2008年4月25日 (金)

【教育】モンスターペアレント

『バカ親って言うな!』(尾木直樹、角川oneテーマ21)
『親たちの暴走 日米英のモンスターペアレント』(多賀幹子、朝日新書)
『凶暴両親』(成松哲、ソフトバンク新書)

という、モンスターペアレントを扱う新書3冊を読んでいる。

2番目の本では、アメリカのヘリコプターペアレント、イギリスのフーリガンペアレントが紹介され、イギリスの話がすごい。

日本で問題になってるのは苦情で、アメリカでは過保護だが、イギリスの場合は、まず暴力だ。親からいきなり殴られて骨折した教師(ちっとも珍しい話じゃないらしい)、そして、自分の家族といるところを車で襲われ、家族ぐるみでひき殺されそうになった教師など、まさに命がけ。イギリスでは、社会全体で暴力事件がものすごい勢いで増加しており、1995年から2005年にかけて10倍になった。それが学校にも押し寄せてきている。

また、雪の日に生徒たちを遊ばせていたら、ある子が転んだ。怪我してないことを確認し、そのままにしておいたら、後日、学校に弁護士から分厚い訴訟書類が届いた。賠償金を要求しており、このように最初から金狙いのケースも増えている。

いやはや、とんでもないですわ。話せばわかるってレベルを、とっくに通り過ぎてるんだもん。

日本もいずれそうなる…とまでは言えないけれども、似たような傾向は出てくるんじゃないかね。安倍教育改革はイギリスを見本とする面が強かったけれども、その愚かしさがわかるな。サッチャー改革以降に暴力事件が激増したようだし。

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2008年3月25日 (火)

【教育】岩波書店ってやつぁ

東大の経済のセンセが書いた『教育再生の条件』なる本を読み始めてみたんだが、なんで、浮世離れしたこと言ってんじゃねーよ!と感じられるのか?

内容としては、こんな感じ。

 * * *

世界的に、競争社会vs協力社会という対立があって、日本は競争社会になってると。それは不毛で、スエーデンのような協力社会がよろしいと。

20世紀後半に、世界は工業社会から知識社会に移行した。スエーデンは労働者一人当たり付加価値を高めることを目指し、日本は労働者の仕事を単純化して人件費を圧縮する方向に進んだと。結果、同じ時期にバブル崩壊したにも関わらず、その後、スエーデンは付加価値の高い産業が発達して経済成長し、日本は低迷した。

これからの時代は、既存の知識はあっという間に陳腐化するから、生涯学びが必要になる「学びの時代」であって、学校教育だけでなく、生涯学ぶことを国家が支援する態勢が必要になる。

日本も早く、外から圧力を加える「盆栽型の学習」ではなく、自発性老いを大事にする「栽培型の学習」にシフトしなきゃいかんと。

 * * *

今の日本の教育を批判する理屈として、これはけっこうスタンダードなもの。この著者のみが言ってることじゃない。

実際、娘1号がやってることを見て、日本の教育内容の古臭さはつくづく思う。知性的じゃなさすぎる。頭を使ってない。

たとえば、地球温暖化とか少子化とか、世の中にはいろいろ問題もあるのに、そういったことから遠く離れて、無味乾燥“客観的”な知識体系を頭に入れろってのは、作業でしかない。「あらすじで読む世界の名作50選」を、あらゆる分野で丸暗記してるよーなもんだ。

実際、OECDの人から、日本の教育が想定してる労働(マニュアルを習得しそれを運用する労働)は、世界から消えつつあると警告されてるくらい。

だから、著者が主張することには基本的に異論ないのだが、それなのになぜ、この本に限って浮世離れしてると感じられるんだろう? 空中から洞窟に向かって語っても意味ねーよ、まったく岩波ってやつぁと感じられる。

競争社会=新自由主義=アングロサクソンで、北欧とは思想の枠組みで対立してるってパワーポリティクス的な構図が示されてないからか?

この本、増刷までされてるんだが。

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2008年3月18日 (火)

【教育】今年の東大入試の結果から

先日、東大の合格発表が行われ、高校別のランキングが載った週刊誌が3誌も売られている。

厳密には後期が残っているが、まあ大勢はわかる。ランキングにはいつも通りの学校が並んでいる。例年と大差ない。

そのなかで、ひとつ目についたこと。

それは医学部進学コースである理3に、開成14名、灘19名、筑波大附属駒場13名と、3校で46名も合格していることだ。理3の定員は90名だから、この3校で過半数を超えている。

こんなことはかつてなかった。史上初だ(とはいえ、開成と灘は以前からこんな感じなので、筑波大附属駒場が多かったことが今年だけの現象と言えば言える)。

東大の医学部というのは難関中の難関で、普通の子は入ることができない。18~19歳の時点で受かることができるのは、日本で最高の秀才たちと言って過言ではない。

そこが一部の高校に占拠されつつある現象は、何を意味しているか?

それらの学校には、生徒を最難関に送り込む力があるのか? いや、そういうわけではない。カリキュラムが特殊なわけではないし(灘は多少あるが)、教師が特別に優秀なわけでもない。

では、なぜこんな現象が起きるのか。

(1)まず言えること、それは12歳の時点で、ある程度の選別が済んでしまっていることだ。将来、東大の医学部に行けるような子は、大半が中学受験して、首都圏か関西の最難関中学に入っている。

昔はもっとバラけていたというのは、将来、東大の医学部に行けるような子でも中学受験しない子がそれなりにいたし、また中学受験しても、かならずしも最難関中学には入っていなかったのだろう。

(2)もうひとつ考えられること、それは中学受験せず公立中学に行ったは、東大の医学部に入るのは難しいということだ。とはいえ、これはまだなんとも言えない。素質のある子は大半が中学受験してしまうのか、素質がある子でも公立コースでは東大の医学部までは入れないのか、2通りの解釈が成り立ち、どちらとも言いきれない。前者の傾向は間違いなく強まっているが、後者の傾向が進んでいるかどうかは定かではない。

3校とも、高校募集しているから、高校から入学する子もいる。だがおそらく、高校から入った子で、東大の医学部に入れる子はいないだろう。データはないが、今年の46名はおそらく全員が中学入学ではないか。最近は、この3校とも、トップクラスは中学入学の子ばかりになっている(英語はそうでもないが、数学力が決定的に違い追いつけないらしい)。

※その後、高校入学者にも理3合格者はいっぱいいると判明。灘では約3分の1らしい。

東大に入るくらいだったら、1学年3000人もいるから、他の私立中学や公立中学などのコースでもどうにかなる。だが、1学年90人の医学部となると、特定のコースを通らないと難しい時代になりつつある。

同じような現象は数学オリンピックでも見られる。最近、上位者は灘と筑駒ばかりになってきている(開成は最近少なめ)。数学の素質のある子は全国に分散しているはずだが、結果を見る限り、最近ではまったくそうなっていない

フランスの国立行政学院は1学年の定員が100人あまり。有力な政治家はみなここを出ていると言える超エリートコースだ。普通の子は入ることができない。幼少期からの家庭環境も大きい。それを思わせる現象が日本でも起きつつある。

同じように、京大医学部の結果を見てみると、大量合格者を出している高校は、東大寺学園13名、甲陽学院8名、灘14名といったところ。京大に入るだけだったら、大阪や京都の公立中学から公立高校でも可能だが、医学部に入ろうと思ったら、こういった学校に中学から入らないと難しいのだ。

