ダンス動画を撮影する数日前、練習動画を観た友人から心配されてこう言われた。
「君だけできなくて、客寄せパンダになっていいわけ? 自分だったら、悔しいから寝ないで練習するけど」と。
うむ、難しいとこだよな。
もちろん一人でがんばって練習したほうがいい。
ただ、練習してもできないのは精神的にヤバイから、空振りの練習はしないほうがいい。
ある程度のレベルにならないと、一人で練習できないわけですよ。
一人でカウント取ってゆっくりやってみても、その動きで本当に合ってるのか自信が持てず、暗闇の中で手探りしてる感じ。
パソコンの前で何度確認しても、広いところに行って一人でやってみると暗闇の中状態になる。
なので、一人で練習しても空振り感しかなかった。
こういうのは精神的な問題なのかな。
前日になったら切迫して、一人でひたすら練習した。
実際のスピードでやってみて、できないところは、ゆっくり何度も繰り返して。
そしたら、このときはカウントでできるようになってたから、それ以前はただ自信が持てなかっただけなのかもしれない。
追い込まれた状況になって、壁をひとつ乗り越えたんなら成功物語だけど、さすがにこの程度は以前からできた気がする。
たんに、締め切りまぎわにならないと、エンジンがかからないだけか( ̄w ̄)プッ
「がんばる」のは無料。
そんなイメージがある。
がんばらないのは、駄目なやつだと。
しかし、そんなことはない。
がんばろう!と思えるのは、過去にがんばって報われた経験を豊富に持ってるから。
がんばっても報われないほど絶望的なことはないので、空振りとなるがんばりは避けたほうがいい。
がんばるには心のエネルギーが必要で、失敗するとダメージを食う。
教育の本を書いたとき、とある底辺高校に行って校長先生に話を聞いた。
「ここの子どもたちは、大人にほめられたことがないんですよ。ですから、そこから始めてます。賞をいっぱい作って、大げさに表彰するんですよ。内容はなんでもいいんです。半年もすれば変わってきますよ」と。
がんばって成果を出して、それをほめられる。
そして達成感を味わう。
こういう経験を豊富に持っているほど、がんばる能力は高くなる。
集団として見たときには、階層差がはっきり出る。
金持ちの子はがんばる能力が高く、貧乏人の子はがんばる能力が低い。
親のゆとりの差だ。
でも、個別に見たときには、親の意識の差のほうがはるかにでかいと思う。
俺は中学は私立に行ってて、勉強ができなくて、成績がクラスで最下位じゃなかったことが、3年間で一度しかなかった。
その間、親から怒られ続けていた。
がんばればできるのに、がんばらないのが一番いかんと。
こういう精神論的な叱責ほど、心のエネルギーを殺ぐことはない。
心のエネルギーこそ一番大事だというのにね。
たぶん、がんばる能力とか自信の持ち方って、ジャンルによって違うんだと思う。
スポーツ系ならいける気がしても、音楽系はできる気しないとか。
苦手な分野ほど、まずは心を大事にしないと、前に向かえない。
無理にがんばろうとすると、苦行になってしまう。
そんなふうに思ってるので、ダンスに関して、俺はそんなに無理はしない。
しかし、こうして書いてみると、言い訳乙って気もするな( ̄w ̄)プッ
今回の動画に関しては、もう数日前からがんばれれば良かった。
そしたら完成度はもっと上がったはず。
そんな反省をするわ。
自分から好きにやるような主体性をもっと出すこと。
それが、楽しみを増して、結果としてがんばっているという、両立する方向なんじゃないかね。
俺は、ただ楽しければいいというのにも共感できない。
「楽しければ」って言葉は、言い訳になりやすい。
俺がやってるジムのダンスの世界では、俺は若手のほう。
もっと年配の人が多い。
楽しければいい系の人も多いんですよ。
定年退職後の男性など、そんな感じがする。
すんごい楽しそうなんだが。
俺は向上を見つめないのには耐えられないんだよな。
なので、ジムのダンスを始めて2ヵ月の時点から、代官山のスタジオの有料レッスンにも行くようになった。
当時の俺レベルの人が来るのは見たことないから、ただ楽しむってのは苦手なんだと思う。
向上心のない楽しいは俺にはないんだよな。
「がんばる」だけでは駄目だし、「楽しい」だけでも駄目。
その中間の世界をさまよってるわ( ̄w ̄)プッ
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