【教育】教育格差8
さらにしつこく「日刊ゲンダイ」の連載から。
教育格差の実情について調べるため、いくつかの高校を訪ね、話を聞いた。そのなかには悲惨な例が何件かあった。
高校の授業料を滞納しており、親とは連絡がつかず、もうこれ以上は待てないとなったときに、ようやく親と連絡がついた。しかし、自宅が強制執行になっており、とても払える状態じゃないと言った家庭。
授業料の滞納があまりに続き、これ以上待つことはできないと通達したら、親が高校に怒鳴り込んできて「うちは夫婦とも中卒で、祖父母もみな中卒だ。この子は初めて高卒になれる予定だったのに、それを退学にするとは、なんてことしやがるんだ!」とクレームをつけた家庭。
親が高校の授業料を出してくれないため、子供は自分でバイトして授業料を払おうとしていたが、給料日になると親がバイト先に現れて、子どものバイト代を奪い取っていってしまう家庭。
どれも公立高校で聞いた話だ。公立高校の授業料は年額12万円程度にすぎない。大学の学費は「物価の劣等生」だが、公立高校の学費は卵と同様に「物価の優等生」なのである。それでもその負担に耐えられない家庭が増えている。
現代の親子は「友だち親子」化しているケースが多いが、そんな家庭では、子供が小学生のときから早くも友だち親子化しているケースが目に付く。最近の教師は子供を厳しく叱ることはないから、家庭でも学校でもロクに叱られた経験がない子供たちは、どんな大人に育っていくのだろう。
その一方で、小学校受験のために3歳から塾へ通い、しつけから勉強までミッチリ教育されている子供たちもいる。最近では公教育への信頼感が失われてしまい、我が子を公立の小学校や中学に通わせることを不安に感じる親が多い。その結果、受験教育が早期化しており、幼児のうちから何かしら始めるのが常識のようになっている。
一方には家庭でも塾でも教育が過剰な子供たちがいて、一方には家庭で教育が不足し塾などには行ったことのない子供たちがいる。私立受験が早期化し、地域による住み分けが進んだ現在では、違った育ち方をしている子供たちはほとんど出会うこともない。
ネット発の現代文学とも言える「電車男」は、お嬢さまとオタク男の出会いと恋の物語だった。あれは教育過剰組と不足組が〝身分の差〟を乗り越えて恋に落ちた現代の神話なのだ。この物語が社会現象化したことは、それが容易には起こりえない世の中になってしまったことを表している。今では教育は〝身分差〟を固定させる場になってしまった。(つづく)
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