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2007年9月13日 (木)

【教育】私立中高の価値2

前回の続き。

同じランキング表から読み取れる傾向として、大学附属の凋落以外に、もうひとつポイントがある。

男子の上位2階層を見てみると、成蹊、成城、青山学院の没落以外は今とそれほど大きく変わらない。早慶附属はもとより、進学校系では、開成、武蔵、駒場東邦、桐朋、城北、海城と、今でも実力派の学校ばかりだ(高校募集を止めた学校も中学入試の難易度から判断している)。

また、難易度を大きく上昇させた学校もさほどない。あえて言うなら、巣鴨、攻玉社、本郷がそう。

しかし、女子では状況が大きく違う。

1965年当時、最難関だったのは慶應女子、青山学院、成蹊の3校で、第2ランクは成城学園、雙葉、桜蔭の3校だ。このうち、今でも地位を守っているのは、慶應女子、青山学院、雙葉、桜蔭の4校だ。男子校より数がグッと少ない。

逆に、難易度を上昇させた学校の数は多く、変化幅も大きくなっている。男子では全8階層のうち5番目から攻玉社、本郷が出ているが、それより下から成り上がった学校はない。それが女子になると、階層6番目から、頌栄、豊島岡、吉祥、晃華が上位まで上がっている。とくに豊島岡など、現在ではほぼ最難関クラスとなっているのだ。詳しくはトレースしないけれども、階層3番目、階層4番目から転落した学校もかなり多い。

その変化を一言でまとめるとどうなるか。女子校では、良妻賢母的な伝統校は難易度を落とし、進学校が難易度を上げたのだ。おそらく、この当時は桜蔭ですら東大に入るのは2~3人くらいだったのではないか。それが現在では50~60人。女子校の進学校化。それがこの40年間の大きな変化なのである。

この傾向は今後も変わらず、さらに進むだろう。いずれ最難関校が桜蔭で、次が豊島岡となり、雙葉や(この表にはないが)女子学院の難易度は下がっていくのではないか(慶應女子は判断できない)。

これからは、女子校も男子校とさほど変わらない価値基準で選ばれるようになってゆくだろう。女子校の独自性はその大半が薄れてゆく。グローバリズムの観点から見れば、そんな傾向が予測される。

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2007年9月 3日 (月)

【教育】私立中高の価値

こんなものを見つけた。
40年前の東京の私立高校の難易度ランク
今の序列と大きくは変わっていないが、やはり多少は違う。

男子校で評価を落とし、全8ランクのうち上位3ランクから外れたのは、成蹊、成城学園、東京電機大学、芝浦工業大学工業、正則、森村学園、工学院大学、成城、獨協、京華、日本大学第一、日本学園、武蔵工業大学付属、國學院、芝浦工業大学、聖学院、明星学園 明星といったところか(よく知らない学校も入っているので間違っていても御容赦を)。

評価を上げたのは、早稲田実業、巣鴨、攻玉社、本郷だ。

女子校で上位3ランクから外れたのは、三輪田学園、森村学園、跡見学園、恵泉女学園、調布、東京女学館、國學院、明星学園、明星か。

評価を上げたのは、光塩女子学院、頌栄女子学園、豊島岡女子学園、吉祥女子、晃華学園だ。

男女共通して目につくのは、かつて最高ランクだった成蹊と、第2ランクだった成城学園だろう。今ではさほどの難関ではなくなっており、没落貴族を思わせる。

全体として言える傾向は、大学附属の凋落だ。人口増加時代には、将来の進学先を前もって押さえてしまうことには価値があった。だが人口減少時代に入って、前もって将来の進学先を押さえることには価値がなくなった。土地と一緒で、将来値上がりしそうなら早めに買ってしまう方がいいけれども、将来値下がりしそうなら実際に使うときになって買った方がいい。

今は待てば待つほど得する時代なのだ。だから将来の進学先を押さえる必要はなくなり、大学附属は凋落している。ただし、早稲田や慶応など、大学附属であっても、今でも最高人気のところもある。その違いは何かわからないけれども、輝きを保つ学校もあれば失う学校もある。

また、大学附属ではないが、オリジナルティあふれる教育を行う学校も人気を失っている。森村学園や自由学園などがそう。今では独特の校風を持った私学らしい私学は人気を失い、進学校的な雰囲気を持った学校でないと人気がない。ぼくの姉は自由学園を出ており、ここがいかに魅力的な学校か、ぼくの親などはいまだに熱弁をふるうけれども、今では実質的に全入なのだ。

こういった学校は簡単に校風を変えられない。変えようとしたら教員を総とっかえすることになる。私学らしい私学は受難の時代だ。大学附属の場合は、半附属になって進学に力を入れるという手法があるので、どの学校もそちらに走り出しているのがこのところの風潮だ。

最近でも、子どもの受験に際して大学附属を考える親は多い。そして大学附属は、中学受験では人気を失っているが、高校受験では今も人気がある。しかし(すべてのケースとは言わないけれども)、親が大学附属を考えるときは旧来の思考法に囚われていることが多いのだ。中央大学ですら公立中学を附属化し、将来の学生をキープしようとしている時代なのである。

今では高校の名前には価値がなくなり、高校は大学へ進むための単なるプロセスとなった。高校の教育内容には価値があるけれども、それが大学につながらなかったら意味がないと考えられている。そして今、どの大学を出たかは最終学歴として意味があるとされているけれども、将来はそれすら意味を失うのだろう。すでに高校の名前には価値がないように、大学も単なるプロセスとなり、生涯実力社会となる。伝統や独自の教育力は春の雪のように消えてゆき、就職力ランキングのみが残るのだ。

今現在の能力がすべて。そのためには、今を楽に過ごそうというシステムはマイナスでしかない。それが現代的な思考法となったのだ。

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2007年8月11日 (土)

【教育】公立中学も格差の時代に

久しぶりに教育の記事を書いた。書評。

『塾不要 親子で挑んだ公立中高一貫校受験』

一言でいうなら、フツーの子がフツーの中学に行き、だんだん分化して別々の高校に行くって姿から、ますます遠ざかっているということ。

こーゆー現状に対して多くの人は、中学までは多様な子が集まるのが本来だと総論反対するけど、いざ自分の子のことになると摩擦の少ない集団を選ぶ各論賛成となる。それが現状。「公共性」の復活はあるのか?

