【麻雀】3.ゲーム性における特徴
昨年、同人誌『麻雀の未来』に書いた「麻雀は博打かゲームか」から。第3節です。
博打として考えたときに、麻雀には特異な点がいろいろある。腕が必要だが、その一方で運も大きい。自己コントロール感が強く、勝ったときの達成感と負けたときの敗北感はどちらも大きい。時間がかかりすぎて、勝ち負けを決める効率がきわめて悪い。
普通、博打というものは、金の張りの大小も勝負の大きな要素である。極端なことをいうなら、ポーカーでは一勝九九敗でも勝つことができる。博打とはそういうものだという感覚を、われわれは持っているのではないか。
だが、麻雀は一勝九九敗では勝つことができない。半荘という単位を考えたとき、イーブン以上の成績でないと負けてしまう。金の動きの有限性――ここに博打として見たときの日本麻雀の特徴がある。
その一方で、点棒の動きは無限に近い。千点の手を何度上がっても、役満一発で引っくり返されてしまったりする。点棒の段階ではきわめて博打的だ。点棒の動きの無限性――ここにプレイ中は博打的な気分に浸ってしまう理由がある。
つまり、点棒は博打的に動くが、金は博打的に動かない。それが麻雀なのである。だから、金を賭けなくとも、疑似ギャンブルとしてゲームが成り立つのだ。
賭博とは、歓喜と絶望が背中合わせのものであり、そこには狂気が潜んでいる。だが、麻雀は博打として見たときに、「狂気の博打」どころか、「勤勉の博打」である。一勝九九敗では勝つことができず、地道に勝利を積み重ねるしかない。一攫千金はあり得ず、金の魅力によって新規プレイヤーを獲得することはできないのだ。さらには、個々の技術においても、細かい要素の寄せ集めである。勤勉を愛する人でないと麻雀を心底好きにはならないのでないか。
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コメント
完全ランダムにしてほしい
投稿: 麻雀3について | 2008年7月21日 (月) 03時10分
>麻雀3についてさん
ネット麻雀だとほぼランダムなのでは~(´▽`)
投稿: 福地 | 2008年7月21日 (月) 05時30分