« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月の5件の投稿

2007年9月27日 (木)

【麻雀】麻雀はセックスより楽しいか?

昨日の日記と矛盾するようだが、麻雀ってすげー面白い。なぜだかよくわからんけど、とにかく面白いのだ。

凸本の対談で、麻雀よりぷよぷよの方が面白いんじゃないの?って意見に参加者3人とも賛成してるのだが、彼らはわかってない(まだ若いからね)。本当にぷよぷよの方が面白かったら、とっくに日本中の雀荘は潰れて、ぷよぷよ荘になってるはず。現実って重いもので、つまらないものや意味ないものは、アッちゅー間に消えちゃうのだ。ぷよぷよ荘だったら、俺は毎日のように病院帰りにフラフラと迷い込まないって!

そして麻雀は創造性を発揮するキャンバスではなくなったといっても、その反証として、たとえばぼくにしても、やはりクリエイター精神を持って文章を書いてる。

たとえ麻雀の打牌から創造性が失われたとしても、麻雀それ自体というジャンルは消えるもんじゃない。そこに何らかの形で創造性を発揮しようという人間は必ず出てくるのだ。

トランプ、花札、軍人将棋などのゲームや、丁半やおいちょかぶなどの伝統博打が廃れてしまったことを考えると、麻雀、囲碁、将棋の生命力は強い。なかでも将来有望なのは麻雀だろう。ネット時代になって各種のオンラインゲームが盛んになる中で、ふたたびプレイ人口を増やしてるゲームなんて他にないんじゃないか。

余計なお世話だと思うけど、ちょっとあいた時間にフリー雀荘に行くというレジャーを持たない人って本当に気の毒だと思う。あれほど快適で楽しいレジャーって他にあるのか?

最近は、知らないオッサンと顔つきあわせて麻雀を打つなんてとんでもねーという感性が主流で、だからフリー雀荘の客は減り、ゲーセンの麻雀が流行る。

MJや格闘倶楽部などのゲーセン麻雀はそれはそれでいいんだが、でもね(余計なお世話だと思うけど)みんな馬鹿だよね。あんな楽しいもんをやだっていうんだから。

最近は出会い系サイトなるもんが盛んで、知らない相手とセックスしようってヤツが多い。でも、知らない相手とセックスするのと、知らないオヤジと麻雀するのと、どっちが楽しいかといったら、そりゃあ麻雀だろうよ。いやいや(余計なお世話だけど)みなさんホント気の毒ですわ。

まあ、どこまでいっても余計なお世話なので、みなさん勝手にどこぞの誰かとセックスしてればいいけどさ! 上半身の理性が下半身の欲望に負けるようじゃ人間に生まれた意味ないと思うけど、まあ余計なお世話ですよね!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月26日 (水)

【麻雀】麻雀は創造的か?

世界コンピュータ将棋選手権という大会がある。将棋ソフトの強弱を競う大会で、年1回が18回も行われている歴史を持つ。

参加するのは、改良に改良を重ねられてきたソフトばかりだが、2006年に新たに登場して、彗星のように優勝したソフトがある。その名をボナンザ。他のソフトはみな将棋の有段者が工夫しまくっているのだが、ボナンザは開発者が将棋はまったくの素人。ルールくらいしか知らないという。

開発者の保木さんは全幅検索という新しいシステムを採用した。全幅検索というのは、その局面でのすべての差し手を片っ端から読むという方法だ。これまでのソフトは、有力な手を2~3に絞って読むという、人間と同じようなシステムだった。しかし、ボナンザの開発者は、チェスソフトはみな全幅検索なので、それで上手くいかないはずないと思ったという。

その結果どうなったか。ボナンザは初出場で優勝を飾ったし、対戦したプロ棋士によると、人間らしい勝負術を使うようになった。

これまでのソフトは、その局面でベストの手を探していた。しかしボナンザは、プロ棋士と同じように、相手がもっとも嫌がる手を指す。自分がベストの手を指すよりも、相手が嫌がる手を指したほうが、相手のミスを呼びやすく、勝ちにつながりやすい。

ボナンザを徹底的に研究した渡辺明竜王によると、人間らしい勝負術を使うし、ずっと対戦していると、ひとつの知性と対戦している気になるという。

しかし開発者の保木さんは、ボナンザにそんな思考はないから、それは棋譜を大量に記憶させて学習させたことからくる傾向じゃないかという。理由はわからないのだ。少なくとも、人間らしい思考などではない。これまでのソフトはコンピュータをプロ棋士に近づけることを目標にしていたが、ストレートに強くしようとすれば、別の方法があると示したわけだ。その結果、不思議にも人間性らしさのようなものが現れることになった。もちろんそれは、人間が勝手に人間らしさだと思っているだけだ。陽炎を幽霊だと思うようなことにすぎない。

