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2006年11月19日 (日)

【教育】学校という鍋

教育に関心のある人は、最近の情勢を心配してるんじゃないか。

最近は教育ネタのニュースが多い。その多くで学校の責任が問われている。子どもの自殺なんて本当に学校の責任なのかあやしいもんだけど、校長も現場の教師もますます立場がない。

このままでは教師のなり手が減ってしまい、人材としての質が下がってしまうんじゃないか。そんな心配を多くの人がしてると思う。

日本の教師の質は諸外国にくらべて決して悪くない。予算や時間など与えられた条件の中で、かなり頑張っている。

教育の良し悪しはかなりのほどを教師によっている。制度は流れを良くするためのもので、根本は教師なのだ。

これ↓は、そんな状況を心配してるって話が満載の対談本。

『欲ばり過ぎるニッポンの教育』(講談社現代新書)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061498665/

改革すればするほど、日本の教育は悪くなってるんじゃないかと苅谷剛彦さんはいう。本当にいま改革する必要があるのかと疑問を投げかける。世界最高とされるフィンランドとの比較などが豊富に出てきて、そちらの陰の面も取り上げ、じつは日本の公教育も決して悪いもんじゃないという。

日本は高校進学率が97%にもなってしまったため、それが6割くらいだったら社会問題になってたものが、みな学校の問題とされてしまった。いろんな問題が、すべて担任や校長の責任だとされてしまう現状には無理があるのだが、それでは、その問題を家庭に差し戻せばいいかというと、それもまた解決には結びつきそうもない。

日本の評価方法は相対主義だ。たとえば受験では、定員以内に入れれば合格になる。フィンランドでは絶対主義なので、一定水準に達しなければならない。それが高校生の段階から日本の大学など比較にならない厳しさだ。

これまで日本の教育はやさしすぎた。「15の春を泣かせるな」といって、みんなが高校に行けるようにし、大学に進みたい子が増えたら、どんどん大学を増やした。

最近は学力低下が問題になっているが、もし高卒資格認定試験のようなものを作り、それに合格しない者は大学に入れないという制度にして、しかもその基準を厳しくしたとしよう。高校で学ぶすべての科目を課し、すべて6割以上できないと大学に出願する資格もないとする。生徒がいなくなってしまう大学からも、子どもが大学に入れなくなってしまう親からも、大きな不満の声が上がるだろう。

やさしいのがいいのか、厳しいのがいいのか。みんなが学校という鍋に、あらゆる矛盾した望みをぶち込んでいるのが現状だ。

いま、小学校で英語を必修化しようって方向に来てるけれども、英語を入れるってことは、代わりの何かが抜け落ちることになる。そういった全体のバランスを考えようっていうのが、いつもの苅谷さんのスタンス。ホント小学校の英語必修化なんて時間も予算も無駄としかいいようがない。

地すべり的な不安の渦に飲み込まれている日本の教育は、やはり日本社会の鏡なのだろう。今の日本が大きな不安を抱えているのだ。

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コメント

「学校はやさしすぎた」という面もあるでしょうけど、教育産業という国際競争力のない既成産業がお客に媚びすぎたんじゃないですか。資格試験なんかやって売り上げが落ちたら倒産する高校が累々でしょうね。(笑)

投稿: 黒糖焼酎 | 2006年11月19日 (日) 23時44分

>黒糖焼酎さん

いま大学全入で潰れる大学がドシドシ出るって騒いでますけど、資金的に独立している以上、潰れる学校があるのも当たり前の話ですよね。民間企業なんか潰れまくりですもんね。

投稿: 福地 | 2007年1月28日 (日) 17時36分

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