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2006年11月23日 (木)

【麻雀】麻雀新撰組とその時代2

◆2◆麻雀新撰組、結成さる

こうして麻雀界のヒーロー的な存在となった阿佐田は、次にプロデューサーとしての手腕を発揮する。麻雀新撰組を作ったのである。隊長になったのは阿佐田で、隊員は小島武夫と古川凱章。阿佐田は新撰組を作った動機をこんなふうに書いている。

――麻雀新撰組を造ったそもそもの動機は、新しい麻雀プロを、産みだそうということであった。それまでのプロのイメージは、一方の極に常習賭博者である麻雀ゴロが居り、一方の極に純粋競技団体の有段者が居るという感じだった。そのどちらでもない、見せる麻雀を打てる連中、麻雀を読ませることのできる連中を育てようとしたのである。

小島は「麻雀でプロレスをやらないか」という誘い文句に心を揺さぶられたと述懐している。そう、麻雀でプロレスをやるところに阿佐田の意図はあった。いうまでもなくプロレスはショーであり、エンターテインメントである。ガチンコの真剣勝負とは違うのだ。

後に隊員に加わった三輪洋平はこう語っている。

「新撰組は阿佐田さんにとって小説だったのよ。あのころ、阿佐田さんは小説の材料が底をついて苦しかったからねぇ。でも、生きた人間を使って実社会を舞台に小説を書くなんて、すごい発想だよね」

なんとしても阿佐田の名前がほしかった出版社サイドは、ネタが枯渇しつつあった阿佐田に今度は麻雀の打ち手として活躍することを求めていた。それなら毎週登場することも可能だろう。そんな要請に応えるかたちで阿佐田も新しい打ち手の世界を作ってみようとした。それは新聞に囲碁欄や将棋欄があるように、麻雀の実戦も読ませることができないかという新たな市場への挑戦でもあった。

麻雀のプロレスをやるとなったら、実際のプロレス同様に相手が必要になる。対局がなかったら、打ち手の魅力は表現しようもない。その最初の舞台となったのは名人戦だった。麻雀新撰組の結成も第一期名人戦も、ともに昭和四十五年のことである。

阿佐田の考えでは、金を取って麻雀を見せるためには、打ち手も書き手もすべてがエンターテインメントである必要がある。だからこそプロレスになる。だがアマチュアの人たちは、もともと他の職業を持って、趣味として麻雀を打っている人たちである。同じように趣味で麻雀を打っている人でも、俳優やスポーツ選手とは違って、メディア側の意図に敏感な人たちではない。そういった人たちと打つ麻雀は、プロレスにはならないのではないか。

そんな阿佐田の危惧は捨て置かれた。名人戦を主催する『週刊大衆』は、打ち筋のコンセプトよりも、新旧勢力の対決というわかりやすい構図を選んだ。

麻雀新撰組が登場してから、それ以前からあった麻雀の戦術書は売れ行きががっくりと落ちていた。そんな利害の対立もあって、麻雀新撰組に対して旧勢力側は苦々しく思っていた。それなら麻雀で決着をつけるのが面白いのではないかというわけだ。

既存の麻雀団体は彼らなりのやり方で麻雀を愛しており、普及活動を行っていた。エンターテインメントに徹するという阿佐田の方針は、彼らからすると麻雀を商売ネタにしているとしか見えなかった。彼らはプロという呼称を嫌い、アマチュアにこだわった。阿佐田は新しい麻雀プロ像を作ろうとしたが、当時プロといえば雀ゴロを意味した。麻雀プロという名称を使うなら今後いっさい協力はできないと、雀荘の業界団体から申し入れられたこともあったのだ。

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