【麻雀本】当たり前を言語化するには
【麻雀本】今年のベスト5冊へのコメ2つ↓
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ふくちせんせーのコンビニ本の基本形80読んだ後にウザク本やったら「クソ難しくて解けねーわ」ってなったんでこの2つの間を埋める本出してくださーい
問題減らして解説丁寧にしたやつとか
ウザク本理解出来て何周も出来るのって鳳凰民ぐらいからじゃねーすか?
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今年でたのだと井出さんとコバゴーの麻雀の教科書が一番合っていたわ
説明が丁寧で分かりやすかった
成岡本
かにマジン本
平澤本
石橋本
このあたりのは難しすぎた
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わかるなーと思う。
ちょっと前に、こんなコメ↓があった(見つからないので要旨)
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雀歴30数年のオッサンですが、麻雀なんて正解のないゲームに、戦術書なんていらないと思う。ルールブックさえあれば、それ以外は意味がない。
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「習うより慣れろ」でやってきた人ってそーゆーもんだ。
しかし、これから始めて、学習によって時間を短くしようって人には、なんでも言語化して説明してあげないと。
俺がダンスのレッスン受けてて、「自然にやってください」と言われたとき、「手と足がすぐバラバラになっちゃう俺に自然にやれとか、意味ねーし」と思う。
その先生のこと好きなんだけどさ。
20代でダンスやる人と50代でやる人では、必要とする説明が違う。
でも50代用の説明って、20代でセンスない人にも、たぶん役立つ。
麻雀本を書くのって、強い人たち。
教わらなくてもできちゃった人たちだ。
しかも何十年もやってる。
そーゆー人たちにとって、自分では習わなかった理屈を言語化するって、普通は無理なんだよな。
「基本形80」を書いたとき、とある中級のネーちゃんを対象読者として意識したら、書く内容を前もって考えてなかったにも関わらず、締切に追われた1週間くらいでなぜか書けてしまった。
もともと考えてた内容じゃなく、若いころに教わったわけでもない。
なんとなく自然に身につけちゃってた内容だ。
弟子を持つのが一番だわ。
自分の中から掘り出そうとするんじゃなく、特定の人へのメッセージを作ろうとすること。
今回の押し引き本は、「押し引きほんとわかんねー」とずっと思ってきた経験がベースになってる。
それでもね、俺なんてセンスある方だから、完全にセンスない弟子を持つとさらにいい。
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コメント
経験がベースになってるそれを言語化して伝えるだけじゃなく
麻雀研究者と共同でデータとして正しさを証明して伝える
これが福地本のいいところ
他の人がこれをやらない理由がわからない
誰かが言ってたから正しい
そういう経験をしたから正しい
なんてのはまったくもって適当なことで印象に残ってることだけをそう思ってるだけ
投稿: | 2016年12月 9日 (金) 15時38分
>ななしさん
数値化する、データを出すって、わかりやすく示すための重要な手法ですからね。
初めて凸本を読んだとき、むっちゃ感心したので。
投稿: 福地 | 2016年12月 9日 (金) 15時59分
>麻雀なんて正解のないゲームに、戦術書なんていらないと思う。
→多分ね・・・それはそれで正しい意見だと思う。
けど、「明らかに不正解寄り」な一打もあるから、戦術書が必要なんだと思う。
(´・ω・`)
投稿: へむへむ(´∀` ) | 2016年12月 9日 (金) 21時20分
>麻雀なんて正解のないゲームに、戦術書なんていらないと思う。
これは単にこいつが「俺は「正解」なんかいらない」って思ってるからそう言ってるだけだろ
この世の真理ではなくただのポジショントーク。
「正解が欲しい」派の人には戦術書だろうとなんだろうと藁にもすがる思いだろ
投稿: | 2016年12月 9日 (金) 23時42分
↑つーかその辺は「正解」の定義が違うだけって気が
戦術書見る人間にとっての「正解」は
確率やら期待値やらその他やら込みでの「ベストの一打」の事で
「正解のないゲーム」って言ってる人の考えでは、
上記ベストの一打を打っても裏目を引く事はある訳で、
つまり「ベストの一打だろうが不正解になる時もある」=「正解のないゲーム」
という考え方なんじゃないかな、と
まあそれで思考停止するのは個人的にはまったく頂けんから、
戦術書の類は普通に有用だと思うがなー
麻雀はベストの一打を目指すゲームです
投稿: | 2016年12月10日 (土) 00時26分