ちょっと前に、竹書房のK君から聞いた話がおもしろかった。
最強戦なんちゃら大会で、鈴木優さんという強豪が打った麻雀の話。
1位と2位が勝ち残る準決勝かなんかで、トップは和泉由希子さん、ややダントツ。2位以下は団子状態で、鈴木優さんは下と3千点差くらいの2着目だったそーな。
南2局の5巡目くらい、鈴木さんはこんな手牌だった。2本場か3本場で、リー棒の供託あり。もう親番なし。
4489m2356789p4s白













※ご本人からの書き込みによって修正しました。
ここで上家から出た4p
を456p

でチーしたんだそーな。食い一通狙いだ。
そしたら1p
が喰い流れて、それを下家にカンされ、すぐ下家の金子正輝さんにリーチされたそーな。
アガリ目がなくなった鈴木優さんはベタオリしたけど安牌がなくなり、リーチ後に通った5m
を見て、8m
を切ったらそれが当たり。こうして鈴木優さんは敗退したんだそーな。
ここまではいい。まあ普通の話だ。俺がおもしろかったのは、この大会終了後の関係者の談話だった。
とある関係者はこう言ったという。
プロとして、あのチーはしてほしくなかった。したなら、なんとしてもアガり切らなければいけなかった。あの手からチーして、その結果オリ打ちするんじゃ、かっこ悪すぎる。それはプロの麻雀じゃないだろうと。
その場にいた他の関係者も同意見に近くて、このチーには否定的だったらしい。この手をアガり切れたとしても、残り2局をどうするんだと。そんな麻雀を打ってても逃げ切れないだろうと(大会だと、相手は逆転できる手じゃないとアガらなくなるから、局がすげー重くなる)。
この鳴きをアリと見るか、ナシと見るかは、こういう鳴きをふだんから当たり前のようにやってるかどうかで決まる気がする。片アガリの千点の鳴きは、普通なのか特殊なのかってこと。
まあ俺からすると普通すぎて、当たり前じゃんとしか思えない。
そんな麻雀で逃げ切れるのかって問いには、こう思うだけ。残り3局で3千点差と、残り2局で4千点差では、どっちがいいの? その目標を目指して急ぐのは、戦術として当たり前じゃないの?って。
ただね、俺がおもしろいと思う問題はそこじゃない。こういう麻雀をプロが見せるのはどうなの?って話だ。
たしかにね、かっこ悪いわけですよ。鳴かなければ入ってたキー牌を喰い流して暗槓され、オリ打ちして敗退。結果論的に見ると、あまりにもかっこ悪い。それはどうなんだろうってこと。
この問題って要するに「麻雀プロは何を見せるのか」ってことだよね。プロというのは、競技プロっていう狭い意味のプロじゃなく、芸能人まで含めた広い意味。
10万人クラスの人数が見てる場で、どんな麻雀を打てばおもしろい勝負になり、イベントとして成立するのかってこと。
この話をK君から聞いてから2週間くらい、それをぼんやり考えていた。
俺が知ってる強者たちは、みんなその4pをチーして、同じようにオリ打ちして、同じように敗退するんじゃないか。だから俺からするとそれは結果論にすぎず、ただ普通に負けたとしか思わない。
しかし、世の中の多くの人は、そこまでスピード意識がシビアじゃなくて、不確定形じゃチーしないってほうが普通だろう。そういう人からすると、異常なまでのかっこ悪さに見えるに違いない。
ここには、ガチで勝ちにいくならどっちが得かって軸と、どっちの打ち方がかっこいいかって軸があって、それは重なっているけれども、同じとも言い切れない。
俺は自分がせこ派なので、当事者すぎて、この問題についてニュートラルに考えられる自信がなくて、ほんとよくわからない。
ひとつ思うのは、どんな打ち方をするにせよ、ガチの勝負じゃないと見てておもしろくないんじゃないかってこと。勝った瞬間に泣いてしまうとか、負けた瞬間に椅子からすべり落ちちゃうとか、そういうガチさが出てるか。参加者の打ち方をどうこう言って、それ以外の要素を持ち込むのは、薄めることにしかならんのじゃないかって思う。
金子正輝さんが長考するたびに、ニコ動では「出た、猫の顔芸」ってコメが流れるわけだが、俺はそれを見るたびにおかしい(金子→猫らしい)。やっぱさ、くそマジに長考を始めるから、顔芸も笑えるんだよ。
本人がくそマジであることと、強さを追求してること。その2つは必須な気がするけど、どうだろう。
そういう場に出てくる人はみんな強いことになってるけど、強さってよくわからんですよ。みんな勝手に納得したり、あら探ししたり、わかるよーなわからんよーな。
だから、強さって十分条件じゃない。本人がどうすれば一番強いのかってマジに追い求めてるってことで、その迫力に説得力を持たせるしかない。
