもわからなくなってくる。「ぼくは麻雀ライターなんですよ」と思えることには救われた。

そのうちに麻雀の原稿書きの仕事が増えてゆき、リセット編集部が解散になったあと数年間はそれが本業になった。

ぼくが評価された理由は、企画力とか知識量とか作業の細かさとかそういったものだったと思うけど、そのころ文章をいかに書くかということでも、いくつか法則を発見していた。そのひとつはマジになりすぎるなということ。むしろ嘘つきでいい。

話を聞いてもらうには話術が必要だ。これはわかる。でも、文章を読んでもらうには嘘も必要だ。これは納得いかない。納得いかないけど、その法則が存在していることは確かなのだった。そして「汚れちまった悲しみに…」という詩を思い出しながら今日も嘘を書く。

こっちにとっては仕事だからマジになってしまいがちだけど、読む側にとっては一瞬の娯楽にすぎない。気合をぶつけちゃいけないんだよね。その一方で、心のこもってないものは面白くないから、ただ嘘だけでは読むに値しない。

たぶん恋愛と同じようなもんなんだろう。「おたがいの人生をかけてお話がありますっ!」と言われたら相手はビビルだろうし、ちゃらいことしか言わなかったら相手の心は動かない。

そんなわけで、こういう小手先のテクは身についても、文章についての根源的な理解はさっぱり。いい文章とはどういうものかわからないまま、今日も暗闇の中を歩くのだ。

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2006年7月20日 (木)

【つぶ】恋愛社会は異常

ぼくが高校生くらいのとき、恋愛小説の最高峰とされていたのは、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』でした。

これ、どーゆー話かというと、ウェルテルとゆー婚約者持ちの男が、ロッテとゆーこれまた婚約者持ちの女に恋をしてしまうのだが、ロッテの婚約者は人格者だし、自分には自分の婚約者がいるわけだし、ああ俺ってなんて罪深い男なんだと悩んで、自殺しちまうってストーリー。

どーすか? 馬鹿じゃんと思いません?

だってさ、自分の婚約者を捨ててロッテに迫ったっていいし、諦めたっていいし、コソコソ密通したっていい。いずれにしろ自殺までせんでもって思うのが普通じゃない?

恋愛小説って無茶するヤツじゃないと盛り上がらないから、これはこれでいいのかもしれませんが、じつは『若ウェ』は最高峰と呼ばれるだけあって当時の社会を反映してもいたんですね。

ウェルテルってのは、高い教育を受けた優秀なヤツ。しかし、その成果を発揮する場所がない。貴族の次男坊かなんかで、今でいう金持ちニート君です。お隣のフランスでは、革命が起きたりしてて活躍の場がありそう。しかし彼が住むドイツは遅れてて、やりがいのあることは何もないわけです。 焦りを感じるウェルテル。

だから、教育の成果を活かせるのはラブレターを書くことくらいになっちゃって、俺なんて社会に居場所のない人間だと思ってるから、ちょっと不義をやりそうになっただけで自殺までしちゃいます。

ここから得られる教訓は、暇な人間は恋愛に突っ走るってこと。

そもそも恋愛って生死や繁殖に関係なく、よくいえば生きがいだけど、悪くいえば娯楽の一種。人類の生存に、愛は必要でも恋は必要ないんです。

世界最古の恋愛小説とされる『源氏物語』にしても、当時の貴族は暇すぎて、スケベなことでも考えないと時間を潰せないって状況でした。またフランス文学では、愛は12世紀の発明とされていて、王妃と貴族の恋から始まってるんですね。王様と王妃は家柄のみで結婚。王妃は子どもを産んで暇になってから、他の男と恋を始めます。そもそもは不倫なんですよ。

そんなわけで、暇じゃないと恋はできないし、暇すぎると恋に突っ走りやすい。そんなことがいえるわけです。

いま一億総恋愛社会みたいになってますけど、これは人類が暇になったから生まれた状況です。チョコ会社がバレンタインデーを推進するように、各種メディアが煽った結果、恋愛社会化が進んだだけ。恋愛がないと人生さびしいだなんて単なる幻想なんですね。

なんでこんなこと書いてるかというと、最近、知り合いが元彼の横暴に悩んでて、その状況を見ていると、俺にはこれっきゃないと思い込むタイプは危ないなーと改めて思うわけです。ウェルテル化しちゃいます。それが自殺に向かえばいいですけど、他人に向かうとストーカーになる。

恋愛ってそこまで根源的なもんじゃないですよ。かわりに麻雀にでも打ち込むか、んじゃなきゃ犬でも飼いましょう。

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2006年7月17日 (月)

【つぶ】やればわかる?