公立一貫校は全国にいっぱい作られてるけど、本格的なヤツはほとんどなくて、この点でも今のところは私立中学以上に東京一極集中だ。

この本の著者(日経新聞記者)がけっこう嫌なヤツでさ。自分は公立派で私立を敵視してるけど、その一方でフツーの公立に対する差別意識はしっかりあって、要するに我が子自慢でしかないという。私立を敵視してる理由はまったく書かれてないし。

一般に公立の問題点はマネジメントにある。理想はぶち上げるけど、現場のマネジメントができないという。九段中学はそこらへんどうなんだろう? まだ答えを出せる段階じゃないと思うけど。

日比谷高校だって卒業生からボロクソ言われたり、とにかく役所仕事はトップダウンで、現場コントロールが弱いもの。

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2007年8月 3日 (金)

【教育】公立中高一貫校

『塾不要 親子で挑んだ公立中高一貫校受験』という本を読み、書評を書いた(8月10日に掲載予定)。著者の長男と次男が受検し入学した九段中学は、どうやら素晴らしい学校のようだ。

文字から得た情報で判断する限り、京都の堀川高校や東京の九段中学は、本当に魅力ある学校を作っている。

堀川高校は普通だと思うけど、九段中学は年間3億円超というとんでもない予算を使っている。都立でなく千代田区立である強みだ。さらに千代田区にある大使館や大企業などを総合学習に利用している。

考えてみると、国立の筑波大附属駒場や筑波大附属がスーパー進学校なんだから、実験校という弱みのない公立一貫校がそれ以上の評価になってもおかしくはない。

卒業生が出るようになっても、進学実績では当面は開成や桜蔭には劣るだろうけど、いずれそれ以上の評価を得るんじゃないか。

もし、自分に小学校高学年の息子や娘がいたなら、もっとも入れたい学校は九段だと思う(小石川や両国など、他の公立一貫校のことは判断できない)。開成や桜蔭よりもはるかに魅力的だ。教育内容では、私立以上の公立が出つつあるのが最近の状況じゃないかと思う。ただ、公立というのも、お役所バックならではの短所があるから、そこまで高く評価するのはまだ早すぎるかもしれないけど。

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2007年1月31日 (水)

【教育】安倍教育改革4

いよいよ「日刊ゲンダイ」の連載も最終回。
昨年秋に書いたもので、バウチャー制についての認識などその後新しくなりましたが、根本は変わりません。


安倍政権が誕生して間もない10月末、富山県の高校で発覚してアッという間に全国に飛び火した未履修問題。その後、全国の1割もの高校が該当すると判明した。

この問題の原因は、高校で学ぶ内容が増えすぎたことにある。80年代以降、小中学校で学ぶ内容を減らして、片っ端から高校に送り込んだため、高校はパンクした。けれども、大学入試で求められる水準は下がらなかったから、進学実績を上げたい高校は学習指導要領を守りきれなかったのである。

もう一つの要因として、学校で学ぶ内容と受験で求められる学力がダブルスタンダード化している状況がある。受験対策の比重が高まるのにともなって二重構造が生まれ、教育制度上の歪みとなっているのだ。この問題に対して、伊吹文科相は防戦一方だ。すぐには抜本的な対策は取れそうもない。大学入試改革といっても、今の入試が手抜きというわけではないから、十分検討した上でないと事態は悪化するだけである。未履修は制度としての根幹から来ている問題なのだ。

それでは、安倍政権が教育改革の切り札として掲げる教員免許更新制と教育バウチャー制はどうか。教員免許更新制とは、教員免許は10年ごとに更新しなければならないというもので、不適格教員の排除を目的としている。だが、これは間違いなくマイナスに作用する。たしかに不適格教員がいるのは困るが、わずか数%にすぎない不適格教員を排除するために、全員に研修を課すわけだから、教員はますます疲弊する。いま、学校を飛び回っている書類の量は膨大なもので、先生たちは目の前の子どもと関係ない作業に圧倒的な時間を取られている。必要なのは、むしろ研修や調査を減らすことなのだ。

教育バウチャー制はどうか。これは家庭にバウチャー(金券)が配られ、公立でも私立でも自由に選んで授業料として使える制度だ。非常に大胆な制度変更で、専門家でもその長所と短所について定説はない。現状でわかる範囲でいうなら、これも期待できない。親にとって、子どもの教育環境を選ぶことは重要になっているが、だからといって、すべてを自由選択に任せ流動化させたときに、全体の質は上がるだろうか。公教育は国としてのインフラであって、水道や道路のようなものだ。経済的に余裕がある人もない人も同じように自由競争に任せたら、結果として、豊かな人々が美味しい水を飲み、広い道路を独占する傾向が強まるだけだろう。

教育改革を最大の課題とする安倍政権の姿勢は評価できる。しかし、どの案にも疑問符がつき、貧困家庭が増える一方の現状ではその効果は空しいのである。(おわり)

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2007年1月29日 (月)

【教育】安倍教育改革3

年が明けても「日刊ゲンダイ」の連載から。昨年秋に掲載されたもの。
投稿欄に続きへのリクエストがあり、ビックリしましたです。


安倍首相は首相になる直前、就任したあかつきに行う「教育再生」の案として、びっくりするアイデアを出した。国公立大学の入学時期を4月から9月に変更し、高校卒業から大学入学までの半年間は、ボランティア活動を義務付けるというのだ。

自分でもマズイと思ったのか最近では言わなくなってしまったが、この改革案がいかに愚策であるか説明しよう。

注)別にマズイと思ったわけではないようで、最近でも秋入学は検討課題になってます。

これは実質的な国公立大学の学費値上げである。ボランティアは自分でするからボランティアなのであって、義務付けられたら強制労働にすぎない。入学前に半年間の強制労働が課されるとすれば、卒業するのが半年遅れ、それがそのまま生涯の逸失賃金となる。

国公立大学に入学する者だけ、生涯賃金から半年分を差し出せということになったら、おそらく文系なら実質的には私立大学に進んだほうが安くつく。つまり、現状でも大学進学の費用は先進国のなかでもとんでもなく高いのに、さらに値上げすることになる。

最近では、親から学費だけ出してもらい、生活費は自分でアルバイトして賄っている学生は決して珍しくない。そういった者は国公立大学に入れないことになる。また、住居費負担で考えると、子供が自宅から国公立大学に通える都市部の住人と、そうでない地域の住人との教育環境格差はさらに広がる。

高校では公立はしばりがきついため、進学実績では私立が有利だった。それと同じような公私格差が大学にも導入されることになってしまう。

安倍首相は就任してからはボランティアを課すと口にしなくなった。保守右派だった首相前に比べて、バランス派を意識しているように見える。しかし石原慎太郎都知事にはそんな配慮はないから、東京都では来年度からすべての公立高校で「奉仕」が必修化される。実施する学年は学校に任され、1単位(35単位時間)以上とされている。こんな現実を見ると、アイデアを引っ込めた安倍首相を讃えたくなる。レベルの低い二者択一だが……。

安倍首相がしばしば口にする愛国心も、学校教育で注入するようなものではない。国民が外国に逃げ出しているかどうか、それが愛国心をはかる最大の指標だろう。現状では金持ちが資産ごと逃げ出すケースが目につくくらいだから、サッカーのワールドカップで日本チームを応援する一般庶民は、愛国心に満ちているといって過言ではない。

今すべきは、学費を上げることではなく下げることだ。前途有為な若者たちのために学費を大幅に値下げする。これほど愛国心を感じさせる教育政策が他にあるだろうか。(つづく)

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2007年1月28日 (日)

【教育】老人天国

「最近は国会でも教育の話ばかりしてるけど、話してるのはみんな老人だよね。

公立の学校ってのは、教育委員会が人事とか予算とか重要なことは握ってるわけだけど、教育委員って元校長でしょ。みんな年寄りだよ。若者ゼロ。そんな年寄りばかりが集まって重要なことを決めてたって、上手くいくわけないでしょ。

たとえば防衛省で、定年になった人が幹部になるシステムだとしたら、どうなると思う? じいさんばかり集まって、旧海軍がミッドウエーで失敗した理由は…なんて話しながら方針を決めるわけでしょ。上手くいくわけないよ。

