【つぶ】批判=否定?
いまの若者は「批判」を「悪口」や「人格否定」と捉えている?今井絵理子さんのツイートが意外な方向で議論を呼ぶ
これ↑は非常に思う。
こういうの↓見ると、うーむ…って感じ。
学生のプレゼンにコメントすると、「どうして批判するんですか!」と激怒されることは随分前からあった。よくできました以外のコメントは全て悪口や人格否定だと思っていて、それが批判だと思っている学生は多い。なので、そういう学生が他の人を批判するときには、単なる悪口になりがちになる。
— 井上雅人 (@INOUE_MASAHITO) 2017年6月24日
最近の若者はって気もするし、昔からそうだって気もする。
どっちなのかわからん。
ツイッターでよく使われる「叩く」って表現にもかなり違和感がある。
最近、あんまツイッターを見すぎないようにした方がいいって思いつつある。
影響を受けると困るわ。
大学で批評の概論的な授業を持ってるんですが「批評とは、理詰めで相手をボコボコにブッ叩くことと思っていたんですが、ちがいました」というコメントが毎年返ってきます。「と、高校の国語の先生が言ってた」というのもある一方、中国の留学生からも同様のコメがあるので、日本特有の問題でもなさげ。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2017年6月26日
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コメント
言葉と人格の区別がついてない
そういう幼稚な輩が増えたということ
学問の場では
言葉を人格と切り離して、様々な批判を通して
言葉から新しい側面を見出そうとする
そういう訓練を受けず
「空気を読む」ということを通して
言葉から、その人の人格や心理を伺うことを繰り返してきた
日本の悪しき文化だよ
最近、話題の「忖度」も似たようなこた
投稿: | 2017年6月27日 (火) 03時18分
批判と悪口、人格否定をごっちゃにして育てられた若者が今そうしてるだけでは?
親の層とか、教員の人格、行動見るにそんな気はしますが
投稿: | 2017年6月27日 (火) 03時22分
最近の若者はっていいだしたら老害ってじっちゃんがいってた。
とりあえず「批判なき選挙、批判なき政治」ってそれは政治ではないですわな。
そもそも、そのへんの政治に興味ない学生より無知な政治家が誕生しちゃってる時点でやべーけど。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 03時24分
1を書いたものだが
もっと言えば、批判できない言葉は言葉として無意味なんだよね
言葉は、批判可能である時その役割を大きく発揮する
言葉をとても役立てようとするなら、批判はむしろ喜ばしいことだと考えなければならない
そうできないのは、言葉を論理的考察のための道具としてではなく
社会的なコミュニケーションのツールとしてしか捉えてないからだ
投稿: | 2017年6月27日 (火) 03時28分
若者より年寄りのほうがその傾向は強い。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 03時34分
福地さんのつぶやき減ったよね~。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 04時26分
福地さんの脳内を乗っ取ってたあいびーさんは消えちゃったんですか?
投稿: | 2017年6月27日 (火) 07時21分
元からその傾向があり、近年それが顕著になった。んだろーね、多分。
ネオリベの台頭で社会の空洞化が進む一方、エスタブリッシュメントを中心に御都合主義的な倫理相対主義の濫用が公然となされた。
んでグローバリゼーションが進展。先進国で雇用の減少・圧縮と賃金の下降圧力が問題になる。大資本と結託した経済自由主義的政治への失望から政治不信と無関心が加速する一方、排外主義が高まる。絵に描いたような極右の台頭。
デマがデマを呼び、批判者には罵声と冷笑の嵐。無力なまま先鋭化する原理原則主義。常態化する不毛なコミュニケーション。少子高齢化などの社会問題への無力感が無数の現実逃避的行動を産む。加速する分断。人心の荒廃と言説の劣化が極右に利する悪循環。
批判に対するヒステリー的反応も、今井的な過剰な事なかれ主義への撤退も、元々「日本的」と評されてきた同調圧力や集団主義が、今日的な諸問題と結びついた結果ではなかろーか。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 07時21分
昔からのような気もしますが、メディアが即時的な双方向性を獲得してからは、その傾向が顕著になったと思いますね。抑制のきいた議論にならず、感情のぶつけ合いに終始してしまっている。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 08時39分
むしろ年寄りのが俺の意見が正しい絶対だって奴ばかりな気がしますが…。更にtwitterだと粘着性があるジジイばっかだし。
成岡さんが鍵アカで復活して、もう依存症なんだなって思いました。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 09時36分
体罰がなくなったからではないかな?
肉体面でも、精神面でも、痛みに対する耐性が異なる。学生時代から、肉体でも先生に指導を受けてた人と、そうでない人では違うと思う。さらには戦争行って生き延びた人と、僕らはもっと違う。精神面の耐性が異なる。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 09時51分
昔の若者も批判されたら同じような気持ちになってたと思うよ
今みたいにツイッターとかブログとかなかったから身近な人間しか愚痴を聞けなかったからわかりにくかっただけで
投稿: | 2017年6月27日 (火) 11時14分
ゆとり教育を受けたのに心はむしろゆとりがない不思議
投稿: | 2017年6月27日 (火) 16時34分
まあ天鳳最近落ち目だよねって客観的事実を言った途端顔真っ赤にする奴とかおるしな
ただこれは昔から一定層いるから最近の問題でもない
親父とかこういうの多いでしょ
おかしいとこちょっと指摘しただけで口答えするなとか激怒する奴がまさにこれ
投稿: | 2017年6月27日 (火) 16時35分
異論、反論、侮辱をごっちゃにしてる人が増えた。
投稿: 自爆王 | 2017年6月27日 (火) 18時08分
明らかに昔からですね。それで、人とぶつかるような意見を全く言わない人が多くなってしまった。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 19時56分
肯定か否定かを必ず結論づけたい人はいるかも
例の賢者の件でもどっちの立場でもない第三者の感想でもなぜか擁護するなって言われてたし
投稿: | 2017年6月27日 (火) 20時23分
議論と人格は完全に分離するべきもの。
欧米において、議論で人格攻撃をしたらその時点でどんなに高名な人間であっても負けとされる。
海外の人(特に欧米人)はそこがちゃんと出来るけれども、日本人にはそれが出来ない。
投稿: | 2017年6月27日 (火) 20時47分