近所の歌舞伎町【風】の雀荘。

従業員のおっさん達とはすでに馴染みで、打ってる最中はいつもあげまんさげまんとかエロ話のオンパレード。オヤジ1号が、愛のないセックスに命をかけてると広言。

昨日もそんな話ばっかで、すげーなーと思ったのがこんな話。

オヤジ2号「山ちゃんさ、やってみてから、あ、この女とは以前やったなって気づいたことある?」

オヤジ1号「見てもわかんないほど整形してたってことか。うーん、あったかなー」

この話にびっくりして、ぼくが質問。

ぼく「えっ、顔を見ても、しゃべってもわかんないのに、やってみるとわかるもんなんすか?(;゚д゚) 」

オヤジ2号「俺は1回だけそーゆーことありましたね」

ぼく「そんなに一人ひとり違うもんなんすか?(;゚д゚) 」

オヤジ2号「そりゃあ全然違いますよ」

ぼく「わかるもんだと?(;゚д゚) 」

オヤジ2号「ああ、絶対にわかりますね」

見た目は関係なく、一度やった味はすべて覚えているというオヤジ2号。そ、そーゆーもんなの? 何十人何百人の経験があるんだかわからんけど、これにはすごいと思ったね。

その執念つーか気合は見当もつかん。そこまで味わってくれるんなら、女も本望だよなきっと!(…なのか?)

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2006年7月14日 (金)

【つぶ】見えない足元を見る

自分の本を読んでみる。あまり文章としてつながっていないことに気づく。

自分の癖というかよくあることなんだけど、知ってる情報が多いことについては、その情報をただつなげて書いてしまい、文章としてあまりつながってないことが多い。そういうのは読みにくい。

脳味噌が情報型なのかもしれない。自分にとっては当たり前すぎて意識しないようなことから書いていかないと、読みやすくはならない。

逆に、あまり知らなかったことを調べて書いた部分のほうが、ずっと読みやすかったりする。今回の本でいうなら足立区の話などがそうだ。自分でも読みやすいと思う。ろくに知識を持っていなかったことがプラスの結果になっている。

知ってる知識をバッサリ切るのって難しい。意志の力が必要だ。そこが自分の弱点になっている。こういうところから専門家病は始まる。今になって、あー、けっこう読みにくい本にしちゃったなーと思ったりする。

多少時間がたつと、自分の未熟さが見えてくる。何度もダメだしされるような立場ってなったことないもんな。われながら鍛えられてないよなーと思う。一気に読んでしまったという感想を何人かからもらっているから、そういうのはホッとするし嬉しい。でも、それに甘えてしまうようではダメだよね。無駄な歯ごたえはギリギリまで排除せねば。

大きな仕事をすると、自分の欠点がはっきりと出る。そんなときがスキルアップのチャンスなんだろう。多少は無理をしないと欠点も出ないから、そういう点でも今回の仕事はよかった。

次に長い本を書くときは、もっと上手く書けるはず。そうでなきゃ困る。つーか、そうであってくれ! 頼むぜ自分って感じだ。

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2006年7月13日 (木)

【つぶ】立ち止まっていた俺

半年ほど前、単行本にしたら売れそうなネタがあったので、出版社に持ち込んだ。

会社も編集者もどこの誰にするか迷ったが、結局選んだのはぼくが昔いた会社で同僚だった人。

彼は入社10年くらい。最初の3~4年はまるっきり無気力だったが、そこからいきなりやる気を出し、先輩たちをごぼう抜きに出世して、副部長になっている。

1~2年会っていなかったが、電話してみたら、なんと今年の8月から部長だという。副部長になってわずか1年で部長になっていた。

その会社では、こんな出世システムになっている。

平→主任→副編集長→編集長 → 副部長→部長→本部長

編集長までは現場の色彩が強く、副部長から管理職系になる(フツーの出版社では編集長から管理職系になると思う)。

彼より少し前に入った人たちが編集長になったとき、彼は主任になっていたかどうか。しかし他の人たちがそこで止まっている間に、彼ははるかに追い越して部長までなっていた。

