【つぶ】実用書のレベル
とある資格試験の受験テク本を校正した。その資格試験を受けるときの勉強法とか、使える参考書や問題集、使えない参考書や問題集などを書いてある本。
この本は何年か前に出して、かなり売れたみたい。それからは年に一度ずつ改訂して、新しい情報を入れたり、微修正している。
ぼくは取り上げられている参考書などを、今でも売っているか、表紙が変わってないか、内容が変わってないかなど毎年チェックしている。今年もその作業をやって、この本で叩かれた参考書や問題集はどんどん消えていっていることがわかった。
つまり、この本は業界内でミシュラン化し、一大権威となっているのだ。
その資格試験業界に関係ない人が書いているし、プロのライターじゃなく文章がイマドキの若者っぽい。強調語がやけに多く、「まったく意味不明の本」「こんな本を使っていたら絶対に落ちる」「いかにも企画倒れになりそうな発想だが、本当にその通りだから困ってしまう」「○○という科目を捨てないためにと副題にあるけれども、結果として捨てさせてしまう悪魔の書」など、表現がきつい。
視点は徹底してユーザ側で、レイアウトが使いにくいからダメとか、内容はいいけど時間がかかりすぎるから他の科目をやる時間がなくなって落ちるとか、容赦ない。学者の本は「いかにも学者本」の一言でバッサリ。「いかにも○○出版の無味乾燥な説明」とか、バッサバッサと斬っていく。
勉強を通して将来の仕事能力を身につけようという姿勢は皆無。目的はただ最短時間で試験を突破することだけ。説教臭い本はすべてバッサリ。こういった点もイマドキっぽい。
じつは、この日記の「麻雀プロ試験の傾向と対策」を書いたとき、意識したのはこの本だった。だから、麻雀プロのあるべき姿なんてことは書かなかった。それは読者が考えることで、こちらの価値観を押し付けたって意味がない。
てなわけで、この受験テク本は、かなり極端な内容だが、使うべき本と駄目な本の理由が明快で説得力あるため、読者の信頼を勝ち取りミシュラン化したのだ。
最近数年間を通して見ると、この資格試験受験業界では、ミシュランの出現によって、売れる本と売れない本の二極化が起きた。その結果、参考書や問題集のレベルが上がった。信頼できる評価機関(この場合は本)の出現によって、業界のレベルは急速に向上するのだ。
大学生の就職状況が良くなった年には資格人気が落ち、売れてない本はかなり淘汰された。また、以前は叩かれまくっていた○○出版は、この本の評価基準を参考にしたのか、その後、この本でも絶賛される本を何冊も出した。そんなふうに業界も変化している。
実用書の世界には、以前の常識を塗り替えてしまう本が出現することがある。今では、この資格試験を受ける人は9割がこのミシュランを読んでいるだろう。おそらく予備校や専門学校にまで影響をもたらしている。
この変化をプラスと見るかどうかは、その人の立場による。カタイ人からすれば、受験テクを発達させただけで、その資格試験の本来の意味を失わせることに手を貸しただけだと思うんじゃないか。でもぼくは出版人なので、この変化は「進歩」だと思う。あらゆる業界で激しく改善が繰り広げられている現在、実用書の世界だってレベルが上がるのは当然だ。
この本自身がすぐれた実用書だし、この本で絶賛されている本の説明を読んでいると、我が身を振り返ってしまう。俺はどれくらいの水準のハウツーを書いてるんだろうって。
麻雀の本には評価機関がない。そんなサイトもないこともないけど、個人的な感想を書いているだけだ。初級者、中級者、上級者によってニーズも違うわけで、ただ自分の感想を書くだけでは十分な評価じゃない。また、大半は駄目な本を斬る客観的な厳しさが足りない。
なんらかの評価機関ができれば、この世界も少しずつ厳しくなってレベルも上がるだろうにと思う。売れる本はより売れるようになり、売れない本はもっと売れなくなる。もっと厳しくなればいいのにとは思うが、厳しくなって自分が斬り捨てられる側に回る怖さもあるね。しかし、その厳しさに耐えようとしないのは、将来を捨てているだけ。座して沈んでいくだけだ。
ネット時代には口コミ情報が伝わりやすいから、麻雀の本には評価機関なり本なりがないとはいっても、やはり全体として評価は二極化しやすくなっている。それが麻雀の本を売れなくしている一因だろう。
麻雀の本を書く人は、このミシュランを読めとは言わんけど、イマドキの売れてる実用書をどれか一冊くらいは読んで、最近のハウツー書のレベルってもんを意識してほしいとは思う。ハウツー書のレベルも確実に上がっている。麻雀業界の人は社会常識が足りないってされるのは、まさにこういう部分なんじゃないかね。
とはいえ、麻雀の本だけが遅れてるってわけでもない。以前、決算書漫画の原作を書いたときに、会計のことを多少は勉強したんだけど、ロクな本は予想外に少なかった。金はすべての基本だっていうのに、会計という巨大分野で、ちょっと信じがたいことだ。だから山田真哉ばかり売れることになる。
麻雀の本がまだまだなのは、著者側の問題よりも、むしろ出版社側の問題のほうが大きい。未来を切り拓く可能性は、まだ十分あると思うな。
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コメント
麻雀本のミシュランできたら確実に某小島大先生の本売れなくなりますね( ̄▽ ̄)
しかし、何切るで強者の中でも意見割れますし、麻雀の戦術面でもタイプごとに結構違いますし、客観的に判断しにくい所がありますよね。
まあショボイ本をなくす事はできますけどね(・∀・)ニヤニヤ
あの安い麻雀王シリーズで何切る出してくれませんか?w
投稿: | 2008年11月 2日 (日) 01時10分
麻雀王シリーズの次回作は流れの読み方でお願いします!
