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2006年7月19日 (水)

【教育】学力ゲーム

ふと思いついて、『教育格差絶望社会』という題名で検索してみた。すると、ある人が、わかるなーという批判をしていた。こんな内容。

この本では、教育といっては学力がどーのこーのって内容ばかり扱ってるけど、古いんじゃないかね。勉強がどうたらなんて社会に出たら関係ないわけで、こんなことばかり問題にするの、もう止めにしたら?

と、そんな感じ。

すごくもっともな意見だけど、現実はそう簡単でもないので、この批判に答える形で説明してみよう。

学校で教わる内容というのは、小学校では「読み書きソロバン」という言葉に示されるように、その後の社会生活の基礎としてかなり重要だ。それが中学になると、グッと抽象度が上がって生活から離れる。そんなの必要ないということもできるが、中学の段階ではまだ、あらゆる知識の基盤ということもできる。

それが高校になると、習う知識が実際に役立つと思う人はまずいないだろう。生活から遠く離れているし、内容もかなり難しい。中学で学ぶ科目を全部理解してる人はざらにいるが、高校の科目を全部マスターしている人はまずいない。

そういった知識はなぜ必要なのか? 以前、曽野綾子が「私は二次方程式を大人になってから一度も使ったことがない」と言って論争になった。2002年から、中学の理科ではイオンを教わらないことになったけど、実生活で困るかといったら、まったく困らない。誰だって、イオンなんて見たことがない。それではイオンは必要じゃないのか?

日本では中学終了まで、誰もが同じ内容を学ぶことになっている(この制度が急速に崩れつつあることが、ぼくの本のテーマだ)。イオンは、生活には関係ないのだが、将来理系に進む人にとっては基礎中の基礎だ。それくらいは中学でやってもらわないと困る。誰もが将来どの方向に進もうとしても困らないことを制度として保証するため、その後の基礎となる内容を全員が学ぶことになっているのだ。この平等主義が日本の特徴で、たとえばドイツのように、小6の段階で、将来の進路別に子どもを振り分けてしまう制度も考えられる。だが、そうすると結局は社会が荒れちゃう。ドイツの状況もかなりやばそう。

さて、上の批判は、こういった「何のために勉強するの?」という問題を言いたいわけじゃないだろう。中学や高校でやる勉強やテストなんて、お約束の学力ゲームにすぎない。トレーニングして、いいスコアを取れたら、いい学歴が手に入るけど、そんなのは社会で生きていく力とは関係ないし、就職するときに役立つくらいで、その後はたいして関係ないじゃんよ、ということだと思う(こういう意見は30~40代に多い)。

高校入試や大学入試が、お約束のゲームにすぎないのは本当にその通り。ゲームへの適性、要領の良さ、努力、その3つの要素で決まると思う。知性とか、そういう大袈裟なものはあまり関係ない(ここらへん、50代以上はそう思ってない人が多い、勉強=知性という図式が昔はあった)。

だが、現実の中学・高校は、そのゲームで高得点を取れる人を優遇する。駄目な人をどんどん出席停止にするようなことはないけど、かなり扱いが違うことは確かだ。その結果、最近では、勉強できる子のほうが、勉強できない子より、スポーツも趣味も交友すら活発だという結果が出ている。昔は、ガリ勉は青白くてスポーツなんか駄目だとされていたが、今では勉強できる子はスポーツもできるし、何かと積極的で、性格までいいとされているのだ。

この変化は、勉強できる子を優遇し勉強できない子を冷遇するという学校の収容所機能が増しているからだろう。学校というのは、プラス面から見れば知識を教えてくれるところだが、マイナス面から見れば子どもを野放しにしないための収容施設だ。そこでの扱いが違えば、本人の自信のありようも変わってくる。最近では「意欲格差」とか「希望格差」といわれるのは、勉強できることが、心の持ちようにまで直結するようになってきているからだ。

なぜ、勉強できないと、意欲や希望まで失うことになるのか? まず大きいのは、学校からドロップアウトしても、叩き上げていける職人ルートがほぼ消滅してしまったこと。昔は中卒でも、バイクの整備工場に勤めて、しっかりやっていくようなルートがあったが、今ではそういう道はほぼなくなってしまった。ドイツのマイスター制度すら危機に瀕しているくらいで、これは先進国に共通する現象だ。

そして日本独自の現象として、自営業の具合が悪い。バブルを境に、自営業を開業する数と廃業する数が逆転し、その後15年以上も自営業は減り続けている。自営というのは、勤め人としては駄目だったとしても、一国一城の主となれる一発逆転の道だ。なぜか日本ではその道が狭まる一方なのだ。チャラチャラした起業ブームもあるけど、実際に開業して生き残れる率は一説によると1500人に1人とか(ちょっと極端な数字だ)。一発逆転の道がどんどん厳しくなっている以上、普通の人だったらどこかに勤めようと思うわけで、そうなると学歴も無視できない。

だから、「お約束の学力ゲームなんてやめようぜ」という主張は正しいけれども、現実はそういうものでもない。不登校も増えているしバイトの口もいっぱいあるから、勉強から逃げ出すのは容易になっているけれども、進学ルートを外れた場合のルートがフリーター以外に見出されているわけではない。