持っていた企画書と原稿を見せ、気楽な仲なのでざっくばらんに話をする。そのネタは軍事系だったのだが、彼は中高時代に軍事オタクだったそうで、適切な突っ込みを入れてくる。そして「なんか上手い売り方ないかなー」と、いろいろ質問してくる。

すごくソフトな言い方だったが、その質問に対応してるうちに、ぼくはそのネタが超売れそうだと思った自分の見通しの甘さを感じ始めていた。

いま書籍というものは、5千部売れるくらいが普通だ。いや、それくらい売れてくれれば優等生とすら言える。

そんな状況下で、その会社は1万部売れない本は作らないというくらい高ビーな姿勢を取っており、それをほぼ実現している。まさに出版界の勝ち組だ。その1万部を売るための技術が存在していて、彼はそういったテクを磨くことで急速に出世したのだろう。

じつは、出版といっても中身によって相当違っている。編集者に求められる資質として、作品系(小説や漫画)と実用系(物語じゃないやつ)では正反対に近い。物語というのは情緒の世界だし、非物語は理性の世界になる。ぼくも彼も物語系の場にいたから、自分の資質と環境の折り合いが悪い点では一緒だった。

作品系の優秀な編集者は、数字とか売るテクとか、そういった発想にはまるで不向きだ。彼は作品系の優秀な編集者ではなかったことが幸いしてテクに精を出せたのだと思う。

彼と話していて、ぼくは自分がここ数年の間さぼっていたことを痛切に感じてしまった。そうか、こういう風に考えるんだ。ものすごく勉強になった。彼は切れ者だという雰囲気ではないので、部長になったと聞いてもなんとなく甘く考えていたのだが、編集長クラスとはまるで視点が違っていた。

ぼくはフリーランサーなので、かならずしもマクロな発想をする必要はない。5年くらい前、小さな会社を作るべきか(つまり編集プロダクションの社長になるべきか)というのが最大の悩みだったが、結局、そんなことやってらんねーぜという結論を出したのだった。

だが、そうであるならば、重松清みたいに末端のプロに徹するべきだ。社長のプロになるか末端のプロを貫くのでない限り、中途半端であり、今の仕事を続けていくことはできないだろう。

ぼくは30代前半はかなり頑張ってきたのだが、30代後半は明らかにさぼっていた。惰性だった。自分自身それをぼんやりと感じていたから、今の自分の仕事をイマイチ肯定しきれなかった。

そうか、俺は35歳から立ち止まっていたんだ。そんな現実を、半年ほど前、痛切に突きつけられてしまったのだった。

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2006年7月12日 (水)

【つぶ】「飲みに行く」って何?

数日前、ちょっと用事があって新宿に行き、そこで昔からの知り合いである麻雀プロに会った。10分くらい話をしたあと、彼は新宿二丁目に飲みに行くというので、わかれて帰ってきた。

そのときふと思ったんだけど、俺って飲みに行かないよな。

考えてみたら、行きつけの飲み屋って一軒もないし、顔を知ってるホステスって一人もいない。フーゾクも行かないから、自分に関係ある風俗営業って雀荘だけ。きわめて品行方正というか、カタブツというか。

人に誘われて飲みに行くことはあるんだけど、グループでの飲み会は3回に2回は断ってしまう。酒は飲めるし美味いと思うのだが、飲み会というものになぜか積極的になれないのですね。

10代のころ「飲みに行く」という言葉には、何か不思議な魔法がかけられている気がした。そこには大人社会の異次元空間が隠されている気配があった。でも、その秘密を解かないままいい歳になったし、この先もその秘密を明かすことはたぶんないんだろう。