不確定鳴きして、その結果負けるのはかっこ悪すぎるというのは、俺からすると逆だからね。鳴かずにメンゼンで一通にして、リーチして、ハネマンをアガったとしても、確変乙としか思わないので。
知り合いの間ではネタ化してる十段戦の優勝者予想が思い出される。
チー、ポンが激しいのは見ていられないから、そんな品のない打ち方はつまらない。
物事には、すべからく道理と言うものがある。必然と言い変えても良いかも知れない。
このフレーズは知り合いの間では馬鹿受けしてて、パロディ化してよく使われている。もちろんいい意味じゃなくて、馬鹿にされてるわけだ。
個人的には「魅せる麻雀派」の人たちには、天鳳 役満牌譜 鬼ヅモ集を見せて、こんなもんが誰でも見られる時代に、大物手を作り上げる意志を魅せたい(キリッとか言うのって、説得力あるんすかね?と聞きたいけど、まあ余計なお世話すぎるな。
個人的には、ゲームなんだから勝てる打ち方を追い求めるのは当たり前で、そこに勝手な美意識を作り出して、こういう打ち方は美しくないって言うのは、ズレてるなーと思う。でもまあどーでもいい。相対化するのは俺の価値観なので。
鳴かずに高い手を狙うのが本当の麻雀でしょって人は、今でも多数派なんだろうって思う。ここに価値観の激突がある。
5年くらい前だったら、せこ派は少数派って切り捨てられてもおかしくなかったけど、せこ派プレイヤーばっかの天鳳名人戦だって最強戦に近いくらいの視聴者を集めてるわけで、もうどっちがメインとは単純にいえない気がする。
だから、好きなように打たせて、ガチの勝負にするしかないと思うんだけどね。
問題は打ち方の内容よりも、麻雀プロ業界の身内に甘い体質のほうだろ。そういうのがガチな雰囲気を失わせる。
天鳳名人戦で、唯一のメンゼン派といえる多井さんが炎上してて、単なる結果じゃなく打牌の内容的に、この人どこまで弱いの?って雰囲気になってるけど、そういうところで甘くせず、弱すぎるってしっかり追及することが、勝負のガチさを上げていくんじゃないか。
俺はモンドはまったく観ないんだが、最強戦は観れる。それはまだ一発勝負的なガチさがあるからじゃないかと思う。最強戦では、こういう話は終わったあとの雑談にすぎず、参加者の打ち方には注文をつけない。モンドではしっかり手役を追えと注文をつけられる。そういう差異をなんとなく感じ取っちゃうから、一方は観る気になれて、一方は観る気にならないと思うんだけどね。
単に俺が竹書房の犬だからってポジション的な理由かもしれないけど、それは自分ではよーわからんわ。
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※文章として内容の整理がイマイチだが、もう時間をかけたくないので、このままアップする。ロジックの整理とか知らんわ。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
追記:こんな発言も↓
nobushi1129 壽乃田 源人(すのだ げんと)
うちの天鳳メンバーだとセイヤは鉄スルー、渋てむもおそらく鳴かない気がするなあ。
mekazettonn メカゼットン
ちなみに僕は4p鳴いたことないんですけど鳴いた方がいいの?
pechorin_ ペチョーリン
うちも4p鳴かない。
もしや、俺がくそ鳴き雑魚なだけ?。゚(゚´ω`゚)゚。ピー
さらに追記。
ゼットンは、
そういうストイックなプレイヤーが評価されるのはまだしばらく後になるんじゃないかな。
と書いてるけど、これは早い遅いの問題じゃなくて、麻雀が好きな人もガチ勢とライト勢に層が分かれてるってことだと思う。
最近はなんでもそう。どんな世界もすごく分化してる。
知人から聞いた話では、とある演劇では、主要な役がみんなダブルキャストになってるので、熱心な人は二回、三回と行ってしまうらしい。みんなが一度ずつ来る舞台よりも、熱心な人が二度、三度と来る舞台を作ったほうが興行的にはいいよね。どの世界も一粒で何度も美味しいみたいにして、熱心なファンから何度もお金を払ってもらおうとする。その結果、時間と金は有限だから、ファンは自分の好みをどんどん先鋭化させて、ますます細分化していく。
そういったことまで踏まえて、麻雀の大会はどの層に向けて、どんなイベントを作っていくべきなのかって話だと思うわけですね。
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