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2006年6月13日 (火)

【麻雀】学問としての麻雀テク

学問には、大きくいってふたつの種類がある。

ひとつは方法論が定まってるもの。たとえば数学とか。証明の方法が定まっていて揺るがない。

もうひとつは、分野が定まっていて、方法論は何でもいいもの。たとえば心理学とか。夢解釈を繰り広げてもいいし、人間を監禁して実験を繰り返してもいい。何でもあり。

新しい方法論が登場することによって、様相が丸っきり変わるものもある。たとえば人類学は、DNA解析が進んで新しい世界になった。

だから、上のふたつの分類で、どちらが意味ある定義かと言えば、じつは後者なんだよね。前者はたまたま方法論がひとつになってるだけ。

さて、例によって麻雀の話になるんだけど、麻雀の技術って、若い頃はある程度は体系的なものかと思っていた。自分の頭の中では整理されていると思っていたから。

でも最近では、麻雀の技術って博物学的な寄せ集めなんじゃないかって思うことが多い。そこに体系は存在するんだろうか。

統計派の人が推し進める戦術の再構築。それが進んだとき――それは論理的な体系とは別物ではあるけれど――、体系と同じ役割を果たすんだろうか。いや、それはやっぱ別物だよな。

麻雀の魅力って乱雑さの中にあり、容易に解析を許さないよね。てなことを、ぼんやりと思う。

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