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2006年11月23日 (木)

【麻雀】麻雀新撰組とその時代1

たまには、麻雀の過去原など載せてみよう。


◆1◆阿佐田哲也の登場

昭和四十年代は麻雀が光り輝いた時期だった。麻雀を打つ人間が飛躍的に増えて、雀荘が次々と開店した。麻雀の本がベストセラーとなり、テレビ番組「11PM」では麻雀コーナーが作られた。

その渦中にはずっと一人の作家がいた。彼がいなかったら、麻雀ブームも底の浅いものにすぎなかっただろうし、いや、それどころか、ろくに盛り上がらなかった可能性もありそうだ。その作家とは、いうまでもなく阿佐田哲也だ。阿佐田は一作家にとどまらず、天才的なプロデューサーとしてブームを多方面から盛り上げたのだ。それでは、まずは阿佐田哲也が人気絶頂に至るまでを見ていこう。

ギャンブルは不況時に流行るという。また社会不安があるときにも流行るともいう。昭和四十年といえば高度成長のまっただなかだが、その一方でベトナム戦争が泥沼化していた時期でもあり、ギャンブルが流行する気運は高まっていた。

昭和四十一年に、五味康祐による『五味マージャン教室』がベストセラーになる。麻雀モノが売れることに目をつけた出版社により、麻雀関係の出版物がぽつぽつと増え始めていた。この年から双葉社は阿佐田を大車輪のように使い始める。

四十一年、『週刊大衆』新年特大号、マージャン講座を連載開始(無記名)、四十五回で終了。
四十二年、マージャン講座・麻雀コンサルタント(無記名)、一年間連載。
四十三年、サラリーマン麻雀実戦訓(ペンネーム七対子)、一年間連載(単行本では改題して「Aクラス麻雀」)。

次々と麻雀モノを書いていた阿佐田だが、このときはまだ麻雀界における立場を着々と築いていたというわけではなかった。無記名であったり、七対子というペンネームであった事実からもわかる通り、むしろ売文稼業に近い感覚だったろう。当時の風潮として、また阿佐田自身の意識としても、戦術モノなどは物書きの端くれが生活費を稼ぐ手段にすぎなかった。

そんな事情はまもなく一変する。同じく『週刊大衆』で、複数作家による麻雀小説のシリーズで穴が開き、ピンチヒッターとして出番が回ってきた。今度は小説という物書きとしては一軍の舞台である。

ここで阿佐田が書いた「天和の職人」は大人気を博した。いきなりホームランを打ったのだ。以後、「捕鯨船の男」「ブー大九郎」と書かれた読み切り短編は、のきなみ大好評となる。そして一カ月ほどの準備期間をへて、不滅の金字塔『麻雀放浪記』の連載が始まるのである。

それまで小説家としては芽の出ない存在と見られていた阿佐田だが、こと麻雀専門の小説家としては、最初から松井級のホームランバッターだった。当初は青春編だけの予定だった『麻雀放浪記』は、あまりの人気に双葉社が連載の終了を認めず、風雲編、激闘編、番外編と書き続けられた。売れるとなったら出版社はあの手この手でこき使おうとする。

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敗戦直後の東京を舞台に、ギャンブラーの世界に憧れを抱く哲ら若者たち。彼らのさまよう姿を描いた、阿佐田哲也の同名小説が原作である。人気イラストレーターであり、大の映画マニアとしても知られる和田誠が初監督した、日本にはめずらしいギャンブル映画の秀作だ。 時代の雰囲気を巧みに醸しだすモノクロ画面、オープニングの『東京の花売り娘』以外、音楽を廃した清閑さ、そしてなによりも1カット1カット、こと細かく丹念につづられていく真摯な演出は、各方面で絶賛された。それまでアクションスターとして活躍し... [続きを読む]

受信: 2006年12月 5日 (火) 08時41分

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