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2006年7月21日 (金)

【つぶ】文章という迷宮

仕事で文章を書くようになって10年以上たってるけど、“文章とはなんぞや”ってことについて、謎は深まるばかり。他人に何を伝えられて、何を伝えられないのか、いつまでたってもわからない。情や心ってどれくらい伝わるものなんだろう?

ライターになって最初の数年間で一番書いたのは情報誌の文章だった。これは必要なことをわかりやすく伝えるのがすべて。そんなに難しいもんじゃなかった。

難しかったのは麻雀の観戦記などだった。そこには価値観があり、心があった。自分の感じたことを正確に書こうとすればするほど、逆に伝わらなくなってしまう。そんな感じがした。

読者アンケートは常に最低ランクだった。編集部は、人気が取れる内容じゃないから、そんなことは気にしないという態度だったけど、自分では納得していなかった。というのも、編集部の信頼などには興味なくて、ほしいのはただ人気と実力と金だった。

何の因果か麻雀病にとりつかれ、それが治らないからこうして麻雀の原稿など書いてるけど、さっさと技術を磨いてもっと広い世界に行って稼がないと家族もろとも飢え死にしちまうぜ、そう思っていた。ぼくの中で麻雀の原稿書きは、浪人が通う予備校みたいなものだった。病気が治ったらさっさと卒業するのだ。

さて、その実力はというと、まるで上達の兆しはなかった。アンケートの順位はいつまでたっても手ごたえゼロ。いくら頭を絞っても、努力が人気の向上に結びつきそうな気はしなかった。この雑誌は俺にとっては下げマンなんだな、どーせ予備校だし、卒業して場をリセットすれば運も変わるだろう、そう思ったりした。

本業として他の編集仕事をやり、副業として麻雀の原稿も書く。そんなスタイルはしばらく安定していたが、その後、情報誌の仕事をやめて、しばらくして別の編集部に入った。するとそこの仕事はロシアの拷問みたいなもんで、次から次へと方針変更の嵐。気を持ち直して新しい方針を固めた頃にまたリセット。真面目に取り組もうとするほど、気が狂いそうになった。金の点では不満なかったけど、金がすべてじゃないとつくづく思った。

それまで、麻雀の原稿書きでは、金の不満はあっても、やりがいの不満はなかった。そして編集部のプリミティブな誠実さというのも、振り返ってみたら貴重なものだった。ぼくの麻雀病はちっとも治っていなかったため、ぼくは麻雀の原稿書きにますます気合いを入れ、昼はリセット編集部、夜は麻雀の原稿書きで、睡眠時間を削る生活だった。

ハードな生活だったけど、夜の仕事があることは本当にありがたかった。フリーランスでいろんな仕事を流れ歩いていると、自分は何をやってる人間なのか自分でもわからなくなってくる。「ぼくは麻雀ライターなんですよ」と思えることには救われた。

そのうちに麻雀の原稿書きの仕事が増えてゆき、リセット編集部が解散になったあと数年間はそれが本業になった。

ぼくが評価された理由は、企画力とか知識量とか作業の細かさとかそういったものだったと思うけど、そのころ文章をいかに書くかということでも、いくつか法則を発見していた。そのひとつはマジになりすぎるなということ。むしろ嘘つきでいい。

話を聞いてもらうには話術が必要だ。これはわかる。でも、文章を読んでもらうには嘘も必要だ。これは納得いかない。納得いかないけど、その法則が存在していることは確かなのだった。そして「汚れちまった悲しみに…」という詩を思い出しながら今日も嘘を書く。

こっちにとっては仕事だからマジになってしまいがちだけど、読む側にとっては一瞬の娯楽にすぎない。気合をぶつけちゃいけないんだよね。その一方で、心のこもってないものは面白くないから、ただ嘘だけでは読むに値しない。

たぶん恋愛と同じようなもんなんだろう。「おたがいの人生をかけてお話がありますっ!」と言われたら相手はビビルだろうし、ちゃらいことしか言わなかったら相手の心は動かない。

そんなわけで、こういう小手先のテクは身についても、文章についての根源的な理解はさっぱり。いい文章とはどういうものかわからないまま、今日も暗闇の中を歩くのだ。

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