流れのおかげで彼女ができました!
投稿: | 2008年11月 2日 (日) 01時43分
むしろ、その評価機関になりうる存在って麻雀界では福地先生のほかに誰もいないんじゃないでしょうか。プロ団体は政治力が大きく作用しているように見えるし、今後ネットの人が本を書くならば、両方に精通してる人で福地先生より詳しい人なんて日本にいないんじゃないですかね( ̄▽ ̄)
投稿: おとなし | 2008年11月 2日 (日) 05時05分
「デジタル麻雀の達人」は、最近のビジネス書(資格試験本ではありませんが)のつくりを意識して書かれてると思うんですが、肝心の内容が薄いんですよねー。
投稿: ハンバト | 2008年11月 2日 (日) 08時56分
福地先生とハンバトさんで「麻雀本ミシュラン」とかを共著すればいいんじゃね?
他に麻雀本をいろいろ読んでる人ってジャス子さんくらいしか思いつかないし
投稿: いのけん | 2008年11月 2日 (日) 09時11分
>ななしさん
何十年も前の本が生き残ってるっていうこと自体、革新性の低さの表れですよね。
麻雀王のシリーズ、この先出るのかな~?(・_・?)ハテ
>ななしさん
流れのおかげで彼女ができたとか、キンマの裏表紙の広告のよーなー(≧∇≦)
>おとなしさん
ぼくは業界に関与してるので、限界がありますね。実際にはかなりニュートラルな見方をしていても、業界に関係ある人は、それだけで中立には見えないでしょうし。
これから自分で本を書いたりする以上は、公平な立場ってちょっと難しいんじゃないかと~。
>ハンバトさん
なるほどー。形だけじゃ駄目すね。
だいたい、題名にデジタルがつく本って、中身がないのでは? デジタルの表明って、思想であって、それ自体は麻雀じゃないし。
>いのけんさん
「麻雀本ミシュラン」なんて、そんなニーズのない本は30冊くらいしか売れるわけないじゃないすか!(≧∇≦)
投稿: bakase | 2008年11月 2日 (日) 10時09分
レベルが高い低いなんてユーザー次第でいくらでも変わるんじゃねーの?それともユーザーが求めているものはそうそう変化しないんだろうか?
レベルが上がるって言うのは、有効なアプローチを提示できる人間が沢山いる状況を指すのではないかと私は思います。説得的な基準が複数出現したり、新たな価値観が短期間で出現したりする状況の方がレベル高いんじゃねって事で。
権威化するかどうかはユーザーの問題であって、その価値基準があらゆる場合に有効であることを表しているとは限らないでしょうし。
そもそもハウツー本ってそんな二元的な捉えられ方をしてるんすかね。学術書も戦術書も然りですが、その場その場で使えそうなところだけ抜き出して使うものだとばかり思ってました。
投稿: おまーん | 2008年11月 2日 (日) 15時16分
>おまーんさん
実用書がこんなに静止的にとらえられてるってことはないでしょうね。
この資格試験受験テク本にしても、勉強法の部分は読み飛ばして、参考書選びのために使われてるんじゃないかって推測されてます。そーゆーもんですよね。普通は、いいとこだけつまみ食いすると。
麻雀の本は、あの本はいい、あの本はイマイチ程度にしか語られないんですけど、それだけユーザの熱意が低いんでしょう。マーケットが小さいから、ユーザの好みの多様性が表れていないと。
投稿: | 2008年11月 5日 (水) 10時06分