【つぶ】三国志の言語問題
昔から不思議に思ってること。
三国志って、紀元200年くらいの中国における権力闘争の話だ。
群雄割拠しててすごく面白いんだけど、異なる地域出身者どうしで、どうやって会話できたのか、それがすごく疑問だ。
中国は広大だから、北京語、上海語、広東語など、地域によって言葉が違う。
まったく別の言葉なんでしょ?
紀元200年の時代に標準語なんて概念ないよね。
劉備だったら多様な言語を使いこなしても不思議じゃないかもしれないけど、呂布みたいな頭悪そうな武将でも各地を放浪したりしてるんだよな。
そんなこと気にしないで楽しむためのエンタメだからって思っても、三国志って1500年代に書かれた三国志演義が元になってる。
その時代もまた共通語なんてないと思う。
登場人物たちはなぜ会話できたんだ?
1国内では言葉が通じるという現代的幻想の上に成立してる物語に思えてしょうがない。
これってどうなの?
つかそもそも、三国志に限らず、地方出身者が都に上ったとき、どうやって会話できたのか?
都で使われる言葉が標準語とされ、それを学んでから都に行くシステムができてたの?
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コメント
中国だと国土が広大だから先生の印象もそうかなと思うけど、日本国内の方言もけっこう違いが激しいけどその範囲で収まってるのではないかなぁ。
意思疎通までが困難なレベルだったとは考えられないけどどうなんだろね?
投稿: | 2016年1月27日 (水) 13時15分
呂布は猛将というより実際は軍事官僚のエリートなので、頭むちゃくちゃいいですよ。人格というか裏切りマンなだけでして。
という三国志警察が通らせていだきますw
まあ普通に漢文という共通の基礎教養があったのが大きいかと、文盲の武将については、わざわざ文盲って史書に特記されるぐらい当時としても珍しい事だったようですし。
投稿: おりた | 2016年1月27日 (水) 13時16分
>ななしさん
江戸時代に、お伊勢参りする人など旅行者は、6か国語会話帳みたいなの持っていったらしーよ。
東北の人と関西の人は意思の疎通もできなかったんじゃ?
>おりたさん
なるほど!
筆談は可能だったんだ!
投稿: 福地 | 2016年1月27日 (水) 13時19分
MHKスペシャルで「中国文明の謎」という放送がありました。そこでは中国は都市ごとでも話し言葉が違うとされていました。
ではどのように統治したのか?それは漢字の統一だそうです。つまり命令は表意文字である漢字でおこなわれ、読みが違っていても意味は通じるようになったとのこと。
当時の武将たちは言葉は通じなくても漢文にすれば意思疎通はできたということではないでしょうか。軍隊特有の用語などもあったとは思いますが
投稿: SOKU | 2016年1月27日 (水) 13時23分
>SOKUさん
なるほどー!
筆談なら意思の疎通はできたんだ!
戦場では会話できないけどw
投稿: 福地 | 2016年1月27日 (水) 13時26分
昔、台湾に仕事で滞在していた時に飲み屋のねーちゃんが言うには地域で言語は微妙に違うけど、漢字でニュアンスはだいたい伝わるって言ってましたね。
なので日本語がわからなくても日本語の漢字を書いてあげれば何が言いたいかだいたいわかってくれました。
飲み屋のねーちゃんとの会話が筆談ってかなりシュールでしたがねw
投稿: かすゆき | 2016年1月27日 (水) 16時47分
夏王朝から始まる「表意文字の力」みたいですね。その伝播を後押ししたのは占トで、暦を作るには欠かせないとゆう。天(神)を崇めるつーのは、どの民族でも同じですしw
で、未だに不思議なのは卑弥呼が宝玉や奴隷を献上するのに、どーやってコミュしたんだとw
投稿: | 2016年1月27日 (水) 21時22分