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2007年12月 4日 (火)

【本】『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』という分厚い本を読んだ。「東洋経済」2007年上半期ベスト経済書1位に選ばれた本。

著者本人がテレビ対談で言っているが、一番いいたいことは1995年から世界の経済のルールが変わってしまったよ、ということ。インフレ(成長)がすべての問題を解決するとか、デフレはマネーサプライを増やせば解消できるといった、かつての方法論が通用しなくなった。

その理由は、世界が新しい段階に入ったからだという。表面的に見るならIT革命とグローバリゼーションの進展だが、より深く見るなら、先進国では17世紀以来続いた資本主義システムが終わり、「新しい中世」に入ったからだ。

中世には国家より強力なキリスト教があり、帝国の時代だったが、国民国家が強くなることによって近代が始まった。それがいま500年続いたシステムが終焉を迎え、国民国家の時代から帝国の時代に移りつつある。

帝国とは、経済的に強いだけの覇権国とは違い、軍事力や政治力もあわせもち、均質な国民国家と違って国内に大きな格差を持つ存在。日本に当たり前のように内政干渉してくるアメリカがそうで、中国も靖国問題で日本に内政干渉を始めたことは帝国になった表れだという。他にも、インド、ロシアなど、BRICS諸国は、帝国化する可能性が高い。

20世紀後半から新しい時代に入ったということは、多くの人が様々な用語を使って言うことで、ポスト工業社会、情報化時代など呼び方もたくさんある。一番有名なのはアルビン・トフラーの、農業革命・工業革命・情報革命の“第三の波”というやつだろう。著者はそれを「新しい中世」と「帝国」という2つのキーワードを使って1995年からだとする。

本書が述べていることは主に3点。

1)帝国の台頭と国民国家の退場=帝国化
2)金融経済の実物経済に対する圧倒的優位性=金融化
3)均質性の消滅と拡大する格差=2極化

衝撃的なのは、金融取引は全取引の99%に及び、実物経済はわずか1%になっていること。まともな貿易取引は1%しかないのだ。そうなると、ファンダメンタルズが金融を規定するというかつての常識も通じなくなり、頭と尻尾が逆になる。すでに金融それ自体が実体ともいえる。

そして、先進国全般において中流層が没落するのも、グローバリゼーションの進展から避けようがない。日本ではバブル崩壊以後を「失われた10年」と呼ぶけれども、じつはグローバル企業が不況に苦しんだのは5年くらい。非グローバル企業は最近になっても苦しんでいる。だから、じつは「失われた5年」と「失われた16年」であり、もっと正確にいうなら、最初から失われていないグループとずっと失われているグループになる。

国内は、好調なグローバル企業による経済圏とそれ以外の経済圏にはっきり分かれており、それが「実感なき好景気」の正体なのだ。好調な業種とは、非鉄、電気機械、精密機械、一般機械、情報通信、鉄鋼、輸送用機械産業の7つ。前半5つはいわゆるIT産業だ。

国内でグローバル経済圏企業とドメスティック経済圏企業では、1人当たり実質GDPが90年代前半にはほぼ同じだったところから、ものすごい勢いで差が開いている。こんなグラフは初めて見たが、その差は怖ろしいほどだ(P113)。

グローバル経済圏企業で働く人は全雇用者の11%にすぎず、大企業に限ると4%しかいない。最近は好景気の中で貯蓄残高を減少させている世帯が多いが、それは好景気と不況が同時に起きているからなのだ。

そんなことが書かれている。枠組がしっかりしているから、中身が頭に入りやすく、じつに勉強になる本。

注だけでも60ページを越し、大部な学術書のよう。だが、注にそれほど重要なことが書かれているわけではない。引用文献も膨大だが、著者が主に依拠しているのは、ウオーラーステイン、ブローデル、田中明彦(「新しい中世」という本の著者)。帝国をキーワードにしながら、ネグリ/ハートは一度も引用されない。

リオタール(大きな物語の終わり)、内山節、柄谷行人、坪内祐三など、人文系の引用もあり、要はポストモダンだと言っている。

ブローデルの引用は非常に多く、17世紀と現代を対比させている。大航海時代のスペインからイギリスに覇権が移っていった時代で、日本が当時のスペイン化していいのかと言っている。新時代に対応しなかったスペインは、人口停滞に苦しんだとあり、人口減少時代に入りつつある点まで似ているようだ。だが、歴史の法則というのは、そんなに確かな話じゃなかろう。

そもそも、「新しい中世」という概念は面白いけれども、厳密な検証には耐えない。最近になって、経済は国家を超えつつあるといっても、そして文化もユーチューブなど国境を超えているが、こと政治においては国家は強大で、17世紀とは比較にならない。それ以降の近代国家システムが、警察を作り、監獄を作り、精神病院を作り、病院を作り、学校を作って、罪人や精神病者や病人や子どもを収容することによって“まともな国民”を作り出したことは、フーコー先生が示す通り。人間自体が細胞のすみずみまで制度に侵食され、17世紀とはまるで違っている。

経済においても、昭和初期の恐慌では街中に浮浪者があふれた。当時は国家のGDPに占める割合が低すぎて、経済のコントロールなどできなかった。しかし現在では国家が巨大になったため、いくら不況になってもホームレスの数はたかが知れている。だから、500年間続いたシステムが終わったというよりも、20世紀の必勝法だったケインズシステムが通じなくなったというくらいが正確なんじゃないか。

そんな反論はできるが、本書は枠組がでかいことによって面白く読みやすくわかりやすくなっている。これは余計な突っ込みなのだろう。ケインズ経済学や新古典派経済学など、既存の経済理論が使われないこともわかりやすい。テレビの対談では、じつは企業群こそが帝国だと柔軟な理解を示している。

地道で真面目なエコノミストのようだ。テレビ対談

数字の部分はほとんど読み飛ばしてしまったが、地道な実証分析こそ著者の本領なのだろう。グラフやデータなど、意味がわからないものも多かったが、大変な手間がかかっていることを感じさせる労作だ。これだけの労作でありながら、すぐ古びてしまいそうなところが他人事ながら少し悲しい。

ぼくは去年、教育格差の本を書き、これからも書く予定。しかし本書を読み、グローバリゼーションが進展している以上は教育格差も開いて当然と、本書の各論のような内容にするんじゃ面白くないなと思ってしまった。もう完全に見えちゃってるものは新たな本に値しないだろう。何か未来が入ってない本は駄目で、著者本人も見通せない迷いこそが未来なのだと思う。

そもそも教育それ自体に格差なんて関係ないしね。教育の本質は、人はいかに生きるべきかと一緒で、数十年くらいじゃ何も変わらない。(小中学校では)子どもとどこまで深く長く多く接するかに尽きるんじゃないか。駄目な大人と接していれば駄目な子どもになり、まっとうな大人と接していればまっとうな子どもになる。それでいいし、それ以上でもそれ以下でもなかろう。

もう一度本書に戻ると、200年にわたって実質賃金が上り続けた「労働者の黄金時代」が終わり、逆コースに進み始めたという。そしてヤバイのは雇用よりも賃金だと。多数の人にとって(ぼくにとっても)暗黒の未来だ。サラリーマンじゃ未来がないと思っても、起業するにしても国内マーケット対象ではいずれにしろ未来がない。福祉国家が解体されんとしているいま、それでも、ある程度納得のいく、教育、医療、年金制度をどう構築するか。その問題は大きいね。

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