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2006年11月24日 (金)

【麻雀】麻雀新撰組とその時代3

◆3◆第一期名人戦の悲劇

こうして第一期名人戦は火花散る闘いとなった。当時、違うルールを採用し、反目しあっていた三団体から各一名ずつ、そして麻雀新撰組から二名が出場した。

まず麻雀の神様と呼ばれ、人気絶頂の作家、阿佐田哲也。終戦直後から修羅場をくぐり、かつて関東七番目の男と異名を取った打ち手である。

麻雀プロ第一号、小島武夫。十八歳からケン師相手に修行を積み、二十八歳で上京するや東京牌王のタイトルを獲得する。当時、向かうところ敵なしと評判だった。

日本麻雀連盟からは鈴木栄喜六段。一橋大学在学中から不敗の戦歴を誇り、当時は三菱商事部次長の職にあったサラリーマン雀士。最年長の五十三歳だった。

日本麻雀連盟からは会長の村石利夫八段。数多くの麻雀戦術書によって広く名を知られ、その勝負強さから麻雀界の林海峰と呼ばれていた。

そして日本牌棋院からは青山敬七段。天野大三会長の秘蔵っ子で、棋院内では不敗の記録を持ち、三十三歳にしてただ一人七段位を許されていた。

この五名で半荘十回戦を打ち、抜け番があるから各人は八回ずつ打つシステムだった。日本中のファンから注目を浴びた一戦は、人気を反映するかのように熱戦となった。最終十回戦を迎え、誌面には「四強一線に並ぶ」という見出しが躍った。阿佐田、小島、鈴木、青山の四名が、わずかの差で並んでいた。最終戦を制した者が名人位を得る。
 
このとき小島が優勝していたら、その後の麻雀プロの立場は違っていたのだろうか。「麻雀プロ」を立ち上げた阿佐田にとって、最終戦の結果は希望を潰すに等しいものだった。東三局、日本牌棋院の青山七段が六連荘、一気に抜け出したのである。第一期名人位には青山敬七段が輝いた。

その一年後に青山は引退してしまう。すぐに引退してしまうのなら、なぜ出場してきたのか。阿佐田ならずとも、そんな文句をいいたくなる。タイトルを取ったのなら、その役回りを通じて、見せる麻雀の確立に尽力してほしい。そんな願いも、彼らアマチュアにとっては考え方の相違としかいえなかった。こうして「魅せる麻雀」は「魅せない麻雀」に敗北してしまったのである。

昭和四十年代の麻雀ブームは、阿佐田哲也という人気作家と、小島武夫という人気プレイヤーを生み出した。麻雀新撰組は常に話題の中心にあった。しかしプロレス派は大舞台で真剣勝負派に勝てなかった。いかに正しい理屈を声高に語ろうとも、負けてしまった者の主張は説得力を持ちえない。昭和四十八年に麻雀新撰組が解散されたときにも、麻雀プロは麻雀でプロレスを行うという方針が定着していたとはいえなかった。

現在、テレビの麻雀番組は、芸能人を中心に行われている。やはり阿佐田の方針は正しかったということだろう。しかし、それでは麻雀は勝てないことに難しさがあった。幕末の新撰組は時代に逆行する生き方を押し通して散ったが、昭和の新撰組も麻雀+ショーイズムという矛盾した足し算の前に散ったのだった。しかしどちらも歴史に足跡を大きく残した。

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