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2007年7月の3件の投稿

2007年7月29日 (日)

【本】書評2つ

書評を2つ書きました。

『戦国三好一族』今谷明著
補足を少々。

ちょっと大袈裟に書きすぎてしまった点が1つ。

小瀬甫庵(おぜほあん)という人物が、信長→秀吉→家康という三代の天下取りレースという物語を“創作”し、先駆者である三好一族を「天下人」の系譜から外してしまったと書きました。しかし、彼の著作は『太閤記』『信長記』だけです。三代による天下取りレースという物語を“創作”という表現は、嘘ではないものの大袈裟すぎます。

誰かが統一政権を築かねばならなかったのは歴史的必然であり、愛知出身の三人がその中心人物となったのは偶然です(これが偶然という言葉で片付けられるかどうかは、人によって見解が相当わかれるでしょう)。

むしろ、三好長慶の力が衰えて畿内に政治的空白が生じたため、周辺の大名にチャンスが生まれ、それに乗じたのが信長だったというのが正確なところでしょう。

信長伝説の嘘はここにも書かれています。
より詳しくは『信長の戦争』(講談社学術文庫)に。

このレビューによってアマゾンで同書が3冊売れ、瞬間的に6万位から3百位までランキングが上がりました。


『偽装請負 格差社会の労働現場』 朝日新聞特別報道チーム著

こちらは追加することなし。
ただ反省として、結論がちょっと唐突すぎましたね。
こちらもアマゾンのランクは5百位くらいまで上昇。

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2007年7月12日 (木)

【麻雀】シンプルな戦術モデルは必要か?1

凸氏の講演会に行ってきた。

ゲーム情報学会(だっけ?)による、電通大で行われたもの。
関係ないけど、電通大って、24年前に共通一次を受けた会場で、それ以来だぜ。嫌な思い出だなぁ。

彼が行った「読み能力模試」で、人間をコンピュータが上回ったという結果発表を含め、麻雀研究の最前線をまとめたって内容。

「読み能力模試」について、そこで判定された能力ってホントに意味あるの?という疑問の余地はまだ十分ある。難しいもんだよね。大変だなぁと思う。

でも、ここでは話を1点に絞ろう。彼はぼくのブログから素材として言葉を拾ってきていた。

実際の麻雀を打つには、単純化したモデルは必要ない。麻雀の能力が上がれば上がるほど、状況を複雑に場合分けして考えるようになる。
という部分。

凸氏は言う。

凸「意味のある場合分けは確かに必要なんですよ。たとえば、Aという場所からBという場所に移動するとして、地下鉄、バス、タクシー、歩きなど様々な方法がある中から、そのときの時間の余裕、お金の余裕、体力の余裕がどれくらいあるかによって、ケースバイケースで考えるわけです」

凸「しかし、それが細かけりゃいいってわけじゃないんですね。その日の朝飯がご飯だったかパンだったか、その日にはいてるのがパンツかブリーフか、そういった要素まで場合分けが必要かといったら、そんなことはないわけです」

※ここで挙げた例はぼくが勝手に作ったもの。彼が出してた例は、試験を受けるときに試験官の顔色がどうとか場合分けしても無意味でしょとか、そんな感じだった。忘れた。

そして、ここまでは言ってなかったけど、要するに彼の主張は「既存の麻雀の戦術はまだまだ未整理な段階で、再構築が必要な部分が山ほどある。みんな地図すらない状態で歩き回っているようなもの」ってことになるだろう。

その通りではあるが、それほどでもないとも言えるんじゃないか。この部分をさらにつきつめていこう。

凸氏の意見としては、たぶんこういうことになると思う(推測)。

凸「自分のリーチ率は何%なのか。自分の2フーロ率は何%なのか。そんなことも知らずに、感覚だけで自分の打法を調節してる連中に戦術を語らせてても、確かなことなんていつまでたってもわかりませんよ。数値化、定量化して調べないから、愛は瞬間なりってなことになっちゃうんですよ」

これに関しては、ちょっとショックだったが、確かにそうだよなと思う。リアルでしか打たない人は、暗闇の中を手探りで打法の調節をしていると言えそうだ。

リアルでは自分のリーチ率や2フーロ率を調べる方法はないから、ちょっと大袈裟にいうなら、これからはネットで自分の打法を検証しつつ調整することが必要な時代になるのかもしれない。

だがその結果、それほど打ち方に差が生じるのだろうか? この疑問は残る。

(続く)

以下おもな内容
・強者はどうやって強者になるのか
・パラダイム論

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2007年7月 5日 (木)

【麻雀】麻雀プロが食えた時代

知り合いの日記にコメントするため書いたもの。ある程度一般的な内容を含んでいるため、こちらにもアップ。元の日記は「麻雀プロ冬の時代」ってな内容で、それに対して、じつは夏なんてなかったのでは、という内容です。


結論から言ってしまうと、麻雀プロが食えた時代ってないと思います。

荒さんが若くして王位を取ったちょい後のエッセイに、「当時はタイトルは3つしかなかった。その一つでも取れば原稿料で食えたのである」とあります。

タイトル3つというのは、名人位、最高位、王位です。でもこれはたぶんウソで、タイトルを取って灘さんと親しくなれば、ゴーストを頼まれる道が開け、そうすると食える時期も訪れることもある、ってだけだと思います。最初から、小島さん、古川さん、灘さんくらいしか食えるようになった人はいなくて、田村さんですら苦しかったんじゃないでしょうか(その後、井出さんも食える人に加わります)。

あるいは、活字誌が「近代麻雀」「麻雀研究」「プロ麻雀」と3つあった時代には、もしかしたらタイトルを取ったら食えたのかもしれませんが、一時の現象にすぎないでしょう。

「タイトルを取れば食えるようになる」というのは最初から幻でしかなく、実際にそうなった人は数人いるけど、それはタイトルがきっかけになっただけで、タイトルを取った人がみな食えるようになったわけじゃないという方が現実に近いと思います。

スポーツ新聞の何切るを作っている人の中には、なんとか八段なんて人もいますよね。新聞の何切るって、それだけでも食える仕事です。たぶん、麻雀で食えるようになるかどうかに、プロであるかどうかは関係ないんですよ。

初期の最高位の中で、その立場を活かして仕事を開拓したのって、ずっと後からプロになった狩野洋一さんくらい。麻雀教室の講師→麻雀の原稿書き→他分野の作家というコースです。

原稿料の向かう先にしても、当時から福地泡介のようなプロ以外の売れっ子はいたわけですから、たぶんあまり変わってないんですよ。麻雀プロであることは、出版社が原稿を頼もうと判断するメリットの一つにはなっても、それが根本要因じゃないんでしょう。

雀荘以外の仕事で麻雀により食える席は5つくらい。この状態は大きくは変わってないんだと思います。

麻雀プロの現代的な出世コースとしては、ヒサトが好例では。あとからプロになっただけで、その前から注目される存在だったわけです。注目されるようになってから、本人にやる気があったため、文章もどんどん上手くなってゆき、他のプロには書けない文章が書けるようになる。そんな道筋をたどっています。

麻雀が強い人は最初から強くて、ほとんどの人は3年もすれば雀力が固定してしまうように、文章が上手くなるのも一部の例外だけで、金をもらって原稿を書いたからって上手くなるもんじゃありません。上手くなるのは極端にやる気のある例外的な人だけです。

つまらない結論ですけど、結局は本人のやる気とセンス。「プロになったから」「タイトルを取ったから」と、依存的に考えてしまう人には無理なんでしょう。自分の席は自分で作るしかない、それが根本なんだと思います。

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