今回の件に関して、「あの程度の絵に」とか、「表紙が全然良くない」みたいなコメがいっぱいあるけど、俺はそうは思ってない。
個人的にはすごくいい表紙で、さすがだと思っている。
表紙って、サイレントマジョリティが心の底でどう感じるかだから、理屈で論じるのは意味がない。
あと、表紙イラストに金を使うのだって悪くない。
むしろ「俺の本に資金を投下してくれてありがとう」って話。
お礼を言いたいくらい。
問題は、俺への支払いを削って表紙イラスト資金が捻出された点。
もし削られたとしても、こちらがまーまー納得する待遇&評価をされていると思ってたら、別に怒らない。
そこに金を投下することで、売れゆきがどれくらい伸びるのかって明確な見通しがあるなら、それでも良かった。
「資金が十分じゃないので、ご協力お願いします!」と言われてて、俺としてはあまり納得してない待遇に甘んじてたところで、よそに資金投下したから、俺への評価はその程度なのかって愕然としただけ。
誠意ってのは、百の言葉より1つの数字だと思ってるので。
今回の本、竹書房としては何がなんでも売れてほしかったみたい。
いつもとは気合いが違ってた。
それが、表紙に多額の資金を投下する方向に向かった(いや、それも結果にすぎず、最初は普通の額を想定してて、それがとある事情で失敗した)。
努力ってのは、まずは地道なことに時間を使うこと。
どのイラストレーターさんに依頼するかむちゃくちゃ考えるなんて努力じゃない。
それは普通だ。
普通をちゃんとやるのだって大変だけどね。
無駄になりそうでも、何度も何度も足を運ぶことが努力。
俺の場合で言うなら、みーにんさんの言うことを理解できるようになるのは外国語の習得と一緒だと考えて、会話時間を増やすことから始めた。
①言ってる大筋が少しは理解できるようになる
②考えてる全体像がぼんやり見えてくる
③言ってる大筋がかなり理解できるようになる
④方法論も少しは理解できてくる
⑤言われたことを自分の言葉でも多少は書けるようになる
今はこれくらいの段階だ。
そして誠意というのは、これも俺のみーにんさんへの場合で言うと、
印税を均等に割ること。
それを公開し、透明性を持たせること。
つまり、金額の数字と、公平性&透明性だ。
それが誠意であって、過剰な言葉など必要ない。
口先で誠意ぶったことを言ってても、そこに数字が伴ってない人のことは、まったく信用しない。
麻雀の世界には口先だけの人が多いから、こういうことを書くだけで、そういう老人たちの仲間入りするみたいで嫌だわ。
誠実さってノーガキじゃなくて行動だから。
組織だと、公平性&透明性には限界があるけど、そういう姿勢があるかが重要なポイント。
努力と誠意がちゃんと回ってたら、大きな問題は起きないんじゃないか。
竹書房の今回の本に対する気合は伝わっていた。
そのコミュニケーションはできていたと思う。
でも、努力が伝わっていたかといったら、それはそうでもないかなって思う。
俺の進行が遅すぎたことも大きな問題だったので、その点は申し訳ないなーってのは思う。
ただ、長い付き合いだから、これはもう病気だと考えて、頭がおかしい人を相手にしてると割り切って手立てを講じないのも、甘いように思える。
何かの能力が高かったら何かの能力は欠落してるんだから、俺がみーにんさんとの会話を外国語だと思ったみたいな割り切りが必要だろ。
まぁ俺が自分から言えることじゃないけどね( ̄w ̄)プッ
あと正直、字の本を作るスキルが低すぎるわ。
最後の2日間は洋泉社のねーちゃんがほしかった。
グラフと文章のページがズレてて読みにくいとグチャグチャ言われ、すごく嫌だった。
「それを直すのがお前の仕事だろ!」と思った。
直さなくてもいいけど、その箇所は全部でいくつあるか整理して指摘し、俺の負担を少しでも軽くしてほしかったわ。
最後の赤字チェックを俺がやったのも嫌だった。
編集作業の手間が多すぎて、著者としては時間を使えなかったわ。
「それはお前の仕事が遅すぎるからだろ」って言われても、早くなっても、さらに全部俺がやるだけだろって気しかしない。
最後の2日間は空けてあると言われたのはありがたかったけど、それが完全には有効活用できなかった。
堀内本やネマタ本みたいに、グラフや表がいっぱい入って、対談みたいな文章も入って…という本は、ものすごく手間がかかる。
あれは人件費のかたまりで、竹書房やマイナビの本とは手間がまるで違う。
あーいうのを竹書房で作ろうという気にはまったくなれない。
本の利益から社員の給料が出ることに納得感が持てないわ。
俺が企画立案して俺が作るのかよ…って思ってしまうのは、仕事相手としてイメージが悪い。
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