むしろ昔にくらべて大人が勉強する必要性ははるかに増していて、勉強する能力の重要性は上がっている。パソコンだって携帯だって普及したのはこの10年で、社会の変化は早くなっており、若いうちに資格を取ったらあとは楽にやっていけるなんて仕事など、どこにもなくなってしまった。弁護士ですら、今はなったあとでも勉強ばかりだ。そんな生涯学習社会があるから、『プレジデントファミリー』などという中学受験雑誌が20万部も売れていたりする。

この問題の底には、日本の遅れがある。最近では「学歴」の時代から「学力」の時代へ移っていると言われたりするが、その「学力」の定義が日本では遅れている。正解のあることを問う、というお約束が厳然と存在している。しかし、たいがいのことには正解なんてないわけで、どの分野であっても、大学に入ると、正解なんてないことにして、もう一度体系を組み立てなおす。もちろん、1+1=2であることは変わらないが、理系の仕事だって、正解のあることを勉強するのとは違って、もっと試行錯誤的なものだ。

つまり日本では、小中高で勉強する内容も受験システムも時代遅れになっている。しかしこれまでのシステムがあまりにも強固にできているため、今でもお約束の学力ゲームが続き、そんなの無意味じゃんという意見が出てくることになるし、多くの子どもを勉強嫌いに陥らせている。それが現状というわけ。

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コメント

どもです。少しずれてしまいますがご寛恕を。

最近(まあずっとともいえますが)、麻雀に限らず、オカルト的なものへの傾倒が強い人が、多くなっているように思えます。これは、社会、とりわけメディアがそれらをもてはやすということも理由になっていると思いますが、同時に理科への理解不足が甚だしいものとなっているからと愚考いたします。
たとえば、波動を与えて水をおいしくする装置。
前いた会社の社長さんが、そんなものの代理店のようなものを始めたのですが、まあマルチの末端といったもので、結局は大損。
あ、これじゃ今の若い子の話にはなりませんな。
無視して続けますと、そのパンフの中に、水の中の溶存酸素量が増加するといった文言があるわけです。
問い合わせてみても、その根拠は帰ってこない。
当然です。
パイプの中を流れる水に、新しく酸素を加えない限り、酸素量が増える理由がないのですから。つまりデタラメを謳っているに過ぎないのです。
こんなことでも、中学の理科を身につけていれば、おおむねだまされないわけです。
勉強をする理由として、こんな言葉を聞いたことがあります。
騙される可能性が減るなら、勉強は無駄じゃないと。
医療もどきの詐欺も横行しています。
中学の理科がわかっていれば、防げるものは、とても多いだろうと感じています。
高校に行き、思考のテクニックを少しでも磨くことは、決して悪いことではないものと。

高校・大学で、もっと勉強しておけばよかったと、日々感じている今日この頃です。

投稿: 小鳥たけお | 2006年7月19日 (水) 18時54分

俺も麻雀好きなんです
三度の飯より好きなんすよね
最近ブログ始めたんですが
相互リンクしていただけないでしょうか
よろしくお願いします

投稿: asada2006 | 2006年7月19日 (水) 22時44分

>小鳥たけおさん

そうですね。
最近世の中全般に、科学的思考よりもオカルトが好きになっている傾向はあると思います。
ただ、引っかかる人はちゃんと勉強しても引っかかるよーな(笑
そーいえば、うちのかみさんに、どうしてもこの波動水だけは買いたいと泣きつかれたことありました…。
もちろん効き目は不明…。

>asada2006さん

相互リンクOKなんですが、どうやってすればいいんでしょう?
すいません。まだブログに不慣れで~^^;

投稿: 福地 | 2006年7月20日 (木) 02時05分

こんにちは。(こちらでは、「はじめまして」です。)

知性に関する見方には個人差がある様ですが、今の大人(30代~団塊の世代くらいの人間)のうち、「科挙の劣化コピー」の如き選抜方法を生き残った者がいわゆる支配階級になり、そのシステムがなまじっか成功した(1980年代まで?)のが現在の惨状を招いた気がします。

間違ったオカルトは、中途半端なデジタル(中途半端な科学)と同様に有害だと思いますが、例えば岡本太郎の様に「芸術は呪術」と言い切る生き様には閉塞感を打開するヒントがあると思います。

若いうちに麻雀を始める事も、良い教師に恵まれれば「自分の生き方を曲げる・曲げないとはどういう事か」、「流れが悪い時にどの様な対応をすべきか」、などに関してプラスなのでは?

投稿: cretinino | 2006年7月22日 (土) 17時25分

>cretininoさん

まったくその通りですよね。ただ、本当に「科挙の劣化コピー」なのかよくわかりませんけど。今のテストはかなり完成度の高いものですから、劣化コピーじゃなくて進化コピーかもしれません。いずれにしろ、それが独立した権威となってしまった点で、同じですけど。

投稿: 福地 | 2006年7月24日 (月) 09時01分

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