【麻雀】リアル狼の凌
狼の凌という麻雀漫画がある。単行本(未完結、1巻だけ)が出たのが1997年。その当時としても絵柄が相当に古かったので、もはや今の若い人には浮世絵を見るのと変わらないんじゃないかと思う。眉毛が太すぎて。
そのあらすじはというと、
ムショから出てきた代打ちが麻雀の勝負の場に出てみたら、ムショに入ってる10年の間に戦術がすごく進化してて、彼の打ち筋はまるで通用しなかった。
最初は「若い連中は…」と余裕で見下していたのだが、ずっと勝てないでいるうちに、じつは彼らのほうが強いんじゃないかと気がつき、若い人に教えてもらって麻雀を勉強し直す。手役重視の打ち方を捨てて、牌効率重視のスピード打法へと。
てな内容。
数日前に、いのけんとしばむーがツイッターで麻雀劇画の話をしてて、出てきたのが、俺=リアル狼の凌って話だった。
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kyouji0716 芝村矜侍
@inoken0315 っていうか今なら多分@fukuchinkoがリアル狼の凌だと思うんだよな。 東大卒業!麻雀も強い! でも天鳳で通用しませんでした! だからカンチャン即リーに雀風変える! ってもう完全に麻雀漫画のプロットを地で行ってるだろあの人。
kyouji0716 芝村矜侍
20年経って現実が漫画に追いついたんですよ RT @fukuchinko: リアル狼の凌ワロタ
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ここから先は余計な話になるけど、専門家風の解説を。
「20年経って現実が漫画に追いついた」というのは、話としては面白いけど、じつはそう単純なもんでもない。
まずね、『狼の凌』は1997年当時としても、すでに10年古かった。手役重視をやめて、牌効率重視のスピード打法へってのは、当時としても、もはや当たり前すぎるくらい当たり前だった。
山崎一夫さんが『麻雀で食え!』の連載を始めたのが90年代前半のこと。彼が提唱した棒テン即リー全ツッパの影響は大きくて、麻雀プロの牌譜を見ても、90年くらいの時期はとくに理由のないダマテンが多かったけど、90年代後半には好形を作ってさっさとリーチというのが常識になっていた。
では、なぜ『狼の凌』は10年古かったのか。原作者の土井泰昭さんが、麻雀プロのリーグ戦しか打ってなかったからですね。
麻雀プロのルールというものは、世間のルールより20年古くなる。一発裏ドラが取り入れられたのも20年くらいあと(団体によって違う、今でも採用してない団体がいくつか)だったし、もうまもなくすると赤が入ってくるんじゃないかと思う。
結局ね、ベスト打法というのはルールによって変わってくる。戦術はルールという関数の解なのだ。
一発・裏ドラの採用によって、メンゼンスピード打法(牌効率打法)が有利になり、赤の採用によって、鳴きも含めたスピード打法が有利になる。メンゼンリーチ派の打ち方というのは、今となっては一昔前のベスト打法なのだ。
『狼の凌』について、四方田さんが詳しいレビューを書いていて、そこにこんな一節がある。
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凌はおそらく30代後半~40代前半くらいの歳だろう。その歳になってから、自分がプロフェッショナルであると思っていたジャンルを学びなおすことがどれだけ難しいことであるか、想像にかたくない。
プロフェッショナルであるはずのことを再勉強する時は、どんな人にでも必ず訪れる。その経過を描く上での朴訥なまでの誠実さと丁寧さを私は評価したい。
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ひじょうに好意的なレビューで、そのことには共感するし、『狼の凌』はレクチャー漫画としては最高峰で『打姫オバカミーコ』の上を行くと思うのだが、それをふまえた上でさらに余計な一言を。
過去のプライドがしがみつかず、いいと思ったことは柔軟に吸収する。それが過去に自分が築いた体系を否定し、全面的な再構築を迫るものであったとしても。
こういうと、その柔軟さは素晴らしいようだが、正直なところ、これがそれほどすごいことなのか疑問に思う。むしろ当たり前なんじゃないかと。
どんな分野だって、金の動く世界のプロとして最前線にいるならば、常に自分をバージョンアップし続けるのは当たり前。若い人からすると、一度は頂点を極めた人が…とか、過去の名声があるのに…って思うかもしれないけど、そんなもんが持続するのはせいぜい3年だろ。
最新の技術を導入しようとせずパラダイム転換できないのは、自称作家とか自称プロみたいに生活がかかってないからだと思うわ。生活がかかってればマジになるってだけじゃなくて、場の空気が現実主義、結果主義になるからね。
というわけで、 小室哲哉がんばれ! ←これが結論ヾ(・∀・。)ノダ-!!
