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2007年6月の4件の投稿

2007年6月30日 (土)

【つぶ】魂の救済はどこにあるのか?

規制緩和が進み、新自由主義が全盛となりつつある。子どもですら、中学に入るときには自分は勝ち組になるのか負け組になるのか、うっすらと感じ取るようになってきている。

さらには、人生の規制緩和も進み、男女差も薄れつつある。個人のライフコースでも、就職や結婚などのライフイベントが誰にでも訪れるわけじゃなくなりつつある。

専業主婦という夢。一戸建てという夢。そういう夢を見られない人は増えている。

それでは魂の救済はどこにあるのか? 本当にどこにあるんだろう?

「今」にある。「消費」にある。「セックス」にある。「子ども」にある。「新興宗教」にある。それくらいしか思いつかない。

今の日本人にとって、あらゆる社会問題よりも、魂の問題のほうが大きいんじゃないか。宗教は麻薬だから、魂で社会問題を語るべきじゃないが、魂の不在がすべての不幸の根本に横たわっていると思う。

本来なら宗教がカバーすべき場所があいてしまい、魂のよりどころをなくしてしまっている。それが今の日本人だ。「人はなぜ生きるのか」という問いの答えがもっとはっきりしていれば、多くの人は今よりもずっと幸せなはず。

『1万円の世界地図』という本に、日本人の幸福度は世界90位というデータが載っている。上位で北欧や中欧以外には、5位のバハマ、8位のブータンが目につく。これは宗教の力だろう。われわれは倫理と宗教こそ語るべきなのかもしれない。

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2007年6月29日 (金)

【つぶ】赤ちゃんを捨てた側の論理

赤ちゃんポストの設置をきっかけに、捨て子について議論が起きた。賛否両論あるようだが、否定派の意見は「産んだら育てるべき。それが無理なら産むべきじゃない」という倫理面にまとめられそう。

今週の『SPA!』に「赤ちゃんを捨てた側の論理」という記事が載っている。これは読もうと思い、立ち読みですませず買ってきたのだが、これが予想以上にリアルですごい記事だった。

遺棄少女3人のインタビューから、いくつかフレーズを拾ってみよう。

 * * *

★1人目。15歳。

「父親(相手)は名古屋市内に遊びに行ったときにナンパされてHした18歳くらいの人。『子供できたかも』ってメールしたら、速攻でアド変されて、音信普通状態」

「ウチは親が異常に厳しい。子供の頃、叩かれて骨折したこともあった。だから絶対言えなかった」

風邪薬を12錠一気に飲んだが、すぐに吐き出してしまい、救急車を呼ぶ事態にすらならず、頑丈な自分の体を呪った。

「少し楽になった瞬間、『メリメリメリ』ってアソコが切れる音がして、ゴトって地面に落ちた。夜中の2時頃でした」

「(生まれた赤ちゃんを外に連れ出し)川に投げるか森に投げるか迷った」

「母親の気持ちなんか全然出てこないし、かわいくない、見たくない、見るとたぶん殺したくなる。川に捨ててたら、たぶん少年院に行くことになったかもしれないけど、そっちのほうがラッキーだったと思う」

★2人目。18歳。

「ぶっちゃけ、誰の子かわかんない」

母親は「あんた性病なんでしょ? 頭がパーの子が生まれるから堕ろしないさい」と無責任かつ無知な言葉を繰り返すばかり。

出産は地獄だった。激しい陣痛は半日以上続き、本気で救急車を呼ぶことを考えたが、携帯電話も家の固定電話も料金未納で止まっていた。

「母親は生活保護を受けてたから、乳児院入りが決まったのだと思う。だから、まぁ親が貧乏でラッキーかなと思ったね」

★3人目。17歳。

「妊娠は2回目だった。2回とも、相手は援交の客。1回目は中絶したんだけど……」

(施設から脱走してから)3年間、援交や年齢をごまかして採用された風俗で、生計を立てている。

リョウ(居候先、女)の部屋で産むことにした。産婆はリョウ。もし危険だと感じたら即、救急車を呼ぶと決め、腹を据えた。

「最低なのはわかっている。やっぱり、本当は私が育てるべきだった。でも16歳の家出少女と援交相手との間に生まれたことになるよりは、私と同じように施設で育ったほうが全然マシだもん」