そんな組織ってどこにもないよね。せいぜい、OB連が威張っている大学の体育会くらい。それが教育の現場では行われてるわけだから、上手くいくわけないよ。年寄り連中が集まって愛国心だのなんだの議論してたって、意味ないさ」

とある元高校教師(父ですけどね)が電話で言ったこと。確かにその通りですな。

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2006年12月25日 (月)

【教育】安倍教育改革2

いつまでたっても「日刊ゲンダイ」の連載から。


いま教育に関して一番心配なことは何かと、子どもを持つ親にインタビューしてみたなら、まず挙げられるのはいじめだろう。

文科省は10月、いじめの実態を再調査すると発表した。1999年以後は「いじめを理由とした子どもの自殺」はゼロだという統計は、さすがに都合が悪いと思ったようだ。これでは、これまで学校がいじめを隠蔽してきたと認めたことになる。

いじめや不登校を報告すると、校長や教頭は学校経営能力がないことになり、給与を下げられる人事制度が90年代に導入された。それをキッカケに、学校は隠蔽体質になっていった。教員にしても、いじめを報告すると膨大な調査を課されるため、ことなかれ主義に陥っていた。学校はそんな病に侵されていたのだ。

それでは、安倍政権はこんな過去の“遺産”を改善していけるのだろうか。それを考えてみよう。

まず、問題が大々的に報道され注目されたことにより、隠蔽体質にはメスが入れられるはず。だから、短期的に見るなら状況は改善される。

だが、長期的に見るなら、いじめが減るとは考えにくい。というのも、いじめに特効薬はなく、学校の風通しをよくしながら、教員と家庭のチームワークで子ども集団に目をかけていくしかないからだ。そうするだけの余力が、いま学校や家庭からますます失われていきそうな状況にある。

子どもがいじめにあったとき、「世界を敵に回しても、お前を守ってやるからな」と親が言ってくれるかどうか。これはものすごく大きい。だが、現実にはそんな親は減っているのだ。借金に追われている親が、子どもの友人関係に気を配るだろうか。また、昼も夜も働いているシングルマザーが、子どもの悩みをゆっくり聞いてやれるだろうか。子どもがいじめにあったとき、親がセイフティネットとして機能するのは、経済的・時間的に余裕のある家庭だけなのである。

小中学生の親ならたいてい感じていることだが、いじめを呼び学級崩壊の原因となるのは、多くの場合は貧しい家庭の子だ。幼児期から親が家にいないまま放っておかれた子たちが少なくない。そんな子を生み出さないことが、いじめ問題の根源的な対策となる。経済格差の拡大を止めるしかないが、その対策は取られる見通しもない。

また、教員側のゆとりも大切だ。時間に追われている教師が、子どもたちの様子に気を配れるはずもないだろう。安倍首相の掲げる教員免許更新制や教育バウチャー制は、教員の世界に競争を持ち込むものだから、ゆとりを奪ってゆく。長期的に見るなら、安倍教育改革がいじめを減らせるようには思えないのである。(つづく)

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2006年12月18日 (月)

【教育】安倍教育改革1

またしても「日刊ゲンダイ」の連載から。今度は安倍教育改革について。


9月に安倍政権が誕生して、「教育再生」を最重要課題と位置づけた。そして、教育再生会議を設置し、衆院では教育基本法改正案を強引に押し通した。

それに呼応するかのように、教育に関する問題が沸き起こってきた。まず、全国の1割もの高校が必修科目を学ばせていなかった未履修問題。いじめによる自殺をこれまで学校が隠蔽してきた事実が明るみに出て、伊吹文科相に自殺を予告する手紙が続々と送られてきた。教育改革タウンミーティングでは、政府のやらせ発覚である。

教育改革がいよいよ重要になっているのは、誰もが認めるところだろう。それでは、安倍政権の教育改革とはどういったものなのか。教育といっても幅広いから、まだ見えていない部分も多いのだが、見えている要素を集めて検討してみよう。

安倍教育改革の根本にあるのは何か? それは「教育再生」という言葉に表れている。「再生」とは「再び生き返ること」であり、古き良き時代に立ち戻ることを意識させる。そう、安倍教育改革の精神は「復古」なのだ。グローバリズムの進展など、教育を巡る環境は大きく変化しているが、その新しい状況に、過去の〝理想郷〟へ回帰することによって対応しようとする。安倍首相の著書『美しい国』というタイトルを見ても、そんなノスタルジックな雰囲気が表れているではないか。

昭和35年に総理大臣が岸信介から池田勇人へと代わったとき、自民党は思想保守から経済保守に切り替わった。その前の時代、つまり祖父である岸信介の時代に戻し、やり直そうという思想が安倍首相の根底にはある。

その具体的な表れが教育基本法の改正だ。狙いは、教育段階からの国民の管理強化と愛国心の注入である。経済格差が開き貧富の差が大きくなると、負け組には不満がたまり、治安が悪化する。その対策だ。これは小泉政権から着々と布石が打たれてきた路線の継承であり、その教育バージョンといえよう。

それ以外の問題では、教員免許更新制や教育バウチャー制が挙げられているが、まだ具体化しているとはいえない。教育再生会議の結果を待つことになる。

しかし、残念ながら安倍教育改革は成功しそうもない。それどころか状況はさらに悪化するだろう。理由は経済格差の拡大を止めようという姿勢がないからだ。諸悪の根源を放置したままでは、あらゆる改革がいかに空しいものになるか、明日から引き続き報告していこう。(つづく)

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2006年12月13日 (水)

【教育】教育格差10

ようやく最後となった「日刊ゲンダイ」の連載から。


朝日新聞の7月12日付朝刊1面トップに、教育の記事が載った。それは大学全入時代における大学のサバイバル競争の動向を伝える記事だった。大学が系列を超えて高校や中学と提携することによって、将来の生徒を確保しようとしている事実を伝えていた。

なぜそれが1面トップになるほどの記事なのか。その記事には目玉となるニュースがあったからだ。そこには5つの大学が計10校の中高と提携している具体例が載っていた。その大半は関西で、関東が1校、名古屋が1校だけだったが、その関東の例が衝撃的なものだった。中央大学の付属校である中央大学高校が、文京区立第三中学と提携して一貫校化する予定だというのである。公立中学が私立高校と一貫校化するのだ。このことも全国初なら、付属高校を挟んで大学まで繋がるのも初めてのケースである。

この三中は文京区に住んでいる小学生なら誰でも入学を選択できる。東京都の真ん中は少子化地域で、今の中3は15人しかいない。そんな小規模校から2桁台の人数が無試験で中央大学高校に進めるようになる。そこからほぼ全員が中央大学に入れるのだ。つまり一度も試験を受けずに中央大学へ進めるルートが誕生することになる。その資格は文京区に住んでいることだけ。

この案は09年にスタートする予定で、具体的なことはまだ何も決まっていない。中央大学高校の隣に三中があるから、そんな縁で区と高校が話し合いを始めたのである。

これは教育格差が着々と進行していることを如実に表しているニュースだった。今の教育システムは、小中学校時代には一部の子たちがハードに勉強し、その他大勢の子たちはマッタリ過ごすものとなっている。ハードに勉強するのは一部で結構。その人たちは私費で教育を受けろ。その代わり、将来はエリートとして扱ってやる。それが今の選抜構造だ。