そんなことを思いつつ、その日も帰りの電車で眠って元気になったから、やはり雀荘に行ってしまったのだった。この世に雀荘ってもんがあってよかったよ。

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2006年7月11日 (火)

【つぶ】世代の作家

25歳くらいのころ、ある日の夜中から早朝にかけて、バイト先の雀荘で夜番をしていた。

その日はフリーの客が4人で打っているだけ。暇だった。 暇なときは、たいてい誰かの後ろから麻雀を見ているもんだったけど、その日は空いてる席で本を読んでいた。

『僕の昭和史』Ⅰ~Ⅲ(安岡章太郎)という本。 この著者に興味があったかといったら、まったくなかった。彼の小説は一冊も読んだことなかった。ただ、こういう一代記みたいなものが比較的好きで、文庫本だというだけの理由だった。

そこに、早朝4時か5時ころ、お客さんが来た。 近くの出版社で取締役をしている人だった。

彼はぼくの読んでる本を見て言った。

「なーんだお前、いまごろ章太郎なんか読んで!」

馬鹿にするような調子で、同時にものすごくうれしそうだった。 そのとき、安岡章太郎を「章太郎」と名前だけで呼ぶらしいと初めて知った。

安岡章太郎は、文学史的には「第三の新人」と呼ばれるグループだ。 安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、遠藤周作、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦朱門などを指す。

ぼくはこのグループの人たちに興味を持ったことはなくて、遠藤周作を2~3冊、吉行淳之介を1冊しか読んだことがなかった。しかも、吉行淳之介の1冊は『麻雀好日』というエッセイだった。

どんな小説家の本を読んでるか、そこには世代が歴然と出る。 ぼくの頃だったら村上春樹や村上龍だった。 安岡章太郎はこの取締役にとってはかなり身近な存在なんだろう。

ぼくはこの『僕の昭和史』をかろうじて3冊とも最後まで読んだけど、まあ読めたというくらいで、彼の小説も読んでみようと思うほどではなかった。やはり、ぼくの世代の作家じゃないと感じていた。

しかし、この取締役が喜んでくれたことで、ぼくは親孝行したような気分になり、ちょっとホッとした。 それまで、負けてる日は取り戻すため、この人に強引にサシウマを挑んだりして、さんざっぱら迷惑をかけてたから。

店員が客に無理やりサシウマを挑む、ひどい雀荘だった。

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2006年7月 9日 (日)

【つぶ】中学生のエロ自慢

娘1号は中3。その年頃はHな知識を持ってる方が偉いらしい。

娘1号はイマイチおくてで、ボーイズラブなどのオタク系も中途半端。そもそもメディア全般に疎い。なので、あまり会話に加われない。

だが、そんな1号にも最後の切り札があったのだ。

ぼくは以前「まんツボ」という麻雀マンガの原作を書いてた。麻雀のハウツー+エロというイージーな漫画だ。掲載誌は送られてくるから、娘1号はそれを小学校低学年から読んでいた。

かみさんは嫌がったが、家業を目にして何が悪いか!(ホントは手伝わせたいくらいだ)という信念のもと、自由に読ませていた。たぶん日本一麻雀漫画を読んでる小学生だったと思う。

そこで今、話についてけなくても最後に言える。

「あたし、そーゆーの小3から読んでたから」

「えー、すごーい!」

そんな切り札としてその体験が活躍してるらしい。役立ってよかった!

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2006年7月 8日 (土)

【つぶ】自虐という回路

西原理恵子さんという漫画家がいる。彼女の漫画は面白いと思うし、ぼくもよく読んでいる。

彼女の出世作は「まあじゃんほうろうき」。麻雀を打ってとことん負ける話だ。その負けっぷりがあまりにすさまじく描かれているので、これを読んだ人は、彼女は麻雀が下手なんだと思うはず。だが、そう思ってしまうのは彼女の自虐ワールドに入り込んでいるからで、じつは彼女は麻雀が相当に強い。

ぼくは彼女の麻雀を観戦したことが何度もあって、直接びっちり打ったことも2度ほどある。そのときの印象は「意外!」だった。あれほど麻雀プロたちと打っているのだから下手なはずないんだけど、それにしてもここまで強いとは思わなかった。目先に流されず、押し引きがものすごくきっちりしている。たぶん、ぼくは負け越していると思う。

