出禁になったことで、俺の考えの敗北を感じざるをえないな。
俺の考えというのは、強ぶる打ち手は、自分の打ってる場の性質(レート)と平均順位の提出が必須だろうというもの。
麻雀って、強さの証明が難しい。
漠然とだけど、以前は、最大到達点主義だったと思う。
最大到達点主義ってのは、○○ってタイトルを取ったとか、どこどこで何段だとか、そーゆーの。
でもね、段位よりもレーティングのほうが信用できるというのは、世の中の大きな流れ。
最大到達点よりも平均スコアへ。
俺は麻雀の本を書いてるわけだから、強ぶってるわけだ。
そういう人は、なんらかの形で、自分の強さを示す必要がある。
もちろん義務じゃないけど、強いってみんなから認められてるんだから強いんですよっていうナアナアなのが嫌い。
年間勝ち金額と平均順位を示すことは、俺にとっては、最低限の誠実さだろって感じだった。
もちろん、嘘つくこともできるから、証明にならないっていえばならないんだが。
フリー雀荘で打ってるときまでは、それが可能だった。
金は万物の尺度だからね。
この方式が、それなりの意味を持つのは確かだった。
アルゼンチンのきめっちから聞いたのだが、ネット上で麻雀の勝ち負けの額を示してるのは俺しかいなかったため、ヨーロッパやカナダの麻雀マニアとの間で、ROCチャットを使って「今月は福地負けてんな」とか、いつも話題にしてたという。
この話はかなり驚きだった。
雀ゴロという立場の明快さは、言葉の壁を越えて、世界に通用してると。
自分なりには、麻雀プロよりも俺のほうが成績開示を真面目にやってると思ってた。
しかしね、レートが上がってセット時代に入ってからは、それが不可能になってきている。
レートが高くなったら、書かないほうがいい。
そんなのは当たり前。
でもね、それは俺の考えるイズムの敗北だった。
強ぶる立場だったら、自分の成績くらい示さんと。
金額と平均順位は必須だろ。
そんな俺の考え方が、通用しなくなってきてる。
「あの人は強いらしい」とか「有名だからきっと強いんだろう」みたいなのは、トートロジー(同語反復)にすぎず、業界内的なナアナア主義が感じられて嫌なんだよな。
立場で証明に代えるのは嫌い。
でも、しょうがない。
今回の件以外でも成績開示の弊害は出てきているので、今後は成績を示さない方向に行くと思う。
麻雀ライターである自分よりも、雀ゴロである自分を優先して。
ああ、俺も自分の立場でもって実力の証明に代えるオッサンになってしまうのかと思うと鬱だわ。
それじゃ、「どこどこの会長なんだから強いに決まってる(キリッ」ってのと、変わらないじゃねーか(◞‸◟)
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