「ネマタの天才性」というタイトルを見ると、天才は大げさすぎねーか?って感想を抱く人が多いかもしれない。
まぁそうだよね。
いくらネマタ本がいい本だとしても、さすがに天才と呼ぶのは大げさすぎるだろうと。
しかしね、これってむしろネマタの欠点の話なんだわ。
ふつう、天才と言うと、すげー!とか、かっけー!という単純なイメージがあるんじゃないかと思う。
自分にも、何か特別な才能があったらなぁ…と。
でもね、人間の能力ってそこまで違うもんじゃない。
天才って、普通の人の能力にプラスして何かの能力を持ってる人……ではなくて、普通の人の能力のうち、何か大きなものが欠落してる。
その結果、たまたま世間的にプラスに評価される方向に偏ったとき、天才とみなされるんだと思う。
だから天才って、幸福な人々ではない。
むしろ不幸が天才を生み出す。
有名な偉人でいうと、ゴッホとか、エジソンを考えてみると、俺の言いたいことがわかってもらえるんじゃないか。
なんか異常でしょ。
異常な人のうち、たまたま世間的にすげー!と言われる方向に成果を発揮した人が天才と呼ばれる。
単なる異常で終わるほうがふつうだわな。
ネマタの場合はどうなのかといったら、彼はとんでもなく友だちがいないみたい。
よく、友だちがいないとか、コミュ障とか、自虐的に言う人がいるけど、そのレベルじゃなく。
もっと本格的に。
ガキのころに麻雀したいと思っても相手がいない。
これはふつう。
だが、中学、高校、大学生になったら麻雀の相手は見つかる。
これがネマタの場合は、人と話するのが苦手すぎて、大学生になってもメンツがいなかったみたい。
いや、メンツがいるいないじゃなくて、人と話するのが苦手だから、リアル麻雀が駄目だったのかも。
彼とオフ会で一度会ったことあるんだけど、リアル麻雀の経験がものすごーく少ないことはわかった。
ちょっとビックリするほど。
対人的なことは全般に苦手なんだと思う。
ネマタの文章はわかりにくいんだけど、単純に文章が下手っていうのとは違う。
細かい部分で統一されてたりとか、彼なりのルールがいろいろある。
不足してるのは、コミュニケーション力なんじゃないか。
読んだ相手はこういうことがわからないかも…みたいなイメージをするシステムが、彼の中にはないんじゃないかね。
ここらへんは、メールをやり取りしてて感じた。
こちらの意図がイマイチ伝わってない。
こっちが1センチ単位で伝えてることに対して、10センチ単位の返信がくる。
単純に大雑把な人とは違う。
相手の意図をくみ取る能力が低いんだと思う。
配信を聞くとわかると思うんだけど、ネマタって話が冗長なんだよね。
コンパクトにピンポイントで伝えるって、あれはコミュ力だから、そういうのは苦手なんだろう。
ネマタ本では、本文もけっこう勝手に書き直した。
最初はメールでやり取りしながら臨機応変にやってこうと思ってたけど、何回かやり取りして、勝手にやることにした。
話が伝わらなすぎる。
ちゃんとやり取りしようとしたら、時間と手間ばっかかかって全然進まん。
細かいニュアンスには、興味ない人なんだよな。
そういう大きな欠落を持ってる結果、彼はゲンマというサイトを作り、今回の本の著者となった。
それが天才?って疑問に思うかもしれないけど、他にあそこまでやった人はいないわけですよ。
ふつーしないでしょ。
自分にプレイヤーとしては限界を感じながら、それでいて、あそこまで戦術をまとめる人って。
博物学的な、昆虫博士的な執念を感じるわけだ。
巨大な天才と言うほどじゃないかもしれんけど、性格的な欠落がアウトプットを生み出したって点で、これも天才を巡るケースのひとつなんじゃないかと。
だからねえ、これからネマタの文章がわかりやすくなっていくことはないと思う。
慣れとか、小手先の問題じゃないんだよな。
今まで思ったことなかったけど、俺の文章も、文章それ自体としてじゃなく、コミュニケーションの中で鍛えられてきたのかも。
女が必要なんだよ。
グチャグチャ、ギャーギャー叫ぶ女を相手に、いろいろやり取りする中で、コミュ力って磨かれていくんじゃないのかね。
ロジックは自分の中で組み立てるものだけど、コミュニケーションには相手が必要だから。
むしろ彼にはロジックの透明性を高める方向にいってほしいわ。
正直、その部分でも、ちょっと泥臭すぎる印象がある。
それが長所と言えば長所だし、短所と言えば短所なんだよな。
あまり理論を煮詰める方向に行ってない。
生物学じゃなく、博物学って感じ。
麻雀のゲーム性って、やっぱそういうもんなのかな?
そこらへんは、俺もまだ断定できない。
勝手なことばっか言わせてもらいましたが( ̄w ̄)プッ
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