なんかまとまりないすねw こういう文章を書いたときはだいたい消しちゃうんだが、これはこのままアップしよう。
『狼の凌』よりも、四方田さんのレビューの同じページにある『麻雀蜃気楼』こそ本当に名作だ。
つーわけで、俺はリアル狼の凌じゃねー!
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コメント
(・ิω・ิ) <呼びました?
投稿: | 2010年12月 6日 (月) 14時14分
専門家ではないけど、
>戦術はルールという関数の解なのだ。
ここでの「関数」「解」の使い方はおかしくないですか?
「方程式」の解なら分かるんですが。
あと、ルールはおそらく方程式ではなく関数的なものなので、関数の「最適解」っていうのがいいんでしょうか。
投稿: 通りすがり | 2010年12月 6日 (月) 17時15分
>通りすがりさん
ごもっともす。
自分でも、どーなんだろうと思いながら、じっくり考えるのめんどいんで、そのまま使っちまいましたーw
投稿: 福地 | 2010年12月 6日 (月) 17時41分
概ね同意。牌効率という言葉が一般化したのは最高位戦に忍田プロが出てきたあたりだったと思うから1990年前後だったと記憶。それらの技術は当時の勝ち組はすでに身につけていてそれを後年まとめたのが山崎さんの「麻雀で食え」だった。その影響で巷に棒テン即リーが増えた頃には勝ち組は鳴きを絡めたスピード打法へシフトしていた・・・てのが現場感覚かなぁ。
個人的には、真に身につけるべきは最強の戦術よりも最強のバージョンアップ方法だと思ってます。今の人たちが凸本や現麻で戦術を勉強するのがわるいわけではないけれど、それは先行者がいてはじめて行えるバージョンアップ方法だという点は認識しておくべきだろうと。多くのケースで旨味があるのは真っ先に対応した人たちなわけで、じゃあどうしたら人より先に対応できるか?って部分がじつは大事なんだけど、そのあたりの方法論はあまり語られることが少ないっすよね。
投稿: アンコロキング | 2010年12月 6日 (月) 21時22分
よくわかりませんが写真がでかすぎます。
投稿: かっぱっぱ | 2010年12月 6日 (月) 22時25分
>アンコロキングさん
ひじょーに貴重な証言ありがとうございますー。
やっぱそうでしたか。
こーゆーのはかなり主観によるし、また打ってる場というのは誰だって多くて10軒とかそんなもんだと思うので、証言は非常に助かります。
ぼくは90年代前半に、三色狙いだのなんだのってレアケースにすぎなくて、大事なのは牌効率じゃねーかと思ってたので、それまで雑誌の下についてる何切るしか作ってなかった忍田さんに、1ページの問題を作ってもらうように抜擢し「牌効率打法を見につけよう」みたいなコーナーを作ったんすよw 最初は、牌効率なんて言葉は専門的すぎるので、ファミコン打法って名前にしてたんですが、それじゃ弱そうだと言われて、3ヶ月目くらいから牌効率打法という名前にしましたw
真に身につけるべきはバージョンアップ方法という話は、ほんとにその通りなのですが、それは出版物の役割じゃないすねw みんなそこまで求めてないし、そーゆーもん書いたって、話が抽象化するので、読む人は少ないでしょうw
ビジネス書などでも、まっとうに研鑽する方法などよりも、結果だけ示すよーな本のほうが反響はいいのと同じです。
雀鬼様に会うとか(ぼくでもいいんですが)、直接会って話すんじゃないと、そーゆー効果はないと思いますね。
ぼくは自分の書いたものを読む人が、二度も三度も読んでじっくり考えるなんてことは想定してないので、一読したときにスッとわかるということを一番意識してますね~。
と、デジタルライターっぽくてすんませんw
>かっぱっぱさん
このブログに多くを求めないでくださいw
投稿: 福地 | 2010年12月 8日 (水) 19時08分
>あまり語られることが少ないっすよね。
この部分は先生に宛てたわけじゃなく、世に出る(出される)ことが少ないって意味です、念のため。出版物に適さない点は仰る通りかと。どうしたって
ニーズはインスタントなものに向かいますし。その点含めて先生は大人なんで流石と思いますわ(o´ω`o)
投稿: アンコロキング | 2010年12月 9日 (木) 02時01分
追記。忍田プロの件。そんな裏話があったとはwww
言われてみれば変な名前をつけられてた記憶がうっすらあるなぁ。
検証したいけど、当時の近麻をそっくり捨ててしまったのが悔やまれる。
投稿: アンコロキング | 2010年12月 9日 (木) 02時12分
戦術はルールという関数の解なのだ
かっちょよス
てか同意
最近フリー麻雀デビューして思うのは、ルールによって正しい打ち方が全然変わるということ。
テンゴとピンの面前祝儀だと別ゲーくらい違う。半荘戦と東風戦でも違う。
投稿: 赤うーぴん | 2010年12月 9日 (木) 13時39分