大学も全入時代に入り、そんな構造が押し寄せてきている。そしてついにMARCH(明治・青山学院・立教・中央・法政)の一画を占める中央大学まで白旗を上げたのである。自ら全入宣言したようなものだ。

これからは幼少期から大学まで、ハードコースとマッタリコースに分かれることになる。ハードコースに進ませるには、子供1人に4千万円程度は必要になるから、そちらを選べるのは経済的に余裕のある家庭だけだ。こうして金持ち家庭の子しかエリートになれない社会が完成形に近づきつつある。(おわり)

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2006年12月12日 (火)

【教育】教育格差9

えげつないまでにしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。


この春、シングルマザーである知人Aさんのお嬢さんが高校に入った。Aさんは、いいバイト先を見つけて、バイトしまくる高校生活を送るようにハッパをかけているという。Aさんの言い分はこういうものだ。

「あたしも高校のときはバイトばかりで、学校よりもそっちのほうがずっと楽しかったし、学ぶことも多かったのね。それは今になっても大きな財産だと感じている。だから高校時代はいいバイト生活を送って、自分の携帯代や遊ぶお金もそこから出しなさい。そうすればお金の大切さもわかるからって、そういって聞かせてるの」

この話を聞いたとき、まさに職業が再生産される瞬間を見たように感じてしまった。

最近では高校生の生活が2種類に分かれている。勉強ばかりの高校生とバイトばかりの高校生だ。昔は、クラブ活動に燃えている高校生や、ただダラダラ過ごしている高校生も多かった。それが今では、放課後の行き場が塾とバイト先に二極化しつつあるのだ。塾に通う子は大学に行く子たちであり、バイトに通う子は高校を出たらフリーターになる子たちである。

彼らの道は高校入学すぐにバイトを始めるかどうかで決まる。すぐバイトを始めて、自分で稼いだ金を使って仲間と飲みに行ったり、バイト先で恋愛したりすると、高校生活は刺激が足りないものになってしまう。彼らは大学に進む者たちよりも、一足先に消費生活者になり、大人になるのだ。

フリーターになる子は、家族に非正規雇用の者がいるケースが非常に多い。こうして非正規雇用は遺伝していく。そうなると、Aさんの教育方針は我が子をフリーターへ追いやっているように見えるが、そんなことはない。多額の教育投資を行えない親は、子供に、非正規雇用であっても労働の喜びを見つける方法を教えねばならない。自身がサービス業で働くAさんは、お嬢さんに非正規雇用の世界でのサバイバル法を教えているのだ。

東大法学部に通う女子学生Bさんは、ロースクールに進学し司法試験に受かることを目指すという。だが、彼女が本当にやりたいのは出版だという。だが彼女は、親が司法職であることもあって、司法試験に受かるまでが親から与えられた任務だと考え、自分のやりたいことは資格取得後にやろうとしている。ここにも職業の遺伝があり、揺れる二世の想いがある。

このところ政治家や芸能人の世界では、二世、三世ばかりが目に付く。その傾向は、若者になればなるほど強まっているようだ。あらゆる職業が世襲化したときに、この国は活力を保ちうるのだろうか。(つづく)

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2006年12月 6日 (水)

【教育】教育格差8

さらにしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。


教育格差の実情について調べるため、いくつかの高校を訪ね、話を聞いた。そのなかには悲惨な例が何件かあった。

高校の授業料を滞納しており、親とは連絡がつかず、もうこれ以上は待てないとなったときに、ようやく親と連絡がついた。しかし、自宅が強制執行になっており、とても払える状態じゃないと言った家庭。

授業料の滞納があまりに続き、これ以上待つことはできないと通達したら、親が高校に怒鳴り込んできて「うちは夫婦とも中卒で、祖父母もみな中卒だ。この子は初めて高卒になれる予定だったのに、それを退学にするとは、なんてことしやがるんだ!」とクレームをつけた家庭。

親が高校の授業料を出してくれないため、子供は自分でバイトして授業料を払おうとしていたが、給料日になると親がバイト先に現れて、子どものバイト代を奪い取っていってしまう家庭。

どれも公立高校で聞いた話だ。公立高校の授業料は年額12万円程度にすぎない。大学の学費は「物価の劣等生」だが、公立高校の学費は卵と同様に「物価の優等生」なのである。それでもその負担に耐えられない家庭が増えている。

現代の親子は「友だち親子」化しているケースが多いが、そんな家庭では、子供が小学生のときから早くも友だち親子化しているケースが目に付く。最近の教師は子供を厳しく叱ることはないから、家庭でも学校でもロクに叱られた経験がない子供たちは、どんな大人に育っていくのだろう。

その一方で、小学校受験のために3歳から塾へ通い、しつけから勉強までミッチリ教育されている子供たちもいる。最近では公教育への信頼感が失われてしまい、我が子を公立の小学校や中学に通わせることを不安に感じる親が多い。その結果、受験教育が早期化しており、幼児のうちから何かしら始めるのが常識のようになっている。

一方には家庭でも塾でも教育が過剰な子供たちがいて、一方には家庭で教育が不足し塾などには行ったことのない子供たちがいる。私立受験が早期化し、地域による住み分けが進んだ現在では、違った育ち方をしている子供たちはほとんど出会うこともない。

ネット発の現代文学とも言える「電車男」は、お嬢さまとオタク男の出会いと恋の物語だった。あれは教育過剰組と不足組が〝身分の差〟を乗り越えて恋に落ちた現代の神話なのだ。この物語が社会現象化したことは、それが容易には起こりえない世の中になってしまったことを表している。今では教育は〝身分差〟を固定させる場になってしまった。(つづく)

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2006年12月 2日 (土)

【教育】教育格差7

いよいよしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。

最近ある本を読んでいたら、この記事、あるいはぼくの本をほぼ写ししながらも、巻末の参考文献には挙げられていなかったので、少しいじけました(笑)。言い回しからわかります。


いま30~40代の親のなかは、塾に通った経験がないという人も少なくない。地方出身者の場合はなおさらだ。こういった親の経験が、子供の教育においては〝技術差〟となる。今の教育はどこからどんなサービスを購入するかという、消費者としての力を競うものになっているからだ。

受験産業は過去十数年の間に着々と高度化した。とくに90年代以降、少子化の時代に入ってからは、細分化、専門化、先鋭化している。たとえば、以前は私立中学の子が通う塾など存在しなかった。中学生が通う塾は高校受験用が常識だったからだ。それが今では、有名私立中学に受かるやいなや、東大受験専門塾に手続きする親が多い。

有名なのは鉄緑会だ。「てつりょくかい」と読み、「鉄」は東大医学部の同窓会である鉄門倶楽部、「緑」は東大法学部の同窓会である緑会を意味する。東大生と東大卒業生しか講師とせず、入塾した生徒たちはみな東大か医学部合格を目指す。無試験で入れるのは、東大合格ランキング上位校の新入生のみだ。つまり、最初から東大に入れる可能性の高い子だけを選び、その子たちを高い確率で東大に入れることが売りの塾なのである。

驚くほど閉鎖的で差別的な姿勢だが、これが大人気なのだ。親たちはその姿勢に怒るどころか、逆に「この塾で付いていけたら東大は間違いなし」と殺到する。いっさい宣伝しないにもかかわらず、わが子を有名私立中学に入れるような親たちは、この塾について熟知しているのだ。とはいえ、予習のノルマが非常にハードな塾なので、有名私立中学に入るような子でも、ついていけない者は多数出る。