 * * *

という感じ。1人目は「殺したほうがよかった」と言っていて、そう言うことに罪悪感なし。2人目はちょっとした病気にかかった気分で、もう気にしてない。3人目は罪悪感を持っているが、赤ちゃんの乳児院行きを納得もしている。

特集の中には、自称“ピル屋”の「『妊娠しちゃったけど、ピル一気で堕ろしたよ~』なんていう話をよく聞きますよ。『妊娠? 何それ? 性病のちょっと酷いやつじゃないの?』みたいなノリのコもいますしね」という証言もある。

生物的にはセックスというのは子作りなのだが、あらゆるメディアが伝えるイメージは「愛の行為」であるか「快楽の行為」であるかのどちらかだ。本来的にはセックスは子作りだというのは、多数派の側の常識にすぎない。避妊や性病の知識も、必要な者ほど持っていない。

この状況で、なんとしても自分で育てろというのは、虐待や遺棄を増やすだけだ。「赤ちゃんポストは遺棄を助長する」と反対派は言うけど、捨てればいいからって産むやつはいないでしょ。

じゃあ解決策は? たぶんないんじゃないか。経済格差を小さくするというのは現状では机上の空論にしか思えないし、教育をしっかりするというのは効果ないと思う。少子化だし、国が施設で育てるのがいいのでは。

赤ちゃんポスト反対ってのは、自分の倫理を誰に対しても適用すべきだと主張してるだけだよね?

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2007年6月15日 (金)

【麻雀】同人誌発売中

ぼくも書いてる麻雀の同人誌を3冊発売中です。 5月のコミティアというイベントで売ったもの。

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★『麻雀の未来1』

この中で「麻雀は博打かゲームか」「麻雀で喰うには?その体験的考察」という2つの文章を書いてます。前者はこのブログにも載せてるやつ。後者は数年前にボツった原稿ですね。これは製本したやつは売り切れちゃってpdf版のみ。

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★『麻雀の未来2』

「麻雀史を書く前にうろうろ」ってタイトルで、竹書房の名誉会長のこと。これはまだ製本したやつがあるはず。

麻雀専門の出版社を起こしたけど、最初はちっとも売れなくて夜逃げ寸前。でも、自分の生命保険を担保に大日本印刷に刷ってもらったりしているうちに、その苦境から抜け出す原動力となったのは麻雀漫画だったって話。

昔は銀座でホームレスだった話など、本人に断りなしで勝手に書いちゃったので、ビクビクしながら届けに行ったら、機嫌よし。生命保険の話は、「形式的に預かるだけかと思ったら、あて先をちゃんと妻から大日本印刷に書き換えさせるんだから、やるもんだよね」とのこと。

Janngabaka
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★『雀画バカ一代』

かつて雑誌『近代麻雀』で連載してた麻雀漫画評論(っていうのかな)の「雀画バカ一代」を1冊にまとめたもの。いろんなお題で、ちと古いマニアックなやつから最近のやつまで麻雀漫画を扱ってます。記事としてそんなに人気あったわけじゃないんですが、まあしょーがないですよね。実用性ないやつって人気ないし。自分としてはかなり楽しい連載でした。ちなみに、表表紙は傀風のぼくで、裏表紙にはかほりさん風のぼく。これもまだ製本したやつがあるはずです。

といっても、製本したやつがあっても、せいぜい数十部しか残ってないので、ご希望の方はお早めに。よろしくお願いしますー。

どれも字で麻雀のノーガキを読みたい人にはオススメできるんじゃないかと。みな約100ページ。

こちら↓に、内容紹介と通販の方法が。
http://www.mansengo.net/beginner/mirai_sell.html

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2007年6月 7日 (木)

【麻雀】凸本を振り返って

『超入門 科学する麻雀』が発売されて半年あまりがたった。感想なども含め、簡単に振り返ってみよう。

★1)まず、思ったより売れなかった。

いや、売れなかったというのは厳しすぎる表現だ。普通の麻雀の本の推測5倍くらいは売れている。だから十分に売れてはいるのだが、正直もっと売れるかと思っていた。講談社現代新書の『科学する麻雀』のように増刷の嵐になるかと期待していたら、まだ一度も増刷になっていない。

