【つぶ】イベントなんて
ひらりんの運営責任者という立場からの天鳳名人戦観戦記。
これを読み、15年以上前に俺が責任者だったイベントのことを思い出した。それは「麻雀祭り」ってやつで、単なる麻雀大会ではなく、チーム分けして、クイズや牌姿の伝言ゲームをやるなど、小学校の運動会みたいな要素を入れたイベントだった。
雑誌の通巻300号を記念してのイベントだったので、参加者300人が目標。その人数になると雀荘には収容できず、イベント会場を使うことになり、卓や牌の手配まで必要になる。普通にやるととんでもない金額になってしまうため、すべて破格の安さのものを探さねばならなかった。さらに運動会の種目みたいなやつの小物にも、いちいち手間や金がかかった。アクリルのケースひとつのために何社も回ったりした。
会場は、東京晴海の国際展示場。真冬だったので暖房費に20万かかり、さらに会場費にも数十万かかった。他のことに使う金はもう残らなかった。手積み用の卓をほぼ無料で貸してもらえるところを探し回って、3カ所から借りたうちの1カ所は栃木県という遠方になった。それでも当初予算内に収めることは不可能で、結果20万ほどオーバーしたけど、会社から出してもらえた。
全部の業者との交渉から当日の手配、そして金の管理、ゲスト20人あまりとの連絡と、参加者300人弱との連絡、携帯のない時代に、このすべてが俺の仕事だった。
当時、俺は竹書房の2年目社員で、ペーペーに毛が生えたくらい。もちろん通常業務も普通にあったから、もう死ぬほど大変で、どうして実現できたのか不思議としか言いようがなかった。当日は二日間完徹だったけど、そんなことを意識する余裕もなかった。
司会を業界の大物に頼むことになったのだが、途中の段階で「じゃあ俺は降りる」などと何度か言われ、それを俺は今でも根に持っている。結果ちゃんとやってくれたので彼も大変だったとは思うけど、それ以来「降りる」という伝家の宝刀をすぐ抜く人は信用しない。
そんな苦労の甲斐あって、参加者やゲストからは、あれは楽しかったと今でも言ってもらえる。最近になって、そのときの参加者と知り合いになり、何度かセットしているという不思議な縁もある。業界の人から「あれは楽しかったらまたやろう」と何度か言われたけど、あまりにも大変すぎたし、採算が取れるはずもないから、「いや、俺はもういいです」という返事しかしたことがない。
他人に仕事を振ることがまるでできない俺だけど、あれだけのイベントが実行できたのは、自分の気づかないところで、周囲の人の協力がすごかったんだと思う。とくに竹書房の他部署の人たちの協力には、いい会社だったんだなという気がする。これを書いただけでも、当時の先輩方や後輩たちに感謝の念がわいてくるな。
てなことを思い出したりした。
このイベントが大変すぎたせいで、終わったあとは虚脱状態に陥り、それからは仕事をさぼりまくって、その3カ月後に竹書房を辞めることになった(3倍誇張)んだけど、そんな話は気が向いたらいずれ(たぶん書かないけど)。
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コメント
降りると言った人は誰なんでしょうか???
麻雀ではすぐ降りるのにねwww
投稿: | 2011年6月30日 (木) 16時24分
バビィかH高だな
投稿: | 2011年6月30日 (木) 18時22分
この話、娘さんには何回ぐらいしたんだろうww
投稿: | 2011年6月30日 (木) 19時42分
>ななしさん
人生はオリがヘタで、たまに全ツしては、しばらくオリばっかの時期が続きます;;
>ななしさん
やめて!><
>ななしさん
こーゆー話は一度もしたことねーわw
一度も真面目に働いたことないと思ってるかもw
投稿: 福地 | 2011年6月30日 (木) 20時49分
娘は結婚できるのだろうか?w
投稿: | 2011年7月 1日 (金) 00時13分
2ちゃんの近代麻雀つっこみスレで
先生のファンが
アナログオヤジ相手に暴れまくっています。
スレチなので引き取ってもらえますか?
それが教祖の責任でしょう。
投稿: | 2011年7月 1日 (金) 09時25分
>ななしさん
さあw
それは親が心配することじゃないのでw
>ななしさん
見てきました。
あれ、俺の信者なんすか?w マジで?w
投稿: 福地 | 2011年7月 2日 (土) 16時07分