もっとありきたりな高校受験用の塾でも、子供に合わせた塾選びは重要だ。小さな個人営業の塾と大手の塾では一長一短がある。個人塾ではクラブ活動の都合に合わせて曜日を変えてもらったり、学校の宿題を手伝ってもらったり、フットワークがいい。一方、カリキュラムと教材に関しては大手に分がある。進路指導のデータも大手が強い。

こうして教育は消費財化しており、親の眼力と経済力が子供の学力を決める。自民党の総裁候補者たちは格差社会の是正を公約に掲げているが、再チャレンジしようにも、人生のスタートの時点ですでに大きく差がついてしまっているのである。格差の壁の厚さを10代でビッチリ心と体に叩き込まれてから、20代になって再チャレンジできるようにするといっても、まったく解決にはならないのだ。過酷な状況に置かれ鬱病になってしまった人に、「頑張れ」と励ますようなものでしかない。(つづく)

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2006年11月29日 (水)

【教育】教育格差6

とことんしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。


2002年からいわゆる「ゆとり教育」が始まり、学習内容が3割削減された。厳密にはゆとり教育路線は20年前から始まっているのだが、今回の削減は大きかった。3割も減らしながら、全体の枠組みはあまり変えなかったから、個々の単元が弱体化された。たとえば、分数の掛け算を習った後に、それが身につくように練習する時間がなくなってしまった。結果、家庭でのフォローや塾に通うか否かの差が大きくなった。

昔は、塾に通っていない子にも優秀な子はそれなりに存在した。それが今では非通塾で優秀な子は激減してしまっている。勉強の基本は学校だという原則が崩れ、すでに補助学習が必須になりつつあるのだ。公立中学の三者面談でも、「塾はなんと言ってた?」という質問が当たり前になった。

大都市部では以前から中学受験が盛んだったが、それが02年以降は低年齢化した。

「最近うちに来る子は、小学校受験をなんらかの形で経験しており、幼児期からスタートしているのが特徴ですね。中学受験がスタートという子は非常に少ない」

都内の中学受験塾の講師はそう語る。教育熱心な家庭では、義務教育が始まる以前から公教育任せにせず、自前で我が子の教育プランを立てるようになりつつある。

その一方で、完全なる放任家庭も増えている。子供が居間でテレビゲームばかりしていてじゃまだからと自分の部屋を与えたら、近所の子の溜まり場になって、ますますゲーム三昧。そんな話を聞いた。この家庭は家族で旅行に行くような出費はいとわない。しかし、子供をしつけたり、勉強させたりする気はないのである。親の子育てに対する姿勢の差は以前から存在した。だが、その差が顕在化する時期が早くなっている。小学校の低学年のうちから二極化するようになってきている。

こども未来財団がそんな現状を反映した調査結果を発表している。高収入夫婦ほど子供の教育費を負担に感じているというのである。子育てを負担に感じる理由のうち、養育費(生活費+教育費)を一番に感じている割合は、年収200万円以下でわずか4.9%。それが年収1000万円以上の家庭では、20.3%にもなっている。まさに逆転現象だ。つまり、収入の高い家庭ほど子供の教育に意欲を持ち、その結果、費用負担を重く感じているのである。

最近は、高学歴は高学歴同士、低学歴は低学歴同士で結婚するようになっているから、意欲でも経済力でも家庭の力が二極化している。それが子供の教育にストレートに出てくるのだ。(つづく)

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2006年11月28日 (火)

【教育】教育の目的は?

財政破綻した北海道夕張市のことが、このブログに書かれている。
http://blog.goo.ne.jp/mikogamitenzen/e/199a4b79ab100e4c2c1b4c3b8ea549b1
著者はそこに日本の明日を見る。財政破綻し公共サービスを切り下げる自治体を、余裕のある者は出て行く。納税能力のある者ほど出て行ってしまうのだ。まさに少子化の進む日本の明日だろう。まったく同感する。

国家にとって教育の目的とは、次世代の納税者を育てることだ。納税者が出て行く国は干上がってしまう。それには納税者を大事にすることだ。

今の日本は次世代の納税者を大事にしているだろうか?

どの年代も、少し上を見て生きている。10代の者は20代を、20代の者は30代を、30代の者は40代を、40代の者は50代を…(そこから先は経験ないからわからない。60代以上は“今”しか見てない気がする)。

少し上の世代が幸せそうか。あるいは30歳上(親世代)が幸せそうか。みな、それを見て自分の人生について考える。

今の日本は、納税者の中核と将来の納税者である10代、20代、30代、40代、50代を大事にしているだろうか?

日本の教育は私費負担が莫大だから、親が金を出してくれないと10代は明日が開けない。金を出すと発言権が増大するわけで、親から「美大なんか行っても食えないから、そんなことに出す金はない!」と言われたら、好きなこともできないのだ。国が金を出してくれないからそうなる。

20代、30代は雇用を切り崩されている。20代のワーキングプア率は劇的に高く、20代後半でも4人に1人。国民全体の雇用が切り崩されたというよりも、若者が狙い打ちされた。

40代、50代の子育て世代は余裕があるだろうか。住宅費と教育費の負担を抱え、沈む寸前という人も多いだろう。もっとも自殺者が多いのは50代の男性だ。その一方で、シングルの人たちは余裕を持っていても満足している気配はない。

会社等の組織の権限は50~60代が握り、資産の大半は60~80代が保有している。個人金融資産1400兆円のうち、74%を60歳以上が持ち、なんと95%を50歳以上が持っている。この傾向は土地も含めるとさらに広がる。

そのため政治は50代以上の方向を向いている。今のシステムでは駄目だと誰もがわかっていながら、再設計は着手されない。

教育の目的は次世代の納税者を育てることだ。それでは今の日本は、将来いっぱい税金を納めてくれそうな若者を育てているだろうか?

今の愛国心教育は“元気のよいバカ”を対象に考えられている。どの国でも貧しい若者は民族主義的になる。だが、真に愛国心が必要なのは、多額の納税をする優秀な若者なのである。

スポーツでいうなら野球の松坂だ。彼の契約金60億円は日本に来る金だが、この先の個人年棒は日本で納税されるだろうか。

マーケットが国際化しているスポーツはいい。科学技術人材はどうなのか? 明日の日本を支える人材をキープしようというビジョンが圧倒的に不足しているのではないか。

富裕層の目は海外に向かっており、アメリカやスイスのボーディングスクールが注目される。その内容はというと、国内の学校ではまるで太刀打ちできないのだ。

『レイコ@チョート校―アメリカ東部名門プレップスクールの16歳』(集英社新書)を読んでみると、灘や開成など国内名門校とは比較にならない教育内容がよくわかる。しょせん日本の学校は受験マシーンを育てているだけ。“真の教育を追求する”という理念すらない。

すでに高額納税者予備軍は、子どものうちから海外に流出している。富裕層は以前より東大を重視せず、海外を見ている。そこに愛国心はない。

過疎に悩む地方には、子どもにその地方を好きになってもらうため、一丸となって努力している所もある。以前、小学生の作文コンクールの入選作を読んでいたら、伊勢えびづくしの給食について書かれていた。そうやって全力を傾け、子どもたちに地域を好きになってもらおうとしているのだ。これこそ明日の日本の姿ではないか。

今の教育で必要なことは、10代や20代に金とサービスを回すことだ。しかも彼らが真に望むようなやり方で。目先のことではなく、彼らが将来に希望を持てるようなやり方で。それが根本ではないか。金を回そうとしない教育改革に、抜本的なものなどあるのだろうか?