理由はわからない。

値段が千円以上するからなのか、前著と内容がかなり重複しているからなのか、新聞や雑誌に紹介されなかったからなのか、凸のカリスマ性が衰えたのか、本屋で雑誌や文庫や新書のコーナーまでは見るけどそれ以上は見ないという人が予想以上に多かったのか。いや、これが普通なんですけどね。

売れ行きがいいのは紀伊国屋などの大書店なので、流通の問題は大きそうだが、要因を絞る根拠もデータもない。不明だ。

★2)それからこれは前にも書いたことだが、以前は、これから凸2号、凸3号、凸4号などが続々と登場してくるんじゃないかと思っていたけど、そう簡単にはいかないことがわかった。2号すら出てくるかどうかわからない。

この本について、ブログなどでよく「文系なので数学的な部分はよくわかりませんが……」と書かれている。じゃあ理系ならわかるのかといったら、どうやらそうでもないようだ。それどころか、理系でも9割以上の人は数学的部分について理解できてないみたい。

統計学を理解できることとと自分で使いこなせることには天と地ほどのへだたりがあるけれども、理解の水準に達している人すらほぼいないように思われる。今回の仕事に当たって、再現するくらい簡単にできるだろうと甘く見ていたぼくも、書いた原稿は凸から間違いだらけと評されてしまった。

正確にいうなら、世の中に統計学を使える人はいっぱいいるけど、そういう人は麻雀にはハマらないのだろう。麻雀にハマるタイプと数学にハマるタイプは重ならないんだと思う。ぼくの知る範囲では、理系の人で麻雀が好きだという人はそれなりにいるのに、麻雀に科学的思考を(多少なりとも)使えている人はほぼ見たことがない。理系の人でも、一般に科学の対象じゃないと思われている分野に科学的思考を用いることができるのは、ごく少数なんじゃないか。

そして、もうひとつ大きいのは、戦術を語るセンス。戦術書を書くには、戦術を語るセンスが必要だ。麻雀が強いからといって、戦術を語るセンスがあるとは限らない。はっきりいってしまうと、麻雀が強い人の99%には戦術を語るセンスはない。そもそも必要ないしね。

戦術を語るセンスというのは、極端に単純化したモデルを提示することだ。でも、実際の麻雀を打つには、単純化したモデルは必要ない。麻雀の能力が上がれば上がるほど、状況を複雑に場合分けして考えるようになる。それをあえて単純化するわけだから、これは麻雀の能力とは別物の、ある種の抽象化能力なのだ。

凸と実際にやり取りしてみてわかったのだが、彼には抜群のセンスがあった。雑誌『近代麻雀』に「数字で語る麻雀」という記事を連載しているひいい氏と比べてみるとわかるだろう。率直にいってしまって申し訳ないのだが、ひいい氏にはセンスがなく、凸にはセンスがある。凸の戦術は動的で、ひいい氏の戦術は静的だ。

そもそも、麻雀のデータを集めようとする人間はデータマニアで、そういう人はデータそのものに興味があって、そこから先に思考が発展しない。思考が先走るタイプは地道なデータ取りは苦手だ。データ収集の資質と抽象化能力は折り合いが悪いのである。

例として適当かどうかわからないけど、世界史や日本史を学ぶ意味は、過去を知ることによって未来を予測することだと説明される。でも、歴史学者は過去のこまかいことを調べているばかりで、そこから未来予測などは絶対にしない。未来予測というのは大胆にモデル化することであり、歴史を調べるのは地道な作業だ。資質がまるで逆で、「過去を知ることは未来を知ること」だという説明は机上の空論にすぎないのである。

統計学を使うこと(データ収集)と戦術のモデル化も同じようなもので、正反対の資質が必要とされる。両方を兼ね備えているのは突然変異的な変わり者だけで、そういう人間はめったにいないのだ。

というわけで、凸2号、凸3号、凸4号が出てくる可能性はそう高くはない。ネット麻雀が普及したからデータの時代になったというような簡単なものではなかった。

なので凸さん、これが使命だと思って、さっさと公務員を辞めて麻雀研究ニートになりなさい。

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