【教育】教育格差1
8月終わりから9月にかけて「日刊ゲンダイ」でした連載から。内容は拙著『教育格差絶望社会』と一緒。文体がほんの少しだけ通俗的になってる感じでしょうか(笑)。
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最近、知り合いが愚痴を言っていた。
「フツー、小学校の運動会で、校庭にビニールシート敷いて、そこで親たちがビールを飲みますかねえ」
この人は東京都の板橋区に住んでいる。
「あ、ビールじゃなくて発泡酒なんですけど、真っ金々の頭をした20代後半の夫婦が、タバコの吸い殻をブチまけながらドンチャン騒ぎ。ウチの子は絶対こんな学校に入れたくないですよ!」
同じような話を江戸川区の人からも聞いた。最近の小学校はうるさいから、酒は持ち込み禁止のはずなのだが、それでも酒盛りを始めてしまう親がいるのだろう。
文京区に住む人にこの話をしてみた。
「いや、そんなことはありえないよ。最近は校庭だって禁煙だもん。それは地域格差なんかじゃなくて、単なる特殊な例じゃないの?」
同じ東京都でありながら、まるで別の地域、いや別の国のようだ。
一般に教育格差とは親の経済力の差だとされているが、現場の教員に聞くと、それ以前に親の意識の差であるという。その意識と経済力がピタリと一致していることに難しさがある。経済力があって教育意欲もある親と、経済力がなくて教育意欲なんてない親に二極化しているのである。
親たちは同じ地域に似たもの同士が集まって住みたがる傾向がある。その結果として、子供の教育に熱心な親は、子供が通う予定の小学校をキッチリ調べてから、マンションを購入する。今では公立の幼稚園や小学校などの教育環境は、カネで買うものになったのだ。私立なら高い学費を覚悟すればそれなりのレベルを期待することができるが、公立だと〝土地〟ごと買わなくてはならない。
ただ、たとえば東京都でも、豊かな区の小学校は環境がよく、貧しい区の小学校は環境が悪いと単純には言えない。現実はもっと細かくまだら状になっているのだ。豊かな区というのは、問題家庭の比率が少なく、マナーの悪い父母に苦労している小学校の少ない地域だ。そうした豊かな区の中に名門校もあれば、そのかたわらに寄り添うように非名門校がある。公立小学校であっても、名門・非名門が隣り合わせに存在しているのである。
2000年度の品川区を初めとして学校の自由選択性が導入されてから、わが子を名門校に通わせようという親が一気に増えた。名門校にはパンクするほどの希望が集まり、そういった現実に関心を持たない親の子は非名門校に通う。こうして狭い地域の中でも学校格差は拡がる。明日から教育格差の惨憺たる現状について報告していこう。(つづく)
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