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2006年11月27日 (月)

【教育】教育格差5

ますますしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。


1990年代の後半、日本の子供たちの学力が低下しているのではないかという論争があった。いくつかの調査でわかったのは、たしかにテスト学力は全体的に低下していたが、それ以上に学力格差が拡大していたことだった。勉強する子としない子の差が開いていたのだ。

また、親の学歴との相関性も高く、通塾・非通塾の差も大きかった。単純化してしまうなら、親が高学歴で塾に通っている子の学力はあまり低下していなかったが、親がで通塾していない子は学力が大幅に低下していたのだ。

学力の差というと、以前は勉強が難しくなり始める小学校高学年から開き始めると思われていた。だが、それ以上に幼児期からの生活習慣の差が大きいことがわかってきた。百ます計算で有名になった蔭山英男氏は、計算練習などは表面的なことにすぎず、早寝、早起き、朝食などの生活習慣が大事だと繰り返し述べている。この半年ほどで続々と創刊された子育て雑誌の『プレジデントファミリー』『アエラキッズ』『日経キッズプラス』などは、「頭のいい子の生活習慣術」といったテーマを繰り返し特集している。

しかし、こういった情報に接して子供の生活習慣に気を配るのは、そもそもそんな注意は必要ない家庭なのだ。本当に意識改革が必要な家庭に情報は届いていない。生活保護も自己破産も早期離婚も増えている現状では、子供のことを考える余裕のない親が増えている。借金取りに追われている親が、子供に早寝早起きしろと落ち着いて注意できるだろうか。コンビニ、スーパー、ファミレスなど24時間営業の店舗が増えているため、そこで働く親の生活時間も多様化しており、深夜に幼児を連れて居酒屋で食事するのが一家だんらんという家庭が増えている。子供に生活習慣を身に付けさせるどころか、幼児期から親が家にいないケースも多い。

つまるところ、子供に生活習慣を守らせ、そこそこまともな食事を食べさせられるのは、生活にゆとりのある家庭だけになっている。学力格差の底には生活格差があり、その根底には経済格差が横たわっているのだ。貧困家庭に育った者は、自身も非常に高い確率で貧困に陥る。そのメカニズムを明らかにしようと、アメリカでは社会学の1分野として貧困研究が盛んになっている。その結果わかったのは、もっとも影響が大きいのは幼児期ということだった。勉強に入るはるか前から、厳然とした生活格差が形成されているのである。(つづく)

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2006年11月25日 (土)

【教育】教育格差4

しつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。


日本の義務教育の分厚さは世界一。そんな神話がかつてあった。日本は世界に冠たる教育大国だと、自他ともに認めていたのである。

今はどうなのかというと、教員の給与では相変わらずトップ水準だが、全体としてはそうも言えない。いろんな国に住んだことがある人の意見を聞くと、医療と教育で日本は住みにくい国だという。とくにひどいのは教育の私費負担で、オランダやスペインに住む日本人は、絶対に日本で子育てをしたくないと口をそろえる。そう、子供の教育にカネがかかるという点では、日本は世界最高どころか、最悪レベルなのである。

OECD諸国28カ国を比較したデータを見てみると、日本の教育のお寒い現状がはっきり浮かび上がってくる。大学など高等教育への公財政支出は韓国と並んで最下位。幼稚園など小学校前教育への公財政支出も下から5番目。OECD28カ国中で義務教育に関しては中くらいの水準にあるが、その前と後の時期に関しては、ほぼ最低水準といって過言ではない。

さらに塾代なども考えると、子供に教育を受けさせたいと願う親にとって、日本と韓国、アメリカの3カ国が最底辺グループをなしている。教育にカネがかかりすぎて、庶民には手の届かないものになりつつあるのだ。

こんな状況に対して、国際的に厳しい視線が注がれている。高等教育の無償化を掲げるユニセフから、高等教育の私費負担を下げるよう何度も勧告されながら、逆に学費は上がる一方だ。日本は1979年に国際人権規約を批准しているが、そのとき、無償教育に向けて努力するという項目は留保してしまった。同じように留保をしているのは、日本以外にはマダガスカルとルワンダのみ。アメリカは社会権自体を批准していないから、こんなところでも日本はアメリカの後追いだ。

文部科学省の出している「文部科学白書」には、高校から大学の7年間だけで教育費に1人当たり平均1000万円かかっていると記されている。これが特別に教育熱心なわけでもない家庭の平均的な教育費負担なのだ。

さらに教育熱心な家庭や、地方在住で自宅から大学に通えない家庭、また私立大学の理系に子供を通わせている家庭では、これ以上の負担がかかっている。大学終了後に、大学院やロースクールなどに通わせようとしたら、さらに数百万円かかる。子供が複数だったらその人数分かかることになる。1人当たり1000万円を出す余裕のない家庭では、どんなに優秀な子供でも大学には行けないのが、いまの日本なのである。 (つづく)

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2006年11月21日 (火)

【教育】増刷!

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『教育格差絶望社会』の3刷が決まったと、いま担当者から連絡を受けた。2000部。 よっしゃよっしゃ!

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【教育】教育格差3

「日刊ゲンダイ」の連載から。


「えー、○○君って××大学なの? すごーい、頭いいんだねー」

こんな無邪気な発言を聞くと、○○君は頑張って激しい偏差値レースを勝ち抜いたことを連想させる。そのとき、レースに参加できなかった者が多数いることは、視野に入っていない。

多くのスポーツや芸術の世界では幼児期からの英才教育が不可欠なように、勉強もまた家庭が偏差値レースへの参加費を払ってくれた場合のみ、有名大学への挑戦が可能になる。

偏差値レースへの参加費は1000万円。「文部科学白書」によると、高校から大学の7年間に、子供1人にかかる学費は平均1000万円である。しかし、これには「予選の参加費」は含まれていない。有名大学に行くような子供は、高校に入る前から塾に通い、場合によっては中学受験までして、さらに多額の教育投資を受けている。そのため、1000万円を払う前の段階で決着はついてしまう。以前は高校受験まで通塾しない子にも優秀な生徒はいたが、最近では公教育の地盤沈下により、めっきり減ってしまった。

なぜ1000万円もの教育費が必要になってしまうのか。大学の学費が途方もなく上がり続けてきたからだ。過去10数年間の学費の推移を見てみると、それは一目瞭然である。1973年の石油ショックの年まではインフレ率も高く、親の所得も上がり続けていたから、学費値上げに追いつくこともできた。その年を境に日本は低成長時代に入ったが、学費は高度成長が終わっていないかのごとく、いやそれ以上の勢いで上がり続けた。

国立大学の授業料で見てみよう。73年には年間3万6000円。それが83年には21万6000円となり、93年には41万2000円、そして03年には52万1000円となった。実に14・5倍である。私立大学も同様の勢いで上がり続け、さらに高い。もちろん入学金も上がり続けている。国立大学ですら初年度納入金が80万円を超えてしまった。

