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2006年6月22日 (木)

【つぶ】文章のプロの壁

ちょうど10年前のこと、雑誌に文章を書くようになって2度目か3度目、とある雑誌のインタビュー原稿で、編集者にぎっちりと搾られた。

昼間にインタビューして、その日の夕方からすぐテープ起こし。それをもとに大胆に組み換えて、寝ないで原稿を作った。それを朝ファックスしたら、数時間後、真っ黒に手直しされ、さらに根本的な問題点をいくつも指摘する書き込みつきで戻ってきた。

しょうがないので、その注文にそいつつ、長い時間をかけて書き直し、夕方になってふたたびファックスしたら、1時間あまり後にまた真っ黒になったファックスが……。

雑誌でわずか3ページの企画。写真もいっぱい入るから、せいぜい2000字程度の文章だ。それを果てしなく直し続ける。それまでの自分の理解を超えた作業だった。やってるうちに何が良くて何が悪いのかわからなくなってくる。

日本語として変だとか、そんな話ではない。「いう」なのか「いった」なのか「答えた」なのか「つぶやいた」なのか、本当に一字一句まで自分なりにベストと思う選択を要求された。

翌日の朝になり、際限なく手を加え続けた原稿は一応できていたが、それがよりよくなっているのか、自分ではさっぱりわからなくなっていた。そこで、やむなくかみさんに読ませてみたら、また別の観点からいくつか意見をいわれた。

それからまたあちこち手直しして昼前にファックス。ほとんど寝てなかったので、もうワープロ画面がよく見えなくなっていた。夕方になって起きたころファックスが返ってきて、ようやく5ヶ所くらいしか書き込みがなくなっていた。

すぐその部分を手直ししてプリントアウト。それからワープロをかついで高田馬場にある編集部に向かった。インタビューの翌日朝が締め切りということになっていたから、すでに一日半もすぎている。これからさらに直せというなら、その場でいくらだってやりますよ、そう思っていた。それから編集部でまた2時間ほど直し、担当者にフロッピーを渡して、その仕事はようやく終了した。

この数ヶ月前のこと、別の編集部で原稿を書いたとき、担当者から注意された。
「あちこち同じ表現が目についたし、細部が甘かったからこっちで直しといたよ。これからはちゃんとやってね」
そのときはただ聞き流していたのだが、このときになって言われたことの意味がようやくわかった。そのときは原稿料ってこんなに安いのか、そんなことしか思っていなかった。

高校時代に模擬試験を受けたとき、自分の受験科目には関係なかったけれど、ふと小論文を書いてみたことがある。それが奇跡的にも全国一番の成績だった。そして大学に入ってから、代ゼミで小論文の添削や採点のバイトをやっていた。文章を書くことは決して苦手ではなかった。

ライターと小論文は別物だが、少なくとも普通に文章を書くくらいはできるだろう。そう思っていた。そもそも、それまで数年間はいちおう編集者の端くれで、他人の文章にあれこれ注文をつけたり、直したり、逆の立場でやっていたのだ。

しかし、その考えの甘さを、このインタビューによって教えられたのだった。最初から書くのと他人のものを直すのは全然違う。スポーツだってプロとアマはまるでレベルが違う。文章の世界でも、プロにはその業界のルールがあり、そのルールを踏まえた上で、また登るべき山が途方もなくそびえているのだった。

ずっとライターをやっていこうなんてこれっぽっちも思っていなかったし、それどころか、こんなにギャラが安い世界に入ってはいけないとすら思っていた。それでも、そんなものがあるなんて思ってもいなかった文章術なるものの存在に、ショックを受けるよりも逆にワクワクした。目の前にいきなり出現した山に登ってみたかった。こうして、かつて麻雀にハマったように、ライターという仕事にもハマったのだった。

じつをいうと、文章作法なんて文章を書く上ではそんなに重要なものではない。無意味な業界慣習にすぎない部分も多く、最近ではなるべく忘れようと思っているくらいだ。それはネット発の作家やライターが多数いることからも明らかだろう。だが、そのことを理解するために、文章読本の類を片っ端から読むという迂遠な道をその後何年もかけて通ったのだった。

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