「まあじゃんほうろうき」に、どこかの学園祭に行って、貧乏学生がサシウマを挑んできたから返り討ちにしてやったという話がある。彼女と打って負けたとき、なるほど、こりゃ学生たちも負けるだろーよと思ったもんだ。

ここで思うのは、自虐というレンズの屈折率だ。彼女の漫画は事実は曲げられていないけれども屈折率がすさまじい。その後の「恨みしゅらん」や「鳥頭紀行」などでは、その矛先が突っ込みに向かうのだが、こと麻雀系に関しては負け馬鹿日誌になっている。

そう、彼女に限らず、麻雀の体験記って、漫画であれ文章であれ、面白いものは必ず負けた話であって勝った話ではない。麻雀の体験エッセイは、自虐にならざるを得ないのだ。一流の体験エッセイは自虐的であり、だからこそエンターテインメントになって読者を引きつけるし、その一方で良識ある人たちには肌に合わないものとなる。そんな法則が成立している。

なぜ勝った話は自慢話にしかならないのか。なぜ強いものが正しく勝った話はエンターテインメントにならないのか。そんなことを思うようになって何年も経つのだが、いまだにその答えを見つけられない。そして誰の麻雀エッセイを読んでも、面白いものは自虐という文法に従っているのだ。

なぜ自虐でなければならないのか、その謎はいまだ解けない。少なくとも腑に落ちない。

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2006年7月 7日 (金)

【つぶ】専門誌

たまたま本屋の教育コーナーで『教育の私事化と公教育の解体』という本を見つけた。公教育の変質についてストレートに論じている画期的な本。『教育格差絶望社会』を書く前に知ってたらと思いながら、3200円もしたけど買った。

この本は教育開発研究所という出版社らしからぬ名前の会社が出している。中に出版物の案内が挟まれており、そこには『月刊 教職研修』という雑誌が紹介されていた。

これは「教育管理職の総合研修誌」だそうで、「主任、教頭、校長になったら、まず本誌をご購読ください!」だそうだ。

『月刊 食堂』とか『月刊 むし』とか『隔月刊 風の旅人』とか、いろんな雑誌があることは知ってるけど、いやはや『月刊 教職研修』とは、世の中も出版の世界も本当に広い!

そういえば、10年以上も前だけど、パチンコ店の経営者向け専門誌の求人を見て、それを作ってる会社を見に行ったことがあった。その雑誌を見せてもらったら、まったく理解できないカタカナ経営用語のオンパレード。まるで外国語のようだった。世の中って広い!

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2006年7月 5日 (水)

【つぶ】結婚の真実は?

結婚1~2年目のころ、ボーナスを一瞬で失った。 種目はチンチロと大小だった(麻雀ならそんなに動かない)。

ぼくがかみさんにカミングアウトして(さすがに1週間ほどいえなかった)、かみさんからぼくの両親に伝わった。すると翌日、ぼくの留守中に父ちゃんがすっ飛んできて、10万置いてこういったらしい。

「どうか長い目でみてやってほしい」

ぼくがかみさんに見捨てられることを恐れたよーだ。

いやはや親ちゅーのはありがたいもんだが、結婚に対するぼくと親の認識はものすごーく違っていたのだった。

ぼく「泣いて結婚してくれっつーんだから、んなら結婚してやるか」

両親「ついにうちの馬鹿息子を引き取ってくれる奇特な娘さんが!」

どちらが真実に近かったのか? この問題を追及するのは止めとこう( ̄w ̄)プッ

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2006年7月 4日 (火)

