【麻雀】麻雀は竜宮城か?
数日前に このブログを読み、麻雀は竜宮城なのかという問題について考えてしまった。
竜宮城というのは、そこにいる間は楽しいけど、社会の流れからは隔絶していて、もう社会には戻れなくなってしまう場所ってことですね。
麻雀にハマって雀荘にいりびたりの数年を過ごした人や、ずっと家にこもってネト麻ばっかの日々を過ごしてる人は((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルって感じじゃないかと思う。
でもね、しばらく考えたうえでの俺の結論としては、麻雀は竜宮城ではない。俺にしては珍しく麻雀をほめる話になるんだが、麻雀はそんな悪いもんじゃないだろうってのが俺の考えになる。
ここでオッサンらしく、ちょっと長い思い出話をしよう。
大学のときの同級生にS君という人がいた。正確には留年して同級生になった人で、S君は俺より1年だか2年だか先に入学していて、留年して落ちてきた結果、同級生になった人だった。
俺もまた留年を重ねちゃうようなタイプだったから、ほんの少しは近い部分があったんだろう。たまに顔をあわせたときは数分の立ち話をする間柄になった。
どこの県だったか忘れたけど、S君は九州の出身だった。大学に入るまでは勉強ができることで神童みたいな扱いをされてたけど、大学に入ってしまうと、その集団の中ではただの人になってしまう。地方から出てきて、友だちをうまく作れないと孤独になってしまうんですね。そういう人ってときどきいるんですよ。俺の印象では九州出身の人に多い気がする。
S君は普通ににこやかで、そんなに人づきあいがダメな感じじゃなかったけど、やっぱり地方出身者ならではの大変さがあったんだと思う。友だちを作れなかった結果、大学に来るのが嫌になり、下宿にとじこもって留年を重ねたんですね。
地方出身で一人暮らししてる人は大変だよ。それまでは勉強だけしてりゃ良かったのに、大学に入った瞬間から生活全般をすべて自分でやんなきゃいけない。今の18歳に生活能力なんてないのにさ。自分が学生のときはそんなに意識しなかったけど、娘1号の大学生ライフをはたから見ていて、自宅住まいの強力なバックアップ体制のあるなしって、すげー違うよなーとあらためて思う。
友だちを作れなくて留年した人は、ますます友だちを作りにくくなるから、毎日大学に来る心構えを持つのって難しい。普通はズルズルいく。でも、俺が知り合った頃のS君は、彼なりの時間の過ごし方を見つけていた。それは外国語の勉強だった。
俺とS君のクラスというのは第二外国語がフランス語だったが、S君はそれ以外に、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ラテン語などの授業も取って、真面目に予習や復習をやっていた。そういうのは第三外国語と呼ばれて、週一しか授業はないのだが、それでもそれだけやるのは大変だったと思う。そう、S君は孤独な時間を外国語の勉強をすることで埋める方法を覚えたのだった。
普通の学生なら資格でも取ろうって発想になるのかもしれないけど、われわれがいたのは文学部系のコースだったから、みな実利系の資格には興味がなかった。1年上の先輩にゲルマン語をやりつくしたって噂の人がいたし、そういう方向に行く。俺も当時は、暇すぎるから簿記でも取ろうかとは考えず、暇すぎるからサルトル全集でも読もうかと考えるような学生だった。
S君は専門に進むとき、西洋古典文学というコースに進んだ。ここはギリシャ語やラテン語の古典を研究するコースで、英仏独伊語などの文献も読む必要がある。なので、外国語力がものすごく必要なコースだった。
法学部の知り合いで、大学院には行かずに学部卒で論文を出していきなり助教授になった(法学部だけそういうエリートコースがあった)人がいる。彼は西洋政治思想史の研究者で、西洋古典文学の授業に出ていた。その彼が愚痴を言ってたことがあって、ラテン語の文献はむちゃくちゃ難しくて、予習するだけで半日くらいすぐ潰れてしまうと。
それだけ優秀なやつですら苦戦しちゃう授業が毎日あるんだから、かなり大変なコースなんだと思う。S君は勉強に追われて、幸せな3~4年生時代を送ったはずだ。
俺とS君は専門に進んでからも、たまに図書館なんかで会うと少しくらいは立ち話をした。どんな話をしたかはまったく覚えてない。共通する話題なんて何もなかったと思うけど、貴重な留年仲間という結びつきだった。
