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2006年6月26日 (月)

【麻雀】危険なお仕事

3年間勤めた出版社を辞めたとき、いくつかの仕事を紹介された。これが軒並み雀荘関係。出版関係はゼロだった。

そのうちのひとつがいわくつきの仕事だった。給料はかなりよかったが、勤める人がつぎつぎと辞めていってしまうという。正確にいうなら、辞めざるをえなくなるのだ。今では連盟やミューでトップクラスとなっているプロたちが、みな借金を残してはトンズラしてしまっていた。

ピンの3-6の東風戦。祝儀は千円。
待遇は裏メン(客のふりした従業員)で、月給60万。
場所は青山だったと思う。

当時は2ピンがOKな時代だった。歌舞伎町のフリー雀荘は2ピンがメインで、1日に30万くらいの勝ち負けは普通だった。あいつは今月ハマったといったら100万以上を意味した。知り合いのAリーグプロがハマって失踪したが、そんなことは珍しくなかった。

青山の店も台はピンとはいえ、祝儀が千円だから2ピンに近かった。「30万負けても30万残るからさ」紹介してくれた人にはそういわれた。

この先、ずっと雀荘で働いていこうとは思っていなかった。雑誌のデータマンくらいならなれると思っていたので、出版で働こうと思っていた。だが、その前にもう一度、何ヵ月かどっぷり麻雀を打ちたかった。

すでに麻雀の基礎体力はピーク時より落ちてきていたし、麻雀に全力投球する生活はこの先もうないだろうと思っていた。これが人生で最後になる。そう思った。

場としては魅力的だ。だが東風戦は苦手だったし、有望プロたちが軒並み勤まらないことはかなりの厳しさを示していた。

じつは、その仕事には前任者がいた。彼も連盟のプロだったが、他の人たちがみな勤まらない中で、彼だけは月に最高180万の給料を取っていたという。給料に勝ち分を120万も上乗せする驚異の勝ち組も存在したのだった。

いま40歳前後の世代で、もっとも才能あった二人はプロを辞めてしまったといわれている。その一人を田中英知という。

プロ連盟で一番下から一番上までリーグ戦をノンストップで昇級したのは、当時は土田浩翔、田中英知の二人しかいなかった(その後、河野さんもノンストップだったかもしれない)。

小島武夫最後の弟子。当時、同い年の30歳。

手役派ながらも、彼は赤入りフリー雀荘でも無類の強さを発揮していた。荒・安藤以外は敵じゃないと豪語し、実際に金子・飯田などのトップクラスとすでに同格として認められていた。安藤さんですら、あいつとはもう打ちたくないと弱音をもらしていた。

彼の後釜か。光栄だと思った。やるかやらないかしばらく迷った。

結局、この仕事はやらなかった。家の近くの東南戦祝儀500円のピン雀を選んだ。電車がなくなっても帰れること、そして安全なレート。こっちはどんなにハマっても1日6万程度。実質3分の1くらいか。

その仕事を何ヵ月かやったところで、とある縁で出版の仕事オンリーになった。それ以降、プレイヤーとして生きた時期はない。

あのとき裏メンをやっていたら……。それをたまに考える。もう少しくらいは強くなっていたかもしれない。だがすぐに100万くらいハマっていたかもしれない。

ようやく1年前から東風戦の苦手意識が消えて、また少し「もし」がふくらむ。今のぼくが当時にタイムスリップしたら、間違いなくやるだろうね。

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コメント

7年たった今でもその気持ちは残っていますか?

投稿: | 2013年10月 6日 (日) 08時38分

>ななしさん

むしろ今ではもっとヤバイ麻雀をやるようになりました。
人生取り返せるもんだわw

投稿: 福地 | 2013年10月 6日 (日) 09時09分

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