【麻雀】麻雀打ちの「環世界」
昨日、一緒に酒を飲んだ編集者氏が、1冊の薄い文庫本をくれた。
これを中学生のとき読んだ人が、この本にすごく影響を受けて日本を代表する動物行動学者になったんですよ。で、最近になって、あの本を復刊させたいと言って復刊させたんですね、と。
『生物から見た世界』(ユクスキュル、岩波文庫)という本。
たまたま題名だけは知ってたけど、そーか、そーゆー本だったのか。敏腕編集者って違うな。てなわけで、さっきドトールで読んだ。こんな内容。
* * *
生物の種類によって「環境」はまったく違っている。
たとえばダニは、木の上にいて、下を哺乳類が通ったときに落下し、皮膚に食いついて血を吸い、満腹したら落下して、やがて産卵して死ぬ。これは哺乳類を「待ち伏せ」してるようだが、そういう合目的な行動ではない。
ダニは目が見えないので、明るさによって木に登り、酪酸の臭いによって落下し、温度によって皮膚へ前進し、吸血する。それだけ。その知覚世界は人間が思うような三次元のものでは無論ないし、それどころか、二次元でも、一次元ですらない。ただ、「反射」によって動いているにすぎない。そう「設計」されているのだ。
また、ある鳥は、猫が仲間の鳥をくわえて歩いていると攻撃する。猫の口がふさがっているから合目的な行動のようだが、人間が黒い雑巾を手に持って差し出しても同じように攻撃してくることから、ただそう「設計」されていると考えるほうが正しい。白い雑巾を差し出しても攻撃してこないので、黒い物体をぶらさげて一定の速度で進んでいると攻撃するようにプログラミングされているのだ。
それぞれが別の知覚世界に生きていることは人間にも当てはまり、たとえば幼児が、塔の上にいる人間を小さな人形だと思って、おかあさんに取ってという例などが紹介されている。
つまり、客観的な外部環境などというものは存在せず、個々の生物によって、別々の外的世界が多様に存在しているのだという。訳者は、それを「環境」とは対立的な「環世界」という語にしている。空間認識はもちろん、時間の進み方まで違っている。
* * *
なるほどなあ。
で、思いついたのが、麻雀のカラー企画。題して「麻雀打ちのレベル別環世界」。同じ卓上であっても、その人のレベルによって、見えているポイントは違っているから、それを同じ写真で、写真の一部を明るくしたり暗くしたり加工して別の画像にする。「初級者に見えている卓」と「上級者に見えている卓」に。
実際、麻雀がある程度うまくなったら、実戦中に場の状況なしで打牌を考えることってほとんどない。ある程度以上のレベルになれば、他人の捨牌まで含めてひとつの世界だ。
でも、キンマ読者の多くにとってはそうではない。手牌13枚が世界なのだ。だから、場の状況まで含めた打牌選択の記事は人気がイマイチとなる。情報が多すぎるのだ。
そんな理由から、ぼくも苦しさを感じながら13枚だけで語れることを選び、戦術を考える。それが仕事だ。13枚だけじゃなんとも言えないから場の状況まで考えなさいよと説教するのは、ラブレターの書き方で悩んでいる人に愛撫テクも使いなさいよと説教するよーなもんだろう(ちょっと違う?)。麻雀打ちの「環世界」は、ふたつに分かれると思う。
さて、この企画、採用されるかどーか? されないだろーなw
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (0)
最近のコメント