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2006年11月 2日 (木)

【教育】未履修問題に寄せて

昨日の日記に書いたように、今回の未履修問題について、ぼくの意見は、必修なんてもんで縛らず、好きにやらせてやれよということになる。つまり、おとがめゼロでいい。

公立中学から公立高校に進み(いや私立高校でも同じことだ)、国公立大学を受ける子は、ホント大変だしえらいよなと思う。なんで彼らをさらに縛ろうとするんだろう。

ただし個人的な感想としては逆で、(現実には無理なんだからしょうがないけど)理社はできるだけやっといたほうがいいぞとも思う。

高校でやる教科は、英数国は論理力のトレーニングであり、理社は実学だ。それは役立つ知識なのだ。

ぼくが高校生だった時代には、高校の理社はほぼ全部やるものだった。その後のカリキュラム変更で、小中学校でやる内容がどんどん減らされ、その内容がみな高校に来て、全部やるのは無理だってことになり、選択性になった。そのため、当時は物理の履修率は80%あったものが、今は10%になっている。

ぼく自身のケースでは、高校で社会は「世界史」「地理」「倫社」「政経」の授業を受けた。しょぼい私立高校だったため、理系コースだと「日本史」は取れなかった。

理科は「物理」「化学」「生物」の授業を受けた(文系コースに行ってたら「物理」「化学」のどちらかしか取れなかった)。

当時は、高2から文系と理系に分けてしまう私立高校でも(当時の公立は高3から文理を分けていた)、理社をほぼ全部やるのが当たり前だったのだ。

高校の授業を受けたくらいじゃたいした知識なんて身につくわけじゃない。それでも、基盤となる知識を持ってることは、その後けっこう役立ったりする。得意分野だったら授業などいらないが、苦手な分野は最低の基盤を持っているかどうかって大きな差だ。

その後、「地理」「倫社」「政経」は、大学時代や大人になって読んだ本により、基本的な知識は身につけたと思う。そのベースとして、当時の授業は役立っている。当時は一番嫌いだった公民系の分野が、今では一番詳しくなっている。

今でも不足を感じるのは「世界史」だ。中学でも高校でも授業を受けたが、その内容はひどいもんだった。まともな授業を受けたかったけど、高校の世界史など単なる雑談でしかなかったから、授業など聞かず本を読んでいたことも多かった。世界史の知識を一通り身につけるため、受験科目に選ぼうかとも思ったけど、それはあまりに負担が重すぎた。

大人になって政治経済系の本を読むことによって、20世紀の歴史はだいたい把握したと思うけど、17~19世紀のヨーロッパ史は身についてない。古代から中世までは趣味の範疇だから古文漢文同様に知りたい人は知ればいい程度のものだが、近現代史は今の世の中を理解するために必要だ。高校時代あるいは大学時代のサボりを今も引きずっている。

入試で使ったのは、共通一次(センター試験)は「日本史」「倫社」「物理」「化学」、二次は「日本史」「地理」だった。理系に行く予定から秋に文転したため、急遽、二次の社会2科目が必要になった。そのとき選んだのが、ひとつは「地理」で、ひとつは授業を受けてない「日本史」だった。根本は授業のあるなしではなく好き嫌いで、小学生時代に大河ドラマなどを観ていた影響だ。

ぼくは根っから文系人間なので、数学、物理、化学は全部忘れちゃったけど、それでも数学や物理をやったことは大きかったと思う。今の中学ではph(ペーハー)すら習わなくなってしまったが、浸透圧とか、微積分とか、ニュートン力学とか、それくらいの基礎概念を知ってることって、大きいと思うんだよね。

なので、理社を一通りやっておくことは大事だと個人的には思う。でも残念ながら、今の高校生にそう言うことはできなくなっている。それは、別の時代を生きてきた者のノスタルジーにすぎないから。

誰だって大事なのは「今」であって、将来の教養のために今の受験を捨てろなんて、責任のない立場だから言えることにすぎない。すなわち諸悪の根源は受験制度にある。

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