将棋の戦術というものは、30年くらい前から急速に人間らしさを失ってきた。それまでは、「新手一生」といって、新しい手を“発見”することが最大の価値とされた。しかし今では新しい手を見つけても、すぐ情報が伝わるから1勝にしかならない。「新手一生」から「新手1勝」へと大幅に格下げされた。

新手を発見するよりも、実戦でいかにミスなく正確に指し続けられるかが現実には大きい。100点の手を指すことよりも、99点の手をどれだけ続けられるか。つまり、この30年あまりの変化として、新手を見つけて勝つというプラス思考から、どれだけミスを減らせるかというマイナス思考に転じた。

同じことは最近10年あまりの麻雀の戦術にもいえる。名手を出すよりも、どれだけ正確にミスせず打てるか。それが現代的な戦術の発想だ。「ひっかけ」や「忍耐」やダマテンなど、かつてあった人間臭さは消え去り、すべてが損得で計測されるようになった。

すなわち、将棋にしても、麻雀にしても、ゲームは創造性を発揮するキャンバスではなくなったのだ。将棋が強いのは将棋が強いことでしかないし、麻雀が強いのは麻雀が強いことでしかない。もはや人間力の勝負ではないし、競っているのは創造性ではなく精密さだ。

10年ほど前だと思うが、娘1号が習い事として歌の教室に通ってるといったとき、ぼくの父は「情操教育もいいよな」といった。歌が情操教育? 考えたこともない言葉にびっくりした。歌だって楽器だって、音楽は音楽。情操とは何の関係もない。それがぼくの発想だけど、情操を養うには音楽がいいと昔はいわれたらしい。

あらゆる分野で技術が進んだ結果、そこから人間臭さが消えてしまった。年配の人からすれば、情緒のないということになろうが、これは技術が進んだ結果でしかない。将棋だって麻雀だって、30年前の人と対戦したら勝つのは当たり前。神話をはぎとってしまえば、昔は本当にレベルが低かった。人間らしさの幻想という曇ったガラスを通して勝負を見ていた。

おそらく、その結果なのだろう。オカルチックなものが増えているのは。

大半の人間は合理だけでは納得しない。だから、科学の名を借りた各種オカルト(健康食品とか)や自己啓発、風水など、オカルチックなものが増えているのだ。将棋や麻雀や音楽など、個別の領域から人間臭さが消えてしまった結果として、オカルチックな領域が新たに誕生している。

現在では将棋にしろ麻雀にしろ、科学というのが大袈裟なら、内部論理をどこまで押し進められるかを競っている。だから、麻雀漫画をドラマとして成立させることも難しくなったのだ。

なお、あくまで昔と比べた相対的な問題であって、創造性が皆無になったと言ってるわけじゃないので念のため。

また、麻雀はそんなふうになってねーよという方も多いでしょうけど、この傾向は一部から始まって確実に全体に波及しつつあるので、まあ時間の問題だと思います。

※参考文献『ボナンザvs勝負脳』(角川one21新書)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月13日 (木)

【教育】私立中高の価値2

前回の続き。

同じランキング表から読み取れる傾向として、大学附属の凋落以外に、もうひとつポイントがある。

男子の上位2階層を見てみると、成蹊、成城、青山学院の没落以外は今とそれほど大きく変わらない。早慶附属はもとより、進学校系では、開成、武蔵、駒場東邦、桐朋、城北、海城と、今でも実力派の学校ばかりだ(高校募集を止めた学校も中学入試の難易度から判断している)。

また、難易度を大きく上昇させた学校もさほどない。あえて言うなら、巣鴨、攻玉社、本郷がそう。

しかし、女子では状況が大きく違う。

1965年当時、最難関だったのは慶應女子、青山学院、成蹊の3校で、第2ランクは成城学園、雙葉、桜蔭の3校だ。このうち、今でも地位を守っているのは、慶應女子、青山学院、雙葉、桜蔭の4校だ。男子校より数がグッと少ない。

逆に、難易度を上昇させた学校の数は多く、変化幅も大きくなっている。男子では全8階層のうち5番目から攻玉社、本郷が出ているが、それより下から成り上がった学校はない。それが女子になると、階層6番目から、頌栄、豊島岡、吉祥、晃華が上位まで上がっている。とくに豊島岡など、現在ではほぼ最難関クラスとなっているのだ。詳しくはトレースしないけれども、階層3番目、階層4番目から転落した学校もかなり多い。

その変化を一言でまとめるとどうなるか。女子校では、良妻賢母的な伝統校は難易度を落とし、進学校が難易度を上げたのだ。おそらく、この当時は桜蔭ですら東大に入るのは2~3人くらいだったのではないか。それが現在では50~60人。女子校の進学校化。それがこの40年間の大きな変化なのである。