S君は、卒業が近づいてくると精神的におかしくなり始めた。最後に会ったときなんか、完全に変だった。なんて説明すればいいのかわからないけど、明らかに普通じゃなかった。
どうしてそうなったのかは推測にすぎないけど、勉強だけしていればいい状態じゃなくなりつつあったってことじゃないかと思う。
就職が決まってたら、そんな話を聞いた記憶が残るはずだから、就職は決まってなかったんじゃないか。西洋古典文学というコースでは大学院に行くのがほぼ当たり前だろうと思うけど、院に行くと聞いた記憶もない。
それにね、大学院になるとちょっと違うんですよ。ただ与えられたものを勉強してるだけじゃダメで、自分なりの研究テーマを決めなきゃいかんし、研究者としての自立が求められる。「勉強」から「研究」になるわけだ。そうなると、現実から逃げて勉強してるS君にとっては、それが新しい現実になってしまう。
その後はS君と会ってない。共通する知り合いもいないから、彼がどうしたのかわからない。名字は覚えてるけど下の名前は覚えてないので、ぐぐることもできない。今にして思えば、彼は明らかにおかしくなってたから、親の連絡先を聞いて電話するとか、学生課に連れてゆくとか、何らかのおせっかいをすればよかったと思う。でも、そのときはそんなことを考えもしなかった。たぶん彼にとって俺は本当に数少ない知り合いだったんじゃないかと思うと、少し心が痛む。その後いったいどうしたんだろう。俺の知り合いは文学部系以外には理学部系が多く、共通項は現実的じゃないってことで、ちゃんと社会生活を送れそうもないやつばっかだった。
というわけで、麻雀は竜宮城なのかという問題とはまるで関係ない話だったけど、ようするに俺が言いたいこととしては、外国語の勉強はS君にとって竜宮城にならなかったわけですよ。竜宮城だったら彼を守ってくれたはず。外国語の勉強は孤独な時間を埋めただけで、そこに仲間もできなかったし、彼の心を守ってくれなかったんですね。
どうだろう。彼がハマったのが麻雀だったら、精神的におかしくならなかったんじゃないか。外国語の勉強をするんじゃなく、雀荘でバイトしてたら、心を病むことにはならなかったんじゃないか。
この話、長くなったので明日に続きます。
しかしね、自分で書いといてなんだけど、俺はバブル世代なんだが、とてもその世代の学生時代の話には見えないな。普通の大学生はもっとチャラチャラしてたはず。なんか20歳くらい上の連中の思い出話みたいだ。
今は第二外国語なんて概念もないみたいだし、ラテン語を勉強しようなんてヤツも絶滅してるだろう。ろくに勉強しなかった留年学生の俺も、4000円もするラテン語の教科書(日本語の教科書はなかったので英語だった)を買って授業に出てみたりした。
これは東大だからっていうよりも、文学部系だからじゃないかね。良くも悪くも現実離れしてて、無駄なことに勉強家すぎる。ナンパしか考えてない大学生も世間にはいっぱいいたはずだが、俺の知り合いはみんな真面目だった。勉強に走らなくても、ボランティアに走ってるやつとかさ。そういえば俺も、障害者を介助するボランティアとか無償でやったりした。世間がバブルだって浮かれてた恩恵とかゼロだわ(>_<)
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コメント
僕は東大法学部出身ですが、教養課程があると言ってもそれは勉強の息抜き程度のもの。
法律という実学があって、みんな1年の頃から官僚や法律家になるとか、もう勉強はこれまでやって来ておなかいっぱいだから商社とか金融とかの大手に入って人生楽しもうとかある程度の方向性はなんとなく決まっている人が多かったです。
それでも留年する人は留年するし、なんか全く別のことにハマっていく奴も中には居るんですけど。
ただ進振りでまだまだ先の見えない文学部っていうのは他の学部に比べてもかなり特殊というか、そこから法学部とか経済学部に来るやつはホントに要領よくてウマくやってってる印象あるんだけど、そうじゃない人は難しいんだろうなあと思います。出版関係とかメディア関係に行った人が俺の知り合いにはいたけど結構進路を自分で決められない奴は文学部に多かったし、モラトリアムは学生時代学部に関係なくほとんどの奴が経験してると思うけど、その中でも文学部は抜け出せない奴が多かったという印象がある。
投稿: 東大名無し | 2011年2月 1日 (火) 07時42分
>今は第二外国語なんて概念もないみたいだし
二外は今でもありますよ必修で
昔ほど真面目にやる人は少ないかもですけど
投稿: | 2011年2月 1日 (火) 09時41分
いい話だが結局何が言いたいのかよくわからんかった
投稿: トイトイの鬼 | 2011年2月 1日 (火) 12時08分
大学時代はナンパしてせっかく取り付けた女との約束を、雀荘で約束の時間まで徹マンで結局ブッチとか良くしてた。いま考えるとなんてもったいないんだと思う。
でも俺の通ってた雀荘、同じような大学生が多くてダチみたいになってたから、当時は女よりダチだろ、みたいな気になってた。なんてもったいない。
ちなみに場所は御茶ノ水
投稿: | 2011年2月 1日 (火) 13時47分
福地先生のブログが面白くて一番最初のから全部読みました。携帯からだからめちゃ疲れたけど先生天才ですな。ちなみに一番面白かったのはテンガを初めて使ったときの「メモリアルオナニー」でしたわwww
投稿: けいそ | 2011年2月 1日 (火) 17時38分
うちの大学にも東大法学卒助手の教授いましたよ。
環境法教えてました。
頭は切れるんですが、授業はあんまりでしたw
ちなみに自分は法学部出身ですが、
歴史や思想に興味があって、法律スルーして
一般教養で歴史、思想をとりまくって、
入門レベルですが、現代思想もかじってましたよ。
僕も文一じゃなくて、文三受ければよかったです。
まあ、文三出願でも落ちてた可能性もけっこうありますが。
東大は、当時は得点開示なかったですが、
今は合格者にも不合格者にも入試の得点郵送されてきますよ。
知ってました?
投稿: 歴史好き | 2011年2月 1日 (火) 20時59分
今回の話は小説みたいで読みやすかったです。
どのように変になっていったのか続編楽しみにしてます
投稿: ポチ | 2011年2月 2日 (水) 00時26分
九州出身の人は留年を重ねる人が多いですね
大学受験熱の高さの反動、とゆーのが僕らの周りでは定説とされてましたが
投稿: | 2011年2月 2日 (水) 02時22分
>>大学のときの同級生にS君という人がいた。正確には留年して同級生になった人で、S君は俺より1年だか2年だか先に入学していて、留年して落ちてきた結果、同級生になった人だった。
この文章に違和感を感じた。
俺は国語が小学生レベルだから気のせいかな。
投稿: is | 2011年2月 2日 (水) 22時11分
麻雀漬けじゃない人生=「まっとうな人生」が有るっていう前提自体はなんだか『監獄の誕生』の「矯正」みたいな概念を思い出さずにはいられませんが、雀荘で働いていると将来への不安とか、世間からの乖離感を感じる瞬間が少なからず有る、という事なのかなと思います。
私は雀荘の経営やそこでの労働の内実は詳しく存じませんが、それに携わっている人に「一生続けていく商売じゃない」と考えられているという事でしょうか。出勤時間も不規則だし。
警察官は1.5日毎に出勤と待機(休暇ではない)を繰り返す生活だそうですが、寿命が60歳台前半らしいです。一定の時間帯に就寝するパターンに比べて体への負担が大きいのかもしれませんね。
私はこの「ツモクラテス」の話に主に雀荘勤務者及び彼らの身近で生活している者の心理的な葛藤を見ましたが、今回の記事の内容から推測するに次回の記事の趣旨は「麻雀中毒者は結局必要に迫られて他の事をせざるを得なくなる」という結論になるのでしょうかwそれっていい事なのかな…w
私は、メンバー業を一生続ける事が出来るならそれはなかなか大した事だと思いますし、麻雀をライフワークにしながら別に仕事を持っている人だって山ほどいるわけで、麻雀はほとんどの人にとって無害なテーブルゲームの一種だと考えます。てゆうか駄目な奴は麻雀やろうがやるまいが駄目なんじゃないのw
投稿: 魔法中年 | 2011年2月 4日 (金) 12時11分
麻雀で貴重なはずの20代を完全に浪費した俺から見れば麻雀は完全に竜宮城ですけどね。
片山先生の、麻雀で時間を浪費したのではない、使ったんだ。
という言葉にも説得力は感じますけどねw
でもまぁ、麻雀友達が一生の友達かと言われると、麻雀をやめてみるとそうとも思えないですし。
本当に楽しかったんで後悔はしてませんが、竜宮城だったか?と聞かれるとその通りとしか思えないな。
投稿: えびフィレオ | 2011年2月 6日 (日) 05時37分