【つぶ】イマドキ中学生の遠距離恋愛

娘1号(中3)が携帯メールを何度もやり取りしている。誰からか聞いてみたら、オンラインゲームの友だち(♀)で、恋愛相談されてるという。

その子(♀)が付き合ってる相手も同じネットゲームをやってる子(♂)。共通の知り合いだから娘1号に相談するんだと。

(;゚д゚) 「その二人は会ったことあるの?」

娘1号「これから初めて会うんだって」

(;゚д゚) 「なんじゃそりゃ! どことどこなの?」

娘1号「愛知と山口かな」

(;゚д゚) 「遠いじゃん! いくつ?」

娘1号「両方とも高1だって」

(;゚д゚) 「ゲームってチャットしながら戦うだけだろ。どーやって付き合うよーになるんだよ?」

娘1号「メールとか電話とかさ」

(;゚д゚) 「んで、何を相談されてるの?」

娘1号「♂はね、猫かぶってた♀が好きなんだって。素を出したら前の方がいーと言われたんだって」

(;゚д゚) 「そーゆーオタク男は振ったれ!」

娘1号「でも、あまりキツイこと書けないしなー」

(;゚д゚) 「そーゆー恋愛相談ってよくされてるの?」

娘1号「この♂の方からもされそうなんだ~」

恋愛とは無縁の娘1号に、なぜか恋愛相談が舞い込んでくるそーな。

それにしてもさ、会ったことないけど付き合ってるって何なんでしょ。いや、感覚としては理解できるんだけどさ、でも不思議な現象であることは確かだよね。そもそも付き合うって何なのかもはっきりしないし。

そーいえば、ぼくのネット上のダチにもそーゆー人がいる。40代主婦で、10歳くらい年下のネット彼氏がいて、会ったことないし、会う気もない。でも彼氏なんだって。かわゆい!

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2006年6月30日 (金)

【つぶ】まさに日記

昨日、朝10時くらいに電話がかかってきて、『麻雀検定』の青焼き(ゲラの一種)が出たから、会社まで読みに来てくれないかという。都合が悪かったらどーなるんだろ?と思いながら、すぐ行く。

修正点はけっこうたくさん。今回は後ろの方に難しい問題を増やした。担当者がそれを自分では解いてないと聞き、ビックル一気飲み。おいおい。解答あるんだからさ。入念に解き直したけど、一人しか考えてないのって危ないよな。ぼくが作るの遅すぎたから? いや、考えるのやめとこう。

終わったあと会長室に行く。『近代麻雀』創刊当時の話をしてほしいと頼んで聞く。そこで衝撃的な事実が明らかになる。なんと昭和50年代の専門誌『近代麻雀』にして、黒字を出したことはほとんどなかったという。せいぜいトントンで、大半は赤字。麻雀誌の利益は最初から漫画によるものだった。つまり、麻雀出版史上、利益を出した専門誌は存在しないのだ。これは麻雀の専門誌を待望する人々の希望を打ち砕く事実ではあるまいか。

帰りに過去100食は食べてる神保町のカレー屋のカレーを食い、本屋を3軒回って帰宅。けっこうな規模の本屋に行ったにも関わらず、『教育格差絶望社会』は1軒は平積み、1軒は棚差し、1軒なし。露出度はもうひとつ。大学時代に『文学という弱い立場』という本をわざわざ古本屋で見つけて買ったのに、結局は読まなかったなと関係ないことを思う。しかし、巨大メディアや大出版社と自分の立場を比べて愚痴を言うようになったらおしまいだよな。情けないことは考えまい。漫画業界には、自社を大手3社と比較してグチグチ言う編集者が多い。

帰ってすぐ爆睡。目が覚めたのは深夜1時。それから御茶ノ水バビロンに。24時間以内に半荘10回打たないと今月のキャッシュバックをもらえない。先月分のキャッシュバックが振り込まれてないと苦情を言うと、「すぐ調べます。明日の朝10時にお電話してよろしいですか」と。麻雀は4回打ったところで卓割れ。1244。マイナス1200円。

帰ってから『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』という本を読む。スリリングな枠組みだ。ポスト産業資本主義時代には、常に新しいモノを出し続けていかねばならないという岩井克人先生のお話を思い出す。自分の将来を感じさせるな。果てしなく“新しい物語”を生産せねば食えなくなる。いや、出版っていうのは以前からそういうものか。

バビロンから電話が来たのは昼1時だった。向こうの事務手続き上のミスだという。来月ちゃんと振り込みますからと。今日中にあと6回打たねば。最近はこのキャッシュバックシステムはPRされてないけど、ぼくのような最低回数しか打たない嫌な客しか来なかったんだろうな。

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