この傾向は今後も変わらず、さらに進むだろう。いずれ最難関校が桜蔭で、次が豊島岡となり、雙葉や(この表にはないが)女子学院の難易度は下がっていくのではないか(慶應女子は判断できない)。

これからは、女子校も男子校とさほど変わらない価値基準で選ばれるようになってゆくだろう。女子校の独自性はその大半が薄れてゆく。グローバリズムの観点から見れば、そんな傾向が予測される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年9月 3日 (月)

【教育】私立中高の価値

こんなものを見つけた。
40年前の東京の私立高校の難易度ランク
今の序列と大きくは変わっていないが、やはり多少は違う。

男子校で評価を落とし、全8ランクのうち上位3ランクから外れたのは、成蹊、成城学園、東京電機大学、芝浦工業大学工業、正則、森村学園、工学院大学、成城、獨協、京華、日本大学第一、日本学園、武蔵工業大学付属、國學院、芝浦工業大学、聖学院、明星学園 明星といったところか(よく知らない学校も入っているので間違っていても御容赦を)。

評価を上げたのは、早稲田実業、巣鴨、攻玉社、本郷だ。

女子校で上位3ランクから外れたのは、三輪田学園、森村学園、跡見学園、恵泉女学園、調布、東京女学館、國學院、明星学園、明星か。

評価を上げたのは、光塩女子学院、頌栄女子学園、豊島岡女子学園、吉祥女子、晃華学園だ。

男女共通して目につくのは、かつて最高ランクだった成蹊と、第2ランクだった成城学園だろう。今ではさほどの難関ではなくなっており、没落貴族を思わせる。

全体として言える傾向は、大学附属の凋落だ。人口増加時代には、将来の進学先を前もって押さえてしまうことには価値があった。だが人口減少時代に入って、前もって将来の進学先を押さえることには価値がなくなった。土地と一緒で、将来値上がりしそうなら早めに買ってしまう方がいいけれども、将来値下がりしそうなら実際に使うときになって買った方がいい。

今は待てば待つほど得する時代なのだ。だから将来の進学先を押さえる必要はなくなり、大学附属は凋落している。ただし、早稲田や慶応など、大学附属であっても、今でも最高人気のところもある。その違いは何かわからないけれども、輝きを保つ学校もあれば失う学校もある。

また、大学附属ではないが、オリジナルティあふれる教育を行う学校も人気を失っている。森村学園や自由学園などがそう。今では独特の校風を持った私学らしい私学は人気を失い、進学校的な雰囲気を持った学校でないと人気がない。ぼくの姉は自由学園を出ており、ここがいかに魅力的な学校か、ぼくの親などはいまだに熱弁をふるうけれども、今では実質的に全入なのだ。

こういった学校は簡単に校風を変えられない。変えようとしたら教員を総とっかえすることになる。私学らしい私学は受難の時代だ。大学附属の場合は、半附属になって進学に力を入れるという手法があるので、どの学校もそちらに走り出しているのがこのところの風潮だ。

最近でも、子どもの受験に際して大学附属を考える親は多い。そして大学附属は、中学受験では人気を失っているが、高校受験では今も人気がある。しかし(すべてのケースとは言わないけれども)、親が大学附属を考えるときは旧来の思考法に囚われていることが多いのだ。中央大学ですら公立中学を附属化し、将来の学生をキープしようとしている時代なのである。

今では高校の名前には価値がなくなり、高校は大学へ進むための単なるプロセスとなった。高校の教育内容には価値があるけれども、それが大学につながらなかったら意味がないと考えられている。そして今、どの大学を出たかは最終学歴として意味があるとされているけれども、将来はそれすら意味を失うのだろう。すでに高校の名前には価値がないように、大学も単なるプロセスとなり、生涯実力社会となる。伝統や独自の教育力は春の雪のように消えてゆき、就職力ランキングのみが残るのだ。

今現在の能力がすべて。そのためには、今を楽に過ごそうというシステムはマイナスでしかない。それが現代的な思考法となったのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月 2日 (日)

【麻雀】凸本の売れ行き

誤解されていると申し訳ないので書いておこう。

凸本の売れ行きはかなり良かった。出した出版社が、もう1冊麻雀本を出してみるかい?と言ってくる程度には良かった。業界的な話になるけど、部数1万部以上のムックを出して、また出すかい?と言われるのって、ものすごーく難しい(書籍なら比較的簡単)。

美容や健康みたいなジャンルじゃないから、これは快挙と言っていいんじゃないか。麻雀もののムックでは、21世紀最高であることは間違いない。

ただ個人的には、もっと売れると思ってたから、そこまでは行かなかったなと思うだけ。自分の本でも、もっと売れるはずだったんだけどなーと、いつも思うんだけどさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »