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2006年7月23日 (日)

【麻雀】科学的思考

高校でやらされた勉強の中で、一番役に立ったと思うのって数学と物理だった。ただし物理は、閉じた系ではすべての運動が説明できるってのがすごいと思った程度。つまり数学で代表させていい。

じゃあ数学がどう役に立ったのか。それは、何かについて考えなきゃいけないときは、こうやって考えなさいよという論理的思考のモデルですね。そんなレベル高い話じゃなくて、まず条件によって場合分けしなきゃいけないし、一歩一歩推論を進めていかなきゃいけない。それくらいのこと。何を考えるのだってそうだよね。

なので、数学が得意な人、あるいは苦手じゃない人が、数学を思考ツールとしては考えていないらしいことがすごく不思議だった。

高校の数学といったら、世の9割の人は嫌な思い出しかない。嫌いな人にとっては、いくらやらされたって役立つことはないだろう。それは理解できる。でも、嫌いじゃなかったはずの人たちも、数学を役立ててモノを考えている節はないのだった。

たとえば麻雀について、なぜ立派な理系の人たちが、いざ麻雀の話になると、とんでもないことしか言わなくなっちゃうのか。それがすごく不思議だった。とんでもない公理が鬼のよーに飛びかってないか?

こんなこと書くと、ぼくはすごく数学ができたようだけど、んなことはない。文系の受験レベル。大学には理系のダチもいっぱいいたけど、まるで会話についていけなかった。

ぼくが高校までにやった数学や物理って、ニュートンくらいまで。つまり17世紀だ。そんな17世紀人のぼくは、アインシュタインだのファインマンだのって20世紀もんを意識してる連中とは、話すらできなかった。文系のダチとアキレスと亀のパラドックスについて議論したって話をしたら、理系のダチに呆れられたりした。まーそーだろーな。

『大学への数学』という、受験数学では権威の雑誌があって、ぼくのダチがその雑誌を出している出版社で働いている。何年か前、彼に頼まれて、数学ってのは思考モデルなんじゃないかって話を『高校への数学』の巻頭言に書いたことがある。

そのときのやり取りから、ぼくの考え方は必ずしも一般的じゃないことが感じられた。というよりも、どっちかって少数派のようだった。数学にひっついた生活を送っている人にとって、数学は数学以外のもんじゃないらしい。

ぼくの父親は高校の数学の教師で、数学に関してはよく勉強してて立派だと思うけど(こーゆー教師って少ないよね)、さてその思考法で他のことを考えたら…となると、頭がウニになるようだ。やはり数学は数学でしかないのであって、数学をやってりゃ思考が論理的になるってもんじゃないらしい。

つまり何が言いたいのか? 麻雀の話になるんだけど、麻雀ってのは数字を組み合わせるゲームであって、閉じた系ですよ。1局ごとに組み合わせを作っていき、それが極に達したら、また攪拌してやり直し。それを繰り返す。そういうゲームです。使う牌はたった136枚だから大自然に例えるような複雑なもんじゃないし、そこで起きてるのはけっこう単純な現象だ。数学的に扱えないはずがない。

それなのに、以前は数学的アプローチって言ったら、単純な枚数計算とアガリ点の期待値計算しかなかった。数学つーより計算だよね。この業界に高2以上の理系はなぜいないんだ? ホント疑問だった。

それが21世紀になったころから、とつげき東北先生の功績がでかいと思うけど、新しい道が開け、それが今では彼だけではなくなっている。さっき、数学や物理って要は思考でしょってブログを読み、その内容はよくわからないんだけど、その趣旨に共感するとともに、ああ時代は変わったなーと感じてしまった。

ホント良かったよ。あらゆる分野が進歩してる時代に、そうじゃなきゃ恥かしいって。ぼくが言うのもアレだけど、麻雀の本が売れないのは、レベルが低すぎるって理由も大きいと思う。現にとつげき先生の本は売れたわけだし、読んで役立つならみんな読むって。役に立たないから買わないんだ。

麻雀戦術の科学的進歩に、自分はロクに貢献しなかったなーと恥かしく思うけど、んなこと書いていると、すでに御隠居ですかね?

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