【つぶ】立ち止まっていた俺
半年ほど前、単行本にしたら売れそうなネタがあったので、出版社に持ち込んだ。
会社も編集者もどこの誰にするか迷ったが、結局選んだのはぼくが昔いた会社で同僚だった人。
彼は入社10年くらい。最初の3~4年はまるっきり無気力だったが、そこからいきなりやる気を出し、先輩たちをごぼう抜きに出世して、副部長になっている。
1~2年会っていなかったが、電話してみたら、なんと今年の8月から部長だという。副部長になってわずか1年で部長になっていた。
その会社では、こんな出世システムになっている。
平→主任→副編集長→編集長 → 副部長→部長→本部長
編集長までは現場の色彩が強く、副部長から管理職系になる(フツーの出版社では編集長から管理職系になると思う)。
彼より少し前に入った人たちが編集長になったとき、彼は主任になっていたかどうか。しかし他の人たちがそこで止まっている間に、彼ははるかに追い越して部長までなっていた。
持っていた企画書と原稿を見せ、気楽な仲なのでざっくばらんに話をする。そのネタは軍事系だったのだが、彼は中高時代に軍事オタクだったそうで、適切な突っ込みを入れてくる。そして「なんか上手い売り方ないかなー」と、いろいろ質問してくる。
すごくソフトな言い方だったが、その質問に対応してるうちに、ぼくはそのネタが超売れそうだと思った自分の見通しの甘さを感じ始めていた。
いま書籍というものは、5千部売れるくらいが普通だ。いや、それくらい売れてくれれば優等生とすら言える。
そんな状況下で、その会社は1万部売れない本は作らないというくらい高ビーな姿勢を取っており、それをほぼ実現している。まさに出版界の勝ち組だ。その1万部を売るための技術が存在していて、彼はそういったテクを磨くことで急速に出世したのだろう。
じつは、出版といっても中身によって相当違っている。編集者に求められる資質として、作品系(小説や漫画)と実用系(物語じゃないやつ)では正反対に近い。物語というのは情緒の世界だし、非物語は理性の世界になる。ぼくも彼も物語系の場にいたから、自分の資質と環境の折り合いが悪い点では一緒だった。
作品系の優秀な編集者は、数字とか売るテクとか、そういった発想にはまるで不向きだ。彼は作品系の優秀な編集者ではなかったことが幸いしてテクに精を出せたのだと思う。
彼と話していて、ぼくは自分がここ数年の間さぼっていたことを痛切に感じてしまった。そうか、こういう風に考えるんだ。ものすごく勉強になった。彼は切れ者だという雰囲気ではないので、部長になったと聞いてもなんとなく甘く考えていたのだが、編集長クラスとはまるで視点が違っていた。
ぼくはフリーランサーなので、かならずしもマクロな発想をする必要はない。5年くらい前、小さな会社を作るべきか(つまり編集プロダクションの社長になるべきか)というのが最大の悩みだったが、結局、そんなことやってらんねーぜという結論を出したのだった。
だが、そうであるならば、重松清みたいに末端のプロに徹するべきだ。社長のプロになるか末端のプロを貫くのでない限り、中途半端であり、今の仕事を続けていくことはできないだろう。
ぼくは30代前半はかなり頑張ってきたのだが、30代後半は明らかにさぼっていた。惰性だった。自分自身それをぼんやりと感じていたから、今の自分の仕事をイマイチ肯定しきれなかった。
そうか、俺は35歳から立ち止まっていたんだ。そんな現実を、半年ほど前、痛切に突きつけられてしまったのだった。
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コメント
はじめまして。
理想雀士さんのメルマガで知って来ました。
福地さんの文章を読み出したのは、近麻ゴールドで浅見さんとやっておられたコラムくらいからでしょうか。
あのような麻雀の周辺の話題を読むのも好きですので、「まんトリ」等の以降の作品も面白く拝見しています。
雀賢荘も、メルマガだけ読んでいたりします(笑)
では、また寄らせて頂きます。
投稿: スカイドン@減量中 | 2006年7月14日 (金) 17時43分
>スカイドン@減量中さん
ゴールドのコラムからというのはコアですね~(笑)。
これからもよろしくお願いします!
投稿: 福地 | 2006年7月15日 (土) 06時21分