【つぶ】関ヶ原の戦いの実態
なるほどねー。
いかにもありそうな話だ。
ドラマチックな展開は、後世のやつらがこしらえた演出だったと。
日本の歴史でいうと、幕末以降(あるいは江戸中期以降)はそこそこ信用できる。
だが、戦国時代の各種エピソードは、あやしいものが多いようだ。
長篠の戦いにおける織田信長の鉄砲3000丁の3段打ちなど、江戸時代初期の天才的ストーリーテラー・小瀬甫庵(おぜほあん)の創作だっていうし。
鶴翼の陣とか魚鱗の陣などの陣形も、合戦の場で実際に使われてたわけではなかったらしい。
当時のいくさはそんな機能的なもんじゃなかった。
これはたぶん戦前の日本陸軍あたりが、現実を100倍くらいに誇張して作ってるんだろう。
当時はまだ職業軍人(常備軍)の時代じゃなく、兵隊のモチベはそんなに高くなかった。
兵隊の多くは、死にたくないから合戦の間は後ろの方をうろちょろしており、勝ち戦になって追撃戦になったらがぜん前に出てきて、敵兵の死体から追いはぎするのが目的だったと。
そもそも、兵隊をたくさん死なせてしまう大将には、みんな従わなかった。
子ども=子宝の時代だもんな。
人の命は貴重な資源で、大量消費はできなかったと。
統治機構もしっかりしてないから、逃亡したら死刑みたいなルールも作りようがなくて。
戦争で人が大量に死ぬのは、日本の歴史でいうなら、国民国家ができて職業軍人の時代になり、と同時に近代的な兵器が現れ始める日露戦争からであると。
400年前の話でこれだから、1800年前の話である「三国志」なんてほとんど創作なんだろうな。
『三国志演義』の作者もまた天才的なストーリーテラーだったと。
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コメント
昔、講義で聞いたなぁ…と思ってたら、母校の先生の話だったwww
「歴史はいつの世も勝者が作る(ドヤッ」と言っては見たものの、実際はこんなんだったんだよ…と言う研究論文を読んでガッカリしてた10代の頃を思い出しましたよwww
投稿: シーマザキとウソン | 2017年7月12日 (水) 11時19分
三国志演義に出てくる戦のモデルは元末明初の時代です
赤壁の戦いがほとんど1363年の鄱陽湖の戦いなのは有名な話
投稿: 豚 | 2017年7月12日 (水) 21時25分
歴史は史実であり事実じゃないから
きちんと学ぶ必要がまったくないとしか思えない
投稿: | 2017年7月12日 (水) 22時40分
正史に、はねた首を10倍にして記すのが慣行と暴露してますから、勝者の理論はあれどそこそこ信憑性があると思ってます。
演義は朱子学に立脚されたエンターテイメントとしては極上かとw
投稿: | 2017年7月14日 (金) 20時40分