昔は自活しながら学費を稼いでいる苦学生もいたが、今では聞かなくなってしまった。働いていても最低限の生活さえできないワーキングプアが話題になる昨今、学費まで稼ぎ出すことはまったく不可能になってしまったのだ。

自分の親が将来1000万円の参加費を出してくれるかどうか。子供はそれを敏感に感じ取るから、期待が持てない家庭の子は早い段階から勉強の道をあきらめてしまう。こうしてセックス三昧の中学生が巷に吐き出されていくのだ。(つづく)

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2006年11月20日 (月)

【教育】役立つ物理

もうずいぶん前のこと。毎月、闘牌シーンを作っていた麻雀漫画で、今月は斬られ役として、理系の専門家がその専門を活かして麻雀が強いという設定を作ってほしいと言われた。

そういう場合、確率系か心理学系と相場は決まってた。でもどちらもありきたりだなあと思えた。

そこで、ぼくが考えたのは流体力学だった。

麻雀ってのは毎局バラバラから始めて、組み合わせが一定の極に達したら、またバラバラにして次の局になる。それを果てしなく繰り返すゲームだ。

これは、136枚を水槽の中にいれ、揺さぶっているようなものだと考えた。136個の粒がどのような分散傾向となり、どのように凝縮していくかのゲームだってこと。現実には無理あるけど、いいのだ漫画だから。

ぼくは流体力学なんてひとかけらもわからないから、本屋に行き流体力学の教科書を買ってきて読んでみた…けど、やはりひとかけらもわからなかった。それでも適当に専門用語を使って、必殺技のようなものを作った。

そのキャラは2カ月出て主人公に負けたけど、あまり受けなかった。まあイマイチの出来だった。今では誰も覚えてないマイナー漫画だ。

んで、何が言いたいのかっていうと、麻雀というゲームをひとつの閉じた系と考えるこの発想は、高校のとき物理をやってなかったら思いつかなかっただろうなってこと。

てなわけで物理って役立つ。高校生諸君は生物など選ばず、もっと物理を選択しましょう。履修率10%ってのは低すぎますよ。

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2006年11月19日 (日)

【教育】学校という鍋

教育に関心のある人は、最近の情勢を心配してるんじゃないか。

最近は教育ネタのニュースが多い。その多くで学校の責任が問われている。子どもの自殺なんて本当に学校の責任なのかあやしいもんだけど、校長も現場の教師もますます立場がない。

このままでは教師のなり手が減ってしまい、人材としての質が下がってしまうんじゃないか。そんな心配を多くの人がしてると思う。

日本の教師の質は諸外国にくらべて決して悪くない。予算や時間など与えられた条件の中で、かなり頑張っている。

教育の良し悪しはかなりのほどを教師によっている。制度は流れを良くするためのもので、根本は教師なのだ。

これ↓は、そんな状況を心配してるって話が満載の対談本。

『欲ばり過ぎるニッポンの教育』(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061498665/

改革すればするほど、日本の教育は悪くなってるんじゃないかと苅谷剛彦さんはいう。本当にいま改革する必要があるのかと疑問を投げかける。世界最高とされるフィンランドとの比較などが豊富に出てきて、そちらの陰の面も取り上げ、じつは日本の公教育も決して悪いもんじゃないという。

日本は高校進学率が97%にもなってしまったため、それが6割くらいだったら社会問題になってたものが、みな学校の問題とされてしまった。いろんな問題が、すべて担任や校長の責任だとされてしまう現状には無理があるのだが、それでは、その問題を家庭に差し戻せばいいかというと、それもまた解決には結びつきそうもない。

日本の評価方法は相対主義だ。たとえば受験では、定員以内に入れれば合格になる。フィンランドでは絶対主義なので、一定水準に達しなければならない。それが高校生の段階から日本の大学など比較にならない厳しさだ。

これまで日本の教育はやさしすぎた。「15の春を泣かせるな」といって、みんなが高校に行けるようにし、大学に進みたい子が増えたら、どんどん大学を増やした。

最近は学力低下が問題になっているが、もし高卒資格認定試験のようなものを作り、それに合格しない者は大学に入れないという制度にして、しかもその基準を厳しくしたとしよう。高校で学ぶすべての科目を課し、すべて6割以上できないと大学に出願する資格もないとする。生徒がいなくなってしまう大学からも、子どもが大学に入れなくなってしまう親からも、大きな不満の声が上がるだろう。

やさしいのがいいのか、厳しいのがいいのか。みんなが学校という鍋に、あらゆる矛盾した望みをぶち込んでいるのが現状だ。

いま、小学校で英語を必修化しようって方向に来てるけれども、英語を入れるってことは、代わりの何かが抜け落ちることになる。そういった全体のバランスを考えようっていうのが、いつもの苅谷さんのスタンス。ホント小学校の英語必修化なんて時間も予算も無駄としかいいようがない。

地すべり的な不安の渦に飲み込まれている日本の教育は、やはり日本社会の鏡なのだろう。今の日本が大きな不安を抱えているのだ。

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2006年11月18日 (土)

【教育】教育格差2

「日刊ゲンダイ」の連載から。


日本では全国どこにいても一定水準の教育を受けられるはずだ。そんなふうに考えていないだろうか。しかし、これは20世紀までの「常識」で、今ではまったく通用しなくなってしまった。ちょうど21世紀になった頃から、公教育もひそかに全国一律という看板を下ろし、地域による格差、学校による格差を認めるようになった。その結果、今では恐ろしいほどの地域格差が生まれてしまった。

東京都を例に取ってみると、23区は2つに分けることができる。古いエリアである城東・城北地区と新たに発展した城西・城南地区だ。端的に言ってしまうなら、この2つは貧しいエリアと豊かなエリアなのである。2002年の1人当たり給与所得では、上から港区、千代田区、渋谷区、文京区、目黒区、中央区、世田谷区、新宿区、杉並区という順番になった。この9区が平均以上で、残り14区は平均以下だ。一方、下位7区を下から順に挙げると、足立区、葛飾区、荒川区、墨田区、江戸川区、北区、板橋区となった。東北方向にある区と南西方向にある区にスッパリと分かれている。この差が教育にストレートに出る。

私立中学への進学率を見てみよう。1位の中央区が40・7%、2位の千代田区が38・8%、3位の文京区が38・7%、4位の港区が33・5%。この4区はまさに勝ち組予備軍の街だ。下位を見てみると、23位が江戸川区の11・1%、22位が足立区の11・5%、21位が葛飾区の12・8%。城東地域が並んでいる。

上位の区と下位の区では3倍以上の差となっているが、これが本当の姿だと思うのはまだ甘い。私立・国立小学校への進学率になると、この差は20倍近くまで広がる。トップは渋谷区の24%。これに対して、東部地域の区はだいたい1%前後だ。そもそも、私立・国立小学校は、都内の中央から西方向にあって東方向にはまるでない。文京区や千代田区では子どものお受験向けマンションが売り出され、経済的に余裕のある教育熱心な層が移ってくる。

文房具や給食費の公的援助を受ける就学援助率も見てみよう。生活保護を受ける条件が「要保護」なのに対し、就学援助は「準要保護」。区によって基準は異なるが、収入の少ない若夫婦はまず対象となる〝豊かでないことの指標〟である。

最も比率の低い千代田区は6・7%で、足立区の47・2%と